第88話 香島宮潜入①
「藤原君、ウィッグ使わないの?」
藤原君はキャップを深く被って眼鏡をかけた。
黒ジャージに黒Tシャツ。
闇に溶け込む気満々だ。
「言っただろ、香島宮内は能力が抑えらえる」
藤原君が肩をすくめる。
「今回は見つかった時点でアウト。金髪でもハゲでも変わらねーよ」
「ハゲ……」
「まぁでも監視カメラで映像は残る。ぼかすくらいの変装は必要」
そう言って鞄の中から伊達眼鏡を二つ放り投げる。
渡された眼鏡をかける。
動きやすいように髪をアップに結ぶ。
ポニーテールを作る私を、夕夜は黙って見ていた。
……ふふっ、珍しいのかな?
「なんか名竹さん、ジョギングの人だな」
「え、だめ?!」
藤原君は一度首を傾げ、それから諦めたように頷く。
「まぁ、大伴君が気に入ってるみたいだしいいか」
えっ?!
夕夜、結んでる方が好みなの?!
黒髪ロングじゃなかったの?!
思わず夕夜を見る。
目が合うと、気まずそうに視線を逸らす。
そのまま手に持っていた眼鏡をぶっきらぼうにかけた。
……え、やだ!
夕夜かっこいい!
眼鏡ってこんなに色気でる?!
私は無言のまま、藤原君の背中を何度も叩く。
「あんたたち、ほんっといい加減にしろよ?」
藤原君は私の手を容赦なく払って、顔をしかめた。
「準備できたら行くよ」
「てか全員キャップ眼鏡の黒服って闇バイト感すごいよね」
「捕まるだけで済むといいな」
藤原君が小さく息を吐いた。
***
満月に照らされた杉木立の影を伝って、奥へと進んでいく。
私たちの呼吸だけが聞こえる。
いつの間にか私の手を引いていた夕夜が前を行く。
私は転ばないよう、その背中を追った。
しばらく進むと藤原君が左手を挙げて合図する。
拝殿から本殿へと続く廊下が見える。
茂みの中に身を寄せる。
……けど!
夕夜が私を庇うように肩を寄せるから、別の緊張が走る。
「集中しろ」
藤原君は私を一瞥すると、スマホを取り出し時間を確認する。
藤原君の視線がここから見える五本柱のひとつに向けられ、そのまま頭上の満月と向かった。
「榊天音の話が本当なら、奥宮の中心に置かれた水盤にあの月が映る時に儀式が始まる。あと10分くらい」
「え、計算できるの?」
「当たり前」
「人が来た」
神主や巫女が本殿の奥へと消えていく。
特に道具を持っている様子もなく、ぞろぞろと歩いている。
「榊天音の妹――」
藤原君が呟く。
廊下を歩いている巫女の中に、音羽さんがいる。
その顔は無表情で暗い。
ただ前を見つめて歩いていた。
「儀式に出る立場か」
「まだ中学生だよね、きっと」
そんな年で何をさせられるんだろう。
つい中の様子が気になってしまう。
少しでも見る方法はないのかな……。
隣にそびえ立つ杉の木を見上げる。
「登れるわけないからな」
「うっ、分かってるよ」
「中は見なくていい」
「はい……」
藤原君に見張られ、下手な動きができなくなった。
そのとき。
私の肩を押さえている夕夜の手がぴくっと反応した。
「っ?!」
夕夜が息を漏らし、後ろをざっと振り向く。
暗い森の方に目を凝らしている。
「どうしたの夕夜?」
「……消えた?」
「何? なんかいた?」
藤原君の表情も鋭くなる。
「いや、気のせいか? 今は何も……」
「でも夕夜、前にここだと何も感じないって」
「うん、今も藤原のは分からない……けど……“いた” 気がする」
「気配を消した、か?」
藤原君が森を静かに見据えた。
その視線を奥宮の方へ移す。
「警戒解くなよ。仕掛けてくるなら恐らく儀式後だ」
そして。
本殿の奥の方から鈴の音が聞こえてくる。
「始まったな」
藤原君が電話をかける。
相手がすぐに出る。
「もう来るよ」
一言だけ伝えて、そのままスピーカーにしてスマホを握る。
次第に重なって大きくなる祝詞のような声。
それがぴたっと止まった瞬間――。
目の前の柱に稲光が走る。
空から落ちてきた光は柱を伝い、地面へと吸い込まれた。
「えっ?」
空を見上げるが、雲ひとつない星空。
藤原君も夕夜も息を呑んだまま、柱を見つめている。
藤原君が奥宮の方へ視線を向けたと同時に――。
地面が震える衝撃音。
奥宮の辺りから、大きな雷鳴と共に稲光が空へ向かって伸びていく。
「は?」
藤原君の声が漏れる。
私たちは稲光が消えた空を見上げたまま、息を呑む。
『来たぞ』
鏡夜の声。
『帯瀬川の方。離れてるな……だりぃ』
「着いたら連絡して」
『りょーかい』
電話を切った藤原君が奥宮を睨む。
「で、あれは雷を呼んだ?」
「雲もないのにどこから……」
空を見上げたままの夕夜が呟く。
「でも最後の雷、呼んだんじゃなくて……出してるっぽくなかった?」
私は腕を上へ伸ばし、雷が消えた夜空を指さす。
二人は黙ってそれを見ていた。
「雷、か……」
藤原君は目を細めて、記憶を辿るように視線を流した。
「っ?!」
視線を本殿に戻した私は小さく息を吸う。
拝殿の前に、いつのまにか仮面の無貌が立っていた。
月光に照らされながら、こちらを見ている。
ぱちっと弾ける音がする。
ひびの入った仮面、電気を帯びた身体……。
「あれ歩行会のときの?!」
「なんでここに」
夕夜が構える。
私と藤原君も踵を浮かせる。
「大伴君、ここで出せそう?」
「やってみるけど、たぶん無理。抑えられてる感じがある」
「俺も。攻撃できるところまで一気に走ろう。どの辺りになる?」
「良くて宝物殿、確実なのは入口の鳥居より外」
「距離あるな」
二人は抑えられてる感じがある?
ふと手のひらを広げて意識を集中してみる。
やっぱり!
「藤原君! 私、霊力出せるかも!」
「は?」
藤原君が一瞬だけ目を見開く。
「……対象は五家か」
私と周囲を見回す。
口元に手を当てて、少し眉を寄せている。
「ここで名竹さんの霊力を使って大丈夫か?」
「榊の妹の言う通りなら、危険かも」
夕夜の言葉に藤原君も小さく頷く。
「ぎりぎりまで使わずに行くべきだな」
「……後ろは俺が見る。華は藤原についてって」
「わ、分かった」
「散開はなし。倒すことは考えるな」
私と夕夜が頷く。
「前と同じ奴なら落雷もあり得る」
「ああ」
「まずは宝物殿」
「うん」
「走れ」
藤原君の合図と共に私たちは木々の間を走り出す。
背後で無貌が動き出す気配がした。




