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第8話 ドキドキするのは誰のせい


 ダンッと壁を蹴った。

 逃げかけた彼の足が止まる。 


 ――放課後。


 私は今、石上富士《いしがみあつし》に足ドンをしている。



「華ちゃん、パンツ見えちゃうよ?」


「スパッツ履いてるので大丈夫でーす。それより、何で逃げてるんですかぁ?」


「夕夜君! 華ちゃんどうしちゃったの?! なんかお兄ちゃんそっくりなんだけど」


「やっぱり鏡夜のこと、知ってるんすね」 


 夕夜が私の後ろから問い詰める。


「え、何? 夕夜君も何か怒ってるの?」


 私たちが怒っているのには理由がある。



 五限目の数学。 

 昨日、石上先輩を呼び出したあの先生の授業だった。 

 

 私と夕夜は気配を消してやり過ごそうとしたけど――

 普通にバレていた。


 そして授業後に廊下に呼び出され、反省文まで書かされることになった。


 解放された頃には、玲香たちも藤原君も居なくなっていた。

 反省文には、先輩の悪口をびっちり書いてやろうと思っている。


 そんなこんなで今である。


 先輩の下駄箱にはまだ靴があったから中庭で待ち伏せをしていた。



「とりあえず、落ち着こう。また目立っちゃうよ」


「じゃあ、ちょっと顔貸してくださいな」


「せっかくの美人さんが台無しだよ?」


「そんなのいいからちょっと来てくださいよ」


 先輩の腕を引いた、そのとき。


「なんだ、石上。シめられてんのか」


「あ、タカセン! ちょっと助けて」


 渡り廊下から現れたのは、朝の若いイケメン先生だった。


 首に手を当て、気だるそうにため息をついている。

 今度はちゃんと眼鏡をかけている。


 ……やっぱりカッコいい。


「またお前たちか」


 先生は私を見る。


「なんだ、名竹は裏番なのか」 


 眼鏡の奥の視線が上から下へと移る。

 私は慌てて足を下ろし、スカートを整える。


「いや、もう遅いだろ」 

 

 先生、ちょっと引いている。


「タカセン、こいつら指導してやってよ。先輩に対する態度がなってねぇんだ」 


 石上先輩は先生の肩に手を置き、こちらを挑発するように笑う。


 いや、二人並ぶとビジュ強いな……。


 クールな兄貴分とやんちゃな弟分。

 アウトローな絵面が良い。


 ……いや、じゃなくて。


「先生を味方に付けるなんてずる――」


 その瞬間。


 ダンッ!


 鋭い音が響いた。

 

 気づいたときには、石上先輩が先生に足ドンされていた。


 先生が顔を寄せる。


「先(・)生(・)に対する態度がなってねぇぞ、石上?」


「あれ? タカセン?」


 石上先輩が一番驚いている。

 壁に寄りかかりながら、ずるずると座り込んだ。 


 ……え、この人、先生なんだよね?


「お前、今日俺の授業サボってたよな?」


「あれ? 今日古典あったっけ?」


「あぁ、なんだ。忘れてただけか」 


 先生はしゃがみ込んで、先輩の肩を軽く叩いた。


「じゃあ特別授業やってやるよ。職員室来い」


「はっ? いや、俺……そう! この子たちと大事な約束が」


「あるのか?」


「「いえ、ないです」」


 私と夕夜は即答した。


「ならお前たちは早く帰りな」


「待ってよ、華ちゃん!」


「ほら、いいから来い。反省文、古文で書かせてやるよ」


 石上先輩は引きずられながら先生に連れて行かれた。


 先生、グッジョブすぎる。 

 そしてやっぱり、かっこいい!

 

 あの風貌で古典教師ってとこも、意外性があってポイント高い!


 来週からは古典の授業があったはず。

 ちょっと楽しみかもしれない。



***



「華は⋯⋯あの人、気になる?」


 二人が去ったあと、夕夜がぽつりと言った。


 地面に落ちていた私の鞄を拾って渡してくる。

 先輩を捕まえるのに夢中で、投げ飛ばしていたらしい。


「え? 先生? まぁ……アンニュイなあの大人な感じは正直かっこいいと思う」


「いや、そうじゃなくて⋯⋯まぁ、いいや」


「え? 何?」


 夕夜は先に歩き出す。

 私は慌てて追いかけた。


「どういうこと?」


「いや、何も感じてないならいいよ」


「? 先生を見るとドキドキするよ?」 


 夕夜が小さく笑った。


「華はああいうのが好みだもんね。鏡夜にはナイショにしといてあげる」 


 確かに兄にバレたら面倒そうだ。

 先生への想いは、学校だけに留めておこう。


「えっ、もしかしてこれが初恋かな?」


「……さぁ?」


 夕夜は背中を向けたまま、視線を合わせることもなくそっけなく答える。


「……どうだろうね」


 やっぱり、私の恋愛なんて興味がないみたいだ。

 夕夜にみんなが言うような愛情はないと思う。


「ああ」


 夕夜が立ち止まり、振り向いた。


「何?」


「華は、俺といてもドキドキしたりしない?」


「へ?」


 変な声が出た。


 落ち着け、私。


 夕夜のことだ。

 きっとそういう話じゃない。


 この子、たまに変な言い回しで気をもたせたりするから。


「な、なな何、言ってんの? ど、どういうことデショウカ?」 


 ダメだ、上手く喋れない。


「俺にも何か感じてないかなと思って」 


 夕夜が一歩近づく。

 耳元の髪の毛に触れた。


「ふぇっ?!」


 夕夜の指が耳に触れる。

 心臓が一瞬、大きく跳ねた。


 顔を上げた夕夜と目が合い、思わず後ずさる。


 え、な、何……?


 頭が追いつかない。


「何? ただの葉っぱだよ」


 夕夜の手には葉っぱが一枚。

 一瞬だけ夕夜の口元が緩んだ気がした。


「な、なな、何じゃないでしょう! ふ、不用意に触らないでもらえるかなぁ」


「⋯⋯葉っぱを?」


 ほらね。

 全然そういうんじゃない。

 

 いや、これわざと?! 


 毎回こんな天然に振り回されていては心臓が持たない。


「返そうか?」


「いらないです」


「そう?」 


 夕夜はくるくると落ちていく葉っぱを見つめている。

 毒気を抜かれて、私はため息をついた。


「夕夜って、みんなにこんなことしてるの?」


「?」


「そのうち刺されるよ?」


 夕夜が葉っぱから私に視線を戻す。

 どうせ質問の意味なんてわかってないだろうけど……。


「俺は華にだけだけど」


 夕夜が真っすぐに私を見る。


「華が俺を刺すの?」


 夕夜が薄く笑う。

 その表情に落ち着いたはずの心臓がまた乱れる。


 頬が熱くなり、両手で顔を覆った。


 こんなの――まるで、夕夜を好きみたいじゃないか。


「あぁ」


 見透かしているような余裕めいた笑みを浮かべて、私を覗き込んでくる。


「乙女心、だっけ? ドキドキしたんだ」


 ドキドキどころじゃない。

 バクバクしている。


 ど、どこまで分かってやっているの……。


「わ、私が好きなのは先生なんだからね!」


「はいはい」


 夕夜が歩き出す。

 早歩きで夕夜のあとをついていく。


「あぁ、それで」 


 私が横に並んだのを確認してから夕夜が口を開いた。


「さっき、何を聞こうとしたかっていうと」


 少しだけ声が低くなる。



「――あの人、たぶん五家の人間だと思う」



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