第9話 幼馴染と兄
「先生が五家?」
「分からない。でも、近くに来たとき――変な感じがした」
「はっ! それは恋では……」
「⋯⋯」
冷たい視線。
一瞬で空気が冷えた。
「もっと嫌な感じだよ」
「五家なのに? 仲間になるんじゃないの?」
「……そもそも俺、五家嫌いだし」
「え?」
夕夜が私を見る。
「面倒なんだよ」
「……私の知らない苦労があるんだね」
「知ってよ」
呆れたようにため息をつく。
でも私は、”かぐや姫” のただの妹だ。
貴公子でもなければ、霊力も能力もない。
「なるほど。それであんなこと聞いてきたのか」
少しほっとした。
変に意識して、関係を壊したくはない。
「それだけじゃないけど」
夕夜が小さく呟いた。
「え、何?」
「いや」
改札を抜けた夕夜は、ふっと笑って小さく首を振った。
「鏡夜ほどじゃなくても、華にも分かるかなって思っただけだよ」
「残念ながら、私は何も感じないなぁ。五家同士って共鳴みたいのがあるのかな?」
「教室ではなんとなくある気がするかな。石上先輩は⋯⋯あの人といると別の感情が邪魔するからよく分からない」
まぁ、確かに。
夕夜は先輩といるとずっとイライラしてる気がする。
「でも向こうから来てくれるなら楽かもね」
そう言っただけなのに。
大きなため息が聞こえた。
「……華には、会わせたくないんだけどな」
「え?」
電車がホームに入ってくる。
風に揺れる夕夜の髪。
そのまま耳元に顔が近づいた。
「今のうちに言っとく」
耳元で、低い声。
「石上先輩も、他の五家も……一人で会わないでね」
耳に触れた声に、思わず一歩下がる。
「え? 私?」
「他にいる?」
「でも私、部外者だし……」
「そう思ってるなら、俺一人でやるから」
なんだか冷たい。
こちらも見ずに電車に乗り込む。
なのに、何も言わずドア側を譲ってくる。
黙ってそばに立つ夕夜に戸惑いつつも。
……安心してしまう。
動き出す景色。
「私も一緒に探すからね」
「なら俺から離れないで。絶対一人にならないでよ」
そんなキザなことを自然に言う夕夜に思わず笑ってしまう。
「そもそも鏡夜さえ来てくれればいいのに」
「それはそう。でも、石上先輩もあの先生も鏡夜と相性いいとは思えないし、今はいない方がいいかも」
確かに。
喧嘩になる未来しか見えない。
「夕夜の他にも、もう一人くらいストッパーが欲しいな」
「それ、俺がストッパーになると思ってる?」
「え、ならないの?!」
「今のところ、止める理由はないし」
「えぇ!?」
「言ってるでしょ、五家は嫌いなんだって」
「じゃあなんで手伝ってくれてるの?」
「それは」
遠くを見ていた夕夜の視線が私に戻る。
夕夜は視線を落として私の手を取った。
「俺は華とまた――」
トンネルに入った音にかき消された。
夕夜が何を言ったのか。
何も言わなかったのか。
……でも。
手は握られたまま離れなかった。
***
「ねぇ、ハナちゃん」
「な、なぁに?!」
兄がカウンター越しにじっと見てくる。
「さっきもそれ入れてたけど大丈夫? 醤油」
「え、あぁ!」
全然集中できていない。
夕夜のせいだ。
手、繋ぐなんて。
……あれ、普通じゃないよね?
恋人みたいじゃない?
思い出す度に右手が麻痺し、私は三度目のおたまを落とした。
「ねぇ、ユーヤになんかされたでしょ?」
鏡夜が浴室の方を睨む。
「な、何もない!」
お願いだから掘り返さないで。
「ふーん」
ソファに戻りテレビを眺めている兄に一抹の不安がよぎる。
しばらくして。
お風呂上がりの夕夜が戻ってきた。
そのままキッチンに入ってきて冷蔵庫を開ける。
……あれ、なんか緊張する。
「華」
「はいっ?!」
変な声が出た。
夕夜が一瞬の間をおいてふっと笑った。
な、何、その笑い。
「これ最後だけどいい?」
「う、うん」
「どうも」
ペットボトルを開ける。
濡れた髪。
首筋。
なんか今日、違って見える。
「足、どかしてよ」
「あ、ごめーん」
足を投げ出して座ってる兄に蹴られている。
兄⋯⋯何やってんの。
でも。
夕夜、普通だ。
良かった⋯⋯のかな。
――それはそれで、なんかもやもやする。
「ハナちゃん、しょっぱい」
「嘘! ご、ごめんね!」
味が分からない。
「夕夜もごめん、残していいから」
「俺は大丈夫」
夕夜がくすくす笑ってる。
「?」
「いや、前にもあったなと」
いつのことだろう。
そのとき――。
兄が夕夜の胸ぐらを掴んだ。
「ねぇ。次は殺すって言ったよな?」
「……手は出してないよ?」
て、手を出すって⋯⋯。
夕夜でもそんなこと言うのか。
夕夜らしからぬ台詞に軽くショックを受ける。
「当たり前だ。お前の勝手で振り回すなよ」
……何?
兄のいつもと違うキレ方に緊張が走る。
「そんなに欲求不満ならさ」
兄が夕夜の顔に近づき囁く。
「俺が抱いてあげようか?」
「何言ってんの?!」
バカな兄の言動に思わず突っ込む。
夕夜も呆れ切った視線を外に向ける。
「かぐや姫様は一途な貴公子様と違って気が多いからね」
兄は眉をひそめて夕夜を見下ろす。
「……ちゃんと耐えろよ」
兄は夕夜を睨む。
夕夜は反応することなく無言のまま。
ただ兄の視線を受け止めていた。
何も言わない夕夜の胸ぐらを掴んで顔を引き寄せる。
え、さすがに近すぎない?
と思った瞬間。
唇が触れる。
……は?
兄がにやりと笑って夕夜を押し戻す。
「ははっ、耐えれんじゃん」
そのままソファに寝転んだ。
夕夜はため息をついた。
「……ガキかよ」
親指で唇を拭う。
「え、いいの?」
「何が?」
「あ、いや……えっ? だって……」
状況が追いつかない。
兄はともかく、なんで夕夜はそんな平然としてるの?
そ、その、初めてとかじゃないの?!
「そ、その、初めてとかじゃないの?!」
思わず声に出てしまった。
「あぁ……」
夕夜は私を見ると、少し視線を揺らした。
「別に」
別に?
それはどっち?!
え、夕夜って今まで彼女いなかったよね?
聞きたいような、聞きたくないような……
「ユーヤには気をつけなよ?」
「お前、いいからちょっと黙れ」
さすがの夕夜もうんざりしている。
それ以上、何かを聞ける雰囲気ではない。
「ごちそうさま」
淡々と片付ける夕夜から目が外せない。
夕夜のタラシなところって……
天然じゃなくてただ手慣れてるだけ?
今までの夕夜の言動を振り返る。
あ、なんかそれはあり得るかも?
「華……そう言うのじゃないから」
私の視線に項垂れるように夕夜が呟く。
思考がダダ漏れだったらしい。
「……違うから」
そんなこと言われても――。
「ユーヤ君、お詫びに焼きそば作ってよ」
「何のだよ」
「全部バラすぞ、てめー」
「……華が作ったのちゃんと食べなよ」
もう、いつも通りの会話。
でも――。
私だけ、置いていかれてる気がする。
手を繋いだくらいで騒いでた私が、子供みたいで。
安心したはずなのに。
ずっと、もやもやしている。
――だめだ。
考えるのやめよう。
あぁ、そうだ。
明日、図書館に行きたいんだった。
一応、夕夜に声をかけておこう。
「ごめん。俺、明日は用事ある」
――その一言で何かが、ズレた気がした。
そして。
この週末で。
私と夕夜の関係は、大きく変わる。




