第84話 兄は一体何をした⋯⋯
バーベキューの片付けが終わって、お風呂の順番を待つ間、私はまたウッドデッキの足湯に腰かけていた。
何をしていても昼間のことを思い出してしまう。
正直、バーベキューの味も覚えていない。
覚えているのは、たまに目が合うと微笑んでくる夕夜の顔だけ。
恥ずかしくて思わず足湯に浸かったまま寝転んで悶える。
本当に、しなくて良かった。
お、おそらく私と夕夜は……そういうの、初めて、ではないんだろうけど。
けど……記憶のない私は、夕夜と違ってそんな余裕はない。
ただ、あのとき。
夕夜へと勝手に動いた身体は、記憶のせいなのか、気持ちのせいなのか……
ああ、もう!
た、耐えられないっ!!
あの後、藤原君が来るまで夕夜はただ黙って私を見てた。
なぜか機嫌は良さそうで、私が言うのを待ってるような感じではなかったけど……
ほんと、どうしたらいいんだろう……
考えがショートする。
そのまま死んだように、ただ星を眺めていた。
しばらくして扉が開く音がする。
「うん、妹と友達……」
兄の声。
電話をしていて、私がここに寝転んでいることに気づいていない。
「伊津だって。今日は無理」
電話の向こうから女の人の声が漏れる。
兄の声も別の人みたい。
「言う必要あるの?」
あ、それは良くないんじゃ……。
「え……うん、別にいいよ」
兄が小さく息を漏らす。
「今までありがとね」
え?
嘘?!
電話を切った兄は面倒そうに空を仰いだ。
その流れのまま私を見下ろす。
「何やってんのハナちゃん」
「……死体ごっこ」
「楽しい?」
「死体だから何も聞いてないよ」
兄は小さく笑うと、私の隣に座った。
「思ったよりぬりぃな」
足湯に入りながら笑う兄は、いつもの兄だった。
私はゆっくりと身体を起こす。
「かけ直してあげなよ」
兄が私を見る。
横目でそっと見上げる。
「待ってるんじゃない?」
「さっきまで転がってた死体が口出すの?」
「だって乙女心が……」
「ハナのくせに」
兄が目を細めて髪をくしゃくしゃと撫でる。
兄をじっと睨む。
「終わったもんはいいんだよ」
「鏡夜が終わらせただけで、まだ間に合うと思うよ?」
「別に、引き留めるほど好きなわけじゃないし」
「じゃあなんで付き合ったの?」
鏡夜はしばらく黙っていたけど、瞼を伏せながら静かに答えた。
「簡単に終われるものがあると安心するんだよ」
「どういう、意味?」
「手放す練習、かな」
「……な、何を?」
「……ヒミツ」
鏡夜が顔を伏せたまま、口元だけが笑っていた。
また⋯⋯これ以上が踏み込めない……。
兄妹なのに……。
でも……。
「鏡夜と兄妹で良かった」
「え?」
「別れることはないもんね」
鏡夜の目がわずかに開く。
小さく息を漏らすと、寂しそうに、嬉しそうに笑う。
「……そうだな」
兄の表情が少しだけ柔らかくなる。
私もなんだか安心して笑った。
「でもそうか、付き合うって別れがあることなんだね」
付き合った先なんて考えたこともなかった。
また一つ、勉強になった。
「お前たちは大丈夫でしょ」
「えっ?」
「それを心配してんじゃねえの?」
「いや、初耳……だけど」
驚いている私の顔を見て、兄が吹き出した。
「すげぇな、さすがハナユーヤ」
「あ、いや。まだ、そこまで考えてないだけで……」
「まあユーヤだぜ?」
「え?」
「別れたくなっても別れさせてもらえねーよ」
兄が意地悪な顔して、私の髪を指に絡めながら弄ぶ。
「え、それじゃストーカーじゃん」
「今さら?」
「え?」
「俺とは真逆で安心だな」
兄はくすくすと笑いながら、足湯から出て立ち上がる。
適当に足を振って水気を飛ばすと背中を伸ばした。
「さて」
「?」
「もう一仕事して寝るかな」
「仕事?」
兄がにやりと笑う。
「ハナも早めに寝ときなよ」
「え、うん」
「おやすみ」
「……おやすみ」
すっかりお湯も冷めて、私は一度リビングに戻る。
ちょうどお風呂上がりの斎藤さんが戻ってきた。
「華さん、お先です。いま空きましたよ」
「はい、じゃあ行ってきます」
「光輝は部屋で寝ているみたいですし、見張ってますので安心してくださいね」
「例えそんなことあっても、被害者は藤原君です」
「そんなことないですよ! 華さんは女の子です」
「いや、でも正直あんな寝顔見せられたら……」
人前に出せる寝顔があるなんて衝撃的だ。
綺麗すぎて思わず見入ってしまった。
なんか⋯⋯危なかった。
「私の方を見張るべきかも……」
「えっ?」
斎藤さんが困った表情を浮かべた。
***
翌朝。
良い匂いで目覚めると、ベッドに斎藤さんはもういなかった。
寝る時もおらず、結局この部屋で斎藤さんと会うことはなかった。
軽く身支度を整えリビングに向かうと、ソファに藤原君が座っていた。
肘掛けに頬杖をついてテレビのニュースを眺めている。
起きれたようで良かった。
「おはよう、藤原君」
声をかけてから奥にいる夕夜が小さく首を振っていたのに気づく。
「?」
「おはよう、名竹さん」
「体調どう?」
藤原君が少し振り返って、私を一瞥する。
「それがさ、すこぶる良いんだよね」
「え?」
「何でだろうな」
「えっ?!」
藤原君がソファの背もたれに腕を乗せ、身を乗り出して私を睨む。
「あんたの兄貴、俺に一体何してくれたんだろうな」
「はぁ?!」
思わず夕夜の方を見る。
夕夜は顔に手を当てて俯いている。
ま、まさか本当に?!
き⋯⋯いや、く、口移しを?!
「い、いや! でも鏡夜、手からも出せるから! 影結びみたいにさ!」
「……マジでクソだな」
舌打ちしてソファに座り直すと、藤原君は不機嫌そうに足を組んだ。
てか兄は?!
ほんと、何してんの兄!!
慌てて夕夜に駆け寄る。
「……鏡夜は?」
「寝てる」
「ほ、ほんとに、しちゃったのかな」
「俺にはなんとも……」
夕夜が視線を逸らす。
ああ、そうだ。
この人も被害者の一人だった。
「華さん、おはようございます」
「おはようございます」
斎藤さんは素知らぬ顔で朝ごはんを作ってくれている。
とりあえず斎藤さんの隣に立って、手伝いをする。
お皿が五枚。
これ朝食みんなで食べる流れかな……。
斎藤さん、そこは気を利かせてくれないのか。
心配そうにお皿を見つめる私に気づいたのか、斎藤さんがふふっと笑う。
「光輝、いつまで拗ねてるんですか」
スクランブルエッグを盛り付けながら、斎藤さんがソファの藤原君に声をかける。
「別に拗ねてねぇよ」
斎藤さんを睨みながらソファから立ち上がる。
「寝首かくつもりが、逆にかかれるほど読み誤ってダセェなって反省してたとこだよ」
「藤原君が反省……?」
「当たり前じゃん。次同じことしてたまるか」
「アップデート入った……」
藤原君が席についた私の向かいに腰掛ける。
「あと確認しときたいんだけど、霊力渡すのって名竹さんもできるの?」
「はっ?!」
藤原君は椅子の背もたれに身体を預けて頬杖をつく。
「あのクソダサい月下なんちゃら剣とかも、霊力なんだろ?」
「クソダサいって! っていうか、わ、私は、そ、そんな、渡すのとかできないよ?! ってかしないよ?!」
く、口移しで霊力渡すとか……無理だ!!
「……ああ、そういや大伴君も霊力出せるか」
人の話なんか聞いていない藤原君が真面目な顔して呟く。
「俺もしないよ」
「あんたたち、なんでこんなデカい情報をスルーできるの?」
「ほ、方法がさぁ?!」
「データ検証くらい協力しろよ」
「そんな仲じゃないって自分が言ってたじゃん!」
「あんたたち二人でならなんも問題ないだろ?」
「なっ!」
え?
昨日の、見てたわけじゃないよね?
頬杖をついた藤原君がニヤけた笑みを浮かべた。
クソ王子、完全復活――。
「朝から元気だなお前ら」
元凶が気だるそうにあくびをしながら起きてきた。
「はよ」
「お、おはよ」
なんか気まずい⋯⋯。
藤原君は冷ややかな視線を送ってる。
「はは、コーキも元気そうだな」
「勝手に被験体にすんのやめてくれる?」
「お前いねえと進まねーだろ、伊津調査」
兄はテーブルの上に並んだ、切られたりんごをひとかけらつまみながら席に着く。
「悪意ない奴らが一番タチ悪いな」
なぜか私にも藤原君の視線が向けられる。
「はっ、悪意のある悪には敵わねーよ」
兄はりんごを齧りながら肩をすくめた。




