第68話 キレてるかな?
藤原君が電話で夕夜に作戦を話している。
私は藤原君の足元で身を屈めながらそれを聞き、無貌と夕夜の様子を伺う。
『大伴君の幾許群。雷無貌のときと同じレベルで放って海水を奴に入れたい』
『了解』
「どうなるの?」
「奴は淡水。海水を混ぜれば流れが乱れるかもしれない」
夕夜が構えると無貌より大きな水流が立ち上がる。
魚群が水流の中で煌めいている。
次の瞬間、無貌とぶつかり渦を巻きながら混ざり合う。
「さぁ、どうなる」
藤原君は愉しそうに目を細めた。
無貌の身体は流れを失い、自重でしなるように倒れ始める。
倒れながらも私のいる方へ手を伸ばしたが、そのまま崩れて水飛沫を上げる。
「いいね」
藤原君は満足そうに笑みを浮かべた。
『あいつ、しつこいな』
夕夜が呟いた。
『大伴君、あと一回いける?』
『大丈夫』
『タイミングで伝えるから』
『⋯⋯分かった』
――夕夜?
夕夜の声がいやに冷たく低い。
『⋯⋯で、次は?』
『⋯⋯電気ナマズ入れてみよう。中枢がどこか調べたい』
『分かった』
夕夜がスマホをしまい構えるのを見計らって、藤原君が通話口を押さえる。
「あの大伴君普通?」
「私もなんか変だと思う」
「キレてるかな?」
「えっ?」
無貌が再び立ち上がる。
私の姿を捉えた仮面は、私に向かってその腕を伸ばしてくる。
夕夜が舌打ちした。
『だから、しつけぇんだよ』
無貌の背中に向かって駆け出すと、至近距離でナマズを放つ。
「夕夜?!」
あれじゃ無貌に触れちゃう!
ナマズを放った夕夜はそのまま、サメを出し無貌に喰らいつかせる。
無貌の水流が割れ形が崩れると、間髪入れずに魚群を無貌に流し込む。
「夕夜っ――」
私と藤原君は飛び出した。
「来るなっ!」
夕夜がこっちを見ずに叫ぶ。
無貌が再生し手を伸ばすたびに、形を崩すだけの攻撃を続ける夕夜。
「あれじゃ体力が持たなくなる」
藤原君がしゃがんで地面に手を置く。
「使うよ? 玉輪――」
私の返事を待たずに、言魂を唱える。
「僻覚絵」
光の輪が広がりながら夕夜の方へ向かう。
「邪魔するな、藤原!」
夕夜が藤原君に向かって、魚を放つ。
魚は光とぶつかり、それを掻き消しながらぼとりと地面に落ちた。
藤原君が目を細める。
「へぇ⋯⋯」
落ちた魚が消えるのを黙って見つめていた藤原君が、その視線を夕夜に向ける。
「名竹さん、あれ止めてきてよ」
「っ! 分かった!」
私は夕夜の元へ駆け出した。
どうしちゃったの、夕夜!
私の移動に合わせて、仮面がこちらを向く。
夕夜も私に気がつく。
「来るなって!」
無貌の腕が五本のまま、私に向かってくる。
夕夜が舌打ちする。
「水鏡――っ」
そこまで呟いて、夕夜の身体が崩れる。
「夕夜!」
無貌の腕が私たちを掴もうと迫る――。
地面に片膝をついた夕夜が息を呑んだ。
「出でよ、月下美人っ!」
私は叫んで、手のひらを無貌にかざす。
手のひらから出た霊力は蔓状になり伸びる。
無貌の腕に絡みつき、締め上げながら裁断する。
無貌の腕が崩れた瞬間に、しゃがみこんで夕夜の身体を支えた。
腕はすぐに再生し、再び向かってくる。
「鱗珠っ!」
飛び出したサメが無貌の体ごと食いちぎる。
が、ただの水でしかない無貌の身体に、その勢いは音だけを立てて消え去る。
砕かれた無貌は噴水から湧き上がるようにまた姿を現す。
「ふざけや――」
「いい加減にしなさいっ!」
立ち上がろうとする夕夜の頭をはたく。
ぺしっという決まらない音が響いた。
夕夜の動きが止まる。
夕夜の呼吸だけが響く。
「華⋯⋯」
「いったん、こっち来る!」
何かを言いかけた夕夜の腕を引っぱり、無貌から離す。
疲れなのか、後ろめたさなのか、夕夜の足取りが重い。
無貌が来ないうちに大きめの木の影に隠れる。
「止まった?」
藤原君が後ろから出てくる。
夕夜は気まずそうに視線を逸らす。
「まず、ちゃんと藤原君に謝りなさい!」
「えっ、やめてよ」
藤原君が引く。
「それより雨が降ったら不利になる。早くしよう」
藤原君の視線の先には、もう元の大きさに近くなった無貌が立っていた。
空に腕を伸ばし始めている。
「次の一撃後、ナマズを投入する。いけるね、大伴君?」
「⋯⋯分かった」
藤原君だって、夕夜にそんな体力が残っていないのは分かってると思う。
でもわざと無理をさせようとしているのも、きっと藤原君の優しさ。
「名竹さんのさっきの……はどれくらい伸ばせる?」
「分かんない!」
「⋯⋯そう」
藤原君が呆れたように目を伏せる。
「じゃあやっぱり大伴君頼んだよ」
そう言って藤原君は一足先に別の場所に移動する。
「夕夜!」
夕夜が視線を伏せたまま顔を上げる。
「私は強いから大丈夫だよ!」
夕夜が視線を揺らす。
うん、それで十分。
「ナマズ、よろしく!」
無貌が私の方を見ているのを確認してから駆け出した。
無貌の腕が私に向けられる。
その奥で夕夜が構えてる。
「出でよ、月下美人!」
無貌の腕が地面を貫く。
同時に、霊力の蔓を街灯に巻き付けた。
引かれるまま地面を滑って、水飛沫の中を抜ける。
振り返ると無貌の身体に青白く電気の筋が走っている。
一瞬で身体を巡った電光は仮面のところで弾け散る。
『そこか』
藤原君の声。
『大伴君、最後。一番強い毒持ってる魚』
スマホから藤原君の有無を言わさない冷淡な声が響く。
『それ海水と一緒に入れて』
夕夜、いける?
心配になって夕夜の方を見ると、夕夜はもう構えていた。
『水鏡――幾許群』
かろうじて立っている夕夜の背後に魚群の水柱が立ち上がり、無貌へと向かう。
スマホから苦しそうな夕夜の息遣いが聞こえる。
『水鏡っ――鱗珠っ』
魚群を追うように、石のような姿の毒魚が無貌の身体へと放たれた。
『玉輪――僻覚絵』
無貌の後ろにしゃがんでいた藤原君から光の輪が広がっていく。
光の輪は無貌を囲むと、その中の魚群を透過していく。
次の瞬間だった。
魚群が毒魚を運ぶように、海水で崩れだした無貌の身体の中を一斉に突き進んでいく。
毒魚は仮面まで届き、内側からごつごつとしたその背びれを突き刺す。
次の瞬間、無貌の身体が大きくうねる。
水流が乱れ、魚群がばらけて弾け消えた。
そして今度は、ぴたりと動きを止める。
無貌の体内では水が流れているのに、不気味に固まっている。
パキッ。
乾いた音が響く。
仮面にヒビが入っている。
あれを壊せば?
「出でよ、月下美人!」
右手に霊力を集中させて、細い蔓を一本の茎にする。
鏡夜の剣のような霊力をイメージして、硬度と鋭さを作り出す。
出来た!
「月下美人剣!」
片手で持てる細身の剣。
これならっ!
動かない無貌に駆け寄り、仮面に向かって剣を投げつける。
『あ、投げるんだ』
藤原君の思わず漏れたような声が聞こえる。
仮面に剣が突き刺さる。
パリンッ――。
高い音を立てて仮面は細かく崩れて粉々になる。
仮面が消えた無貌は制御を失ったかのように弾け散った。
無貌が消えたと同時に結界が解かれ、さらさらと小雨が降ってきた。
「外では降ってたみたいだね」
無貌で出来た水たまりを踏みながら、藤原君が小さな笑みを浮かべた。
「夕夜っ!」
最後の毒魚を出したあと膝を抱えて座っていた夕夜に近寄る。
「大丈夫?」
覗きこむと、視線を避けるように顔を伏せた。
夕夜の頬を……雨が伝ってる。
「俺、斎藤探してくる」
藤原君の背中に思わず頬が緩む。
夕夜の前にしゃがんで、さっき叩いてしまった夕夜の頭を撫でる。
「叩いてごめんね」
「……平気」
夕夜を撫でていた手を掴まれる。
手を返して、ぎゅっと握り返した。
「私、強かったでしょ」
俯いた夕夜の頭が少し下がる。
「……ダサかった」
「なんでよ!」
夕夜が小さく息を漏らす。
握られたままの手がぽとりと落ちた。




