第69話 五家の呪いだよ
身体が重い。
細かい雨が鬱陶しい。
けど。
小さく響く鼓動の音と、石鹸みたいな華の匂い。
なぜか懐かしいような、でもいつも近くにある妙な感覚。
心地よくて意識を手放すにはなんだか、少し惜しい。
「華っ、無事か?!」
少しだけ呼吸の乱れた父さんの声。
「おじさん!」
「なんだ、夕夜はへばってるのか」
「限界みたいです」
「今日はそういう日じゃないんだけどな」
「確かに」
父さんと華が呆れたように笑ってる。
「鏡夜から連絡もらったよ。友達と一緒にうちで待たせてる」
父さんがスーツの上着を脱ぐと、華が優しく身体を離す。
華との隙間に父さんの腕が入ってきた。
担がれて、繋いでた華の手が離れる。
「あ! 私、ちょっと友達探してきます」
「藤原の坊ちゃんならさっき会ったよ。駐車場で待ってる」
「良かった」
「あれは目立つ子だな」
「気をつけないと色々抜かれますよ」
華がくすくすと笑う。
「なんだそれ」
「いや、ほんとなんですって」
本気にしていない父さんが笑う。
「みんな仲が良さそうだな」
「夕夜と藤原君は親友ですよ」
……そうなのか?
「華ちゃんは?」
「えっ?」
「あの子と」
「あ、私と藤原君はバディです!」
それは絶対違うと思う、けど……。
「そうか、それは良かった」
誇らしげに笑う華を見て、父さんが意味ありげに呟く。
「……何が、良かったんだよ」
声が掠れる。
「あ、寝たふりやめんのか?」
華と目が合う。
なんだか久しぶりに目を合わせた気がした。
「ふりじゃない……マジでだるいんだよ」
「はは、俺んときはガチ対戦はなかったからな」
「……そう」
「むしろ大伴家の能力でそんなにバテるほど戦えるとは思わないわ」
父さんが他人事のように笑う。
「クソ真面目な息子さんは何をそんなに生き急いでんだ?」
「別に……そういうんじゃない」
ただ何度も華を狙おうとするあいつが、五家の呪いそのものに見えて。
ちょっとムカついただけ。
「よく知らねえが、急ぐのはそっちじゃねえわな」
そう言って華に笑いかける。
「な、華ちゃん?」
「?」
「俺なんか急ぐあまり学生結婚だぞ?」
「えっ、それは素敵!」
「だってよ?」
手を合わせて笑う華に、父さんが勝ち誇ったような得意げな視線を向ける。
どうしろって言うんだ……。
「今さら離せるもんでもないんだからよ。気の済むまで隣に置いとくしかねぇよ」
……そのせいで居なくなるとしても?
「他の奴に渡せるのか?」
……。
「時間は短くても」
父さんが少し遠くを見る。
「俺の手の中にいたんだ、後悔はねえよ」
「……私もそっち派です」
華が静かに笑う。
こんなふうにも笑うのか。
父さんが嬉しそうに小さく笑った。
「分かってるな、華ちゃんは」
「おじさん、カッコいいですね」
「悪いが俺の心は奥さんだけのものだからな?」
華がもういつものように、可笑しそうに笑う。
でも、さっき見せた大人びた横顔が妙に頭に残った。
俺は――。
その後は華と父さんのくだらない話を聞きながら、駐車場に着く。
藤原が柵に寄りかかり待っていた。
「藤原君!」
華が駆け寄る。
藤原の視線が後ろで担がれてる俺に一瞬だけ置かれて、すぐ華に戻った。
「鏡夜と石上先輩、夕夜ん家にいるみたいだよ」
「うん、今名竹君から聞いた」
「一緒に行く? 藤原君も力使ってるし疲れてない?」
「俺今回、魚にしか使ってないから平気だわ」
「魚に?」
「そう、魚に」
「えっ? 僻覚絵を?」
「うん、魚類に効くとは思わないよね」
藤原が目を細めて愉しそうに笑う。
「火事場の馬鹿力出させた」
ああ。
だからあのとき、俺の魚は泳ぎきれたのか――。
その視線が俺に向けられる。
「これ、人間のリミッターも外せると思う? 大伴君?」
「……怖いよ」
「ああ、怒鳴られるからやめておこう」
「……悪かったって」
華がふふっと笑う。
安心したような眼差しで俺たちを見る。
藤原も小さく笑った。
「俺は一回家戻って、夜の無貌戦に備えるよ。榊家の様子も確認しときたいし」
「あ! 夜もあるのか!」
忘れてた、と華は落胆する。
「ああ、さすがに今夜は名竹君と俺で行くよ」
「え?」
華が藤原に不審の目を向ける。
鏡夜に能力を使わないか疑っているらしい。
「元気な名竹君に手は出さないよ。もっと弱ってるとき狙うから」
「それはそれでどうなのよ」
「だから安心して、二人はゆっくり甘い夜でも過ごしてなよ」
「え、今夜は焼肉だよ?」
「煙たいな」
華と藤原が騒いでいる。
父さんが面白そうにそれを眺めていた。
いつもは父さんと二人だけだった墓参りが、今年は妙に賑やかだ。
変な感じ。
「藤原君、君も終わったら鏡夜と来てよ」
俺をベンチに降ろしながら、父さんが誘うと藤原は柔らかく微笑んだ。
「はい、ぜひ」
こいつのこんな顔も初めて見る。
隣にいる華が目を見開いて藤原を凝視する。
⋯⋯正直すぎ。
「あれ、名竹さん。そんな顔してどうしたの?」
「い、いえ? 別に?」
華が視線を逸らすのを、藤原はいつもの笑顔で見下ろした。
父さんは腰を伸ばしながら華に訊ねる。
「で華は、ほんとに行く?」
「あ、はい! ご迷惑でなければ!」
「何言ってんだ、家族だろ?」
先に歩き出した父さんを華が嬉しそうについていった。
「どこ行ったの?」
「母さんのとこ」
「とうとうご挨拶?」
そばに立つ藤原が冷やかす。
「お盆にもきてるけどね。父さんの話に感化されて、せっかくだし会っとくんだって」
「五家の父親の話は聞くもんじゃない」
藤原が苦笑を浮かべながら、隣に腰掛ける。
「俺の親父もあんなだよ」
足を組んで頬杖をついた藤原は、まだ姿が見える二人の背中を眺めている。
「俺は小さい頃に母親亡くなってて、記憶ほとんどないんだけど。この見た目じゃん?」
こっちを見た藤原が悪戯っぽく笑う。
「親父が溺愛なのね」
なんとなく納得して、思わず俺も笑う。
「だから親父の母親への愛情も、読まなくても分かるくらい浴びててさ」
藤原が組んでいた足を解くと、寄りかかって空を仰ぐ。
「そうなるって分かってるのに、みんな一緒にいられずにはいられないみたい」
いつのまにか晴れ間が覗く空を見上げる。
藤原が小さくため息を吐く。
「まったく、五家の呪いだよ」




