第72話 俺の負け
「今度は何言われたの?」
呆れた顔した夕夜が、私の鞄を差し出してくる。
それを受け取りながら一生懸命考える。
「え、大したことじゃ……」
「じゃ言ってよ」
「えっ?」
「大したことじゃないんでしょ?」
視線を逸らす私を夕夜がじっと見る。
うっ、なんで私の方が気まずくなってんの……。
「わ、私の口からはとても!」
一歩下がって逃げる。
夕夜は私を見ていた視線を外す。
「……ああ」
ああ?!
「あいつ、またそういう」
え、分かったの?!
どこまで?!
「そんなことないから」
「そ、そんなこととは……?」
「⋯⋯華が心配するようなこと、とか?」
「し、心配?!」
夕夜はふっと笑って先に教室を出る。
慌てて夕夜を追いかける。
「俺より藤原信じるのそろそろやめない?」
「え、し、信じてないよ?」
「そう?」
呆れたような疑心の目を向けてくる。
「た、ただ、告白にそういう文化? があるのにびっくりしただけで」
「ふっ、文化って。なにそれ」
夕夜が可笑しそうに笑う。
本当に、そういうことはなかったのかな⋯⋯。
「私はまたあの狐に騙されたのか⋯⋯」
「騙されたっていうかさ」
夕夜が立ち止まる。
つられて私も立ち止まる。
「藤原の言う通り、もう少し焦ってくれてもいいと思うんだけど」
「えっ?」
首を少しだけ傾け、ため息混じりに言う。
「ちょっと安心させすぎてる?」
「だって、そ、それは夕夜が⋯⋯」
「俺が?」
「そういうことで動かないって分かってるし」
「⋯⋯は?」
「だ、だって夕夜だよ?!」
「え⋯⋯」
夕夜が珍しく言葉に詰まる。
「藤原君の言う通り、そういう文化があるなら、それはちょっとやだけど⋯⋯」
「文化⋯⋯」
「き、キスとかされてないんでしょ?」
「まあ、そんなことあっても普通に避けるよね⋯⋯ふっ」
夕夜が震えるように笑ってる。
な、なぜ笑う……。
「っ!! い、言っとくけど、あんな綺麗な人からなんて現実感皆無だったからね?!」
「うん、ごめんて」
笑ってる夕夜を睨みつける。
夕夜はようやく笑うのをやめた。
「わ、私は安心しすぎなの?」
「いや、思ってたより⋯⋯」
夕夜が口元に手を当てて、言葉を止める。
「何?」
「いや? そのまま安心しててよ」
夕夜が観念したように眉を下げる。
「俺の負け」
「なにそれ⋯⋯」
負けとかいいながら、夕夜だけが納得してる感じに少しもやもやする。
校門を出ても胸がざわざわしていた。
というか、あの綺麗な先輩は……。
「あの、先輩とは知り合い?」
「え?」
「あ、いや、どこでかなって」
「そこは気にしてくれるんだ」
「だって私の知らない人だし」
夕夜が私に視線を止める。
「何?」
「いや?」
夕夜は表情を変えずに視線を外す。
「……朝の電車が一緒の人だよ。お互い顔を知ってる程度」
「え、それで好きになるの?」
「俺が聞きたいよ……」
「聞かなかったの?」
「聞くわけないでしょ」
「私が同じ状況なら聞いちゃいそうだ……」
告白され慣れてると気にならないのかな。
けど、その言葉に夕夜が反応する。
「ダメだよ」
「え?」
「絶対聞かないで」
「え、なんで?」
「ややこしいことになるだけだから」
「はは、なにそれ」
夕夜の理屈が分からなくて思わず笑ってしまう。
「いや、本気で。俺キレると思う」
夕夜がまだ居もしない誰かを睨む。
剥き出しの感情……。
こ、これが藤原君の言っていた――。
「う、ウツボ!!」
「は? 何て?」
「い、いえ」
夕夜がじっと私を見る。
「藤原君がね、夕夜は短気だって」
「よく分かってるね」
え、自己評価もそうなの?
なんか夕夜が分からなくなる。
「ゆ、夕夜は私には優しいよ?」
「当たり前じゃない?」
「さ、さいでか」
「さいですよ?」
さらりと言うから照れる。
嬉しいような恥ずかしいような、今度は胸がむずむずする。
視線を下げた先にある夕夜の手に触れたくて、でもその勇気がなくて。
電車の中でさっきより少し近づいた距離に、なぜか安心した。
もう少し近くても──
はっ?
え?
私いま、何考えた?
は、破廉恥!
勝手に暴走する思考に焦り、悶える。
顔面が熱くなる。
「どうしたの、華?」
「なんでも、ない、です」
「……何をテンパってるの?」
「へ?」
「華が敬語のときはそうじゃん」
夕夜がくすくすと笑う。
「そんなこと! ないで……よ?」
夕夜が吹き出す。
「マジ何なの?」
「あ、あの、ですね」
「何?」
この破廉恥をなんて誤魔化せばいい?!
「あ、えと⋯⋯夕夜! 誕生日何が欲しいです?」
は?
私、何聞いてんの?!
「ああ、それで」
くすくすと笑う夕夜が私の後ろにある手すりに手をかける。
少しだけ顔を寄せてくる。
「何でもいいの?」
「え、あ⋯⋯モノによります!!」
ち、近い!
近いです!
思わず目を閉じる。
「じゃあ」
耳元に夕夜の声が触れる。
「期末テスト、全教科平均以上で」
「⋯⋯」
えっ?
恐る恐る目を開ける。
少し離れた夕夜が不敵な笑みを浮かべている。
「あと数週間だよ? 俺のこと考えてないで勉強してよ」
「は?」
「俺も安心させて?」
優しいはずの夕夜の笑みが――
悪魔に見える。
「補習になったらすれ違うし」
「ほ、補習……」
「夏休み、一緒に過ごしたいな」
「へっ?!」
「俺に良い点数頂戴よ」
――夕夜の誕生日、ハードモード。




