第64話 隠せない想い
「藤原君、全然落ち込んでないじゃん……」
「だから言ったでしょ」
「そういうタマじゃねぇだろ」
夕夜と兄が呆れた視線を向ける。
「名竹さん、クソチョロ甘いな」
藤原君は肩を寄せて、わざとらしく色気をぶつけながら覗き込んでくる。
「そろそろ俺のこと、分かってくれてもいいんじゃない?」
「こうも人智を超えられるともう分かんないよ。理解もしたくない、しちゃいけない」
「そこまで言われると、落ち込むな」
調子のいい藤原君を睨むと、なぜか嬉しそうに笑う。
「ああ、そうだ名竹君」
「なんだよ」
「何が知りたい? 俺の秘密」
あ、リレーの……
本当に教えるんだ……
藤原君は挑発するような目で兄の答えを待っている。
この顔⋯⋯本当に教える気ある?
「……そうだなぁ」
さすがに兄も気づいてるらしく、にやりと笑った。
「ユーヤ君にその権利譲ろうかな」
「は?」
夕夜が驚いて兄を見る。
「ユーヤの方がコーキを崩せるからな」
藤原君は表情を緩めて、小さく笑う。
「確かに。大伴君には弱いからな俺」
「今じゃなくていいんだろ? いざというときに使ってやれ、ユーヤ君」
兄は呆然とする夕夜の肩をぽんっと叩く。
「うまく使えよ」
「それは怖いな」
そう言いながらも藤原君は、愉しそうに目を細めた。
藤原君は時計を見上げる。
「じゃあ、話も終わったことだし。授業戻ろうかな」
「え?! 今から」
「ちょうど半分くらいだしね」
「中途半端すぎない?」
藤原君が食器を片付け始める。
「だからだよ」
藤原君はにやりと笑った。
***
「ゆ、夕夜先生。ここは……?」
「ちょっとは自分でもやりなよ、華」
「お、鬼!」
小声で優しくない夕夜に文句を言う。
「どこに詰まってるんだ、名竹妹は」
「ひっ! だ、大丈夫です」
放課後。
サボった古典の補習をやらされている。
鷹野先生付きで。
イケメンな上に面倒見がいいなんて……今に限ってはいらない設定だ。
分かってないのがバレてしまうではないか。
「ほんとに大丈夫か? 半分取れるまで帰れないからな?」
「俺終わったよ」
藤原君が気だるげに体勢を崩したまま、プリントを鷹野先生に渡す。
先生は受け取ったそれを見て表情を歪める。
「帰っていいよね?」
「お前は、ほんと教師泣かせな奴だよな」
「それ褒めてくれてるの?」
「んなわけねぇよ。授業だって微妙な時間に戻ってきやがって。どうせお前主導の嫌がらせだろ」
確かにそう。
鷹野先生のこの顔が見たかっただけなんだろうな。
「出席にしてくれる?」
「するわけなかろう」
「ケチだな」
藤原君は愉しそうに笑った。
手持ち無沙汰になった藤原君の次の標的は、私の答案だった。
「相変わらず助動詞やばいね」
「またか名竹妹」
「華。訳す前に、直前の形を見てる?」
見かねた夕夜が椅子を引き寄せ、私のプリントに線を書き込む。
「ここがエ段だから、この『り』は存続の『〜している』」
「う、うん」
「意味を決めてから訳して、文章全体を見る」
「うん」
「この前、組み合わせは覚えたでしょ。それに当てはめるだけだから」
藤原君が鷹野先生を見上げる。
「先生いらないみたいよ」
「逆になんでこれで出来ないんだよ。ほんと教師泣かせばっかだな」
先生はため息を吐いた。
「俺、わりと教師の評判いいはずなんだけどね」
藤原君が試すような視線を先生に向ける。
「どっかから俺の本性漏れてるのかな?」
「俺を騙そうだなんて千年早ぇよ。どれだけの問題児抱えてきたと思ってんだ」
「相変わらず年寄りくさいな」
藤原君はふっと笑った。
鷹野先生は眼鏡を外して、藤原君に視線を下げる。
「藤原、女関係は問題起こすなよ?」
「あ、それも知ってるんだ」
「名竹はともかく、榊家に手を出すのはやめとけ」
「榊家?」
藤原君は目を細める。
「先生、榊天音の実家のことも知ってるんだ?」
「教師は生徒の個人情報持ってるからな」
藤原君の視線が一瞬揺らいだ。
口元が緩むのを隠すように、わざとらしく笑顔を見せる。
「はは、大丈夫だよ。榊さんにはフラれたし」
「本気でもなかったろ」
「俺、名竹さんに面倒見てもらうから」
「はっ?!」
突然に話を振られて、変な声が出る。
先生は夕夜に視線を向ける。
「大伴はそれでいいのかよ」
「そこは……名竹さんに任せてます」
夕夜はプリントに視線を落としたまま、淡々と答えた。
「えぇ?!」
「はは。なんだ、ちゃんと進んでるじゃねぇか」
先生はため息混じりに優しく笑った。
***
「ね、ねえ藤原君?」
私と藤原君は下駄箱で、鏡夜を呼びに行った夕夜を待っていた。
「何?」
「一応、言っとくけど私は藤原君とは付き合えないよ?」
藤原君の表情に、軽蔑と呆れと皇帝が混ざる。
「頭湧いてんの?」
「い、いえ。大丈夫なら、大丈夫です。すみません」
「ちょっと恋愛観拗らせすぎじゃない?」
「藤原君は倫理観拗らせす……」
皇帝藤原に睨まれて声が出なくなる。
くっ、怖くないもん!
恐怖政治には屈しない!!
藤原君と無言で睨み合ってると、足音が近づいて私たちのところで止まる。
振り向くと下駄箱の横に林さんが立っていた。
林さんも驚いている。
「あ、林さん……。えと、久しぶり」
なんだかんだで、顔を合わせるのは入学式以来だった。
林さんが夕夜に告白してたことを思い出して、なんとなく気まずくて、視線を逸らす。
林さんの視線は私と藤原君を見比べている。
「名竹さん、大伴君とどうなってるの?」
「え、夕夜?! あ、あの、別に――」
藤原君が制止する。
「それ聞いてどうするの?」
「え?」
藤原君は鋭い視線のまま、笑顔を浮かべる。
その笑顔に林さんは、不安そうに長い髪をかき上げた。
「それとも、なんか使えそうな噂でも聞いた?」
「使う⋯⋯って?」
「ほら、掲示板に書けそうなやつとか?」
「っ!」
あ、そうだった。
林さん、裏掲示板に私のこと……。
「ああ。でもあの掲示板、名竹さんのこと書き込んでも、内容変わるんだよね」
林さんの表情が一瞬固まり、そのまま俯いてしまう。
「ちょっと細工したら、毎回同じやつが引っかかるじゃん? 誰だと思う?」
藤原君、そこまでして調べてくれてたのか。
そして、いつの間にか消えていた噂は、やっぱり藤原君のおかげだったんだ。
藤原君をじっと見ると、無表情のまま視線を逸らした。
「あの、林さん!」
俯いた林さんの目が向けられる。
「わ、私ね、自分の気持ちも最近気づいたばかりで、林さんに、なんなら夕夜にもいっぱい嫌な思いさせちゃって」
藤原君の呆れた視線を横に感じる。
「でも、もう隠せないから! お互い正々堂々と向かい合おう!」
「え……」
林さんが戸惑ってる。
藤原君が黙って私を見下ろす。
「え?」
「あ、私、もう大伴君は……」
「へっ?」
「さ、さすがに諦めてるよ?」
「えぇ?!」
藤原君が吹き出す。
「ただ、藤原君と名竹さんが一緒にいるから、大伴君振られちゃったのかと思って」
私は藤原君と顔を見合わせる。
この人とどうとか、あり得ないのになぜみんな信じるんだ……。
「それだったらやっぱり名竹さん、許せないなと思って」
「それで俺たちのこと掲示板に書こうと?」
藤原君が容赦なく訊ねる。
林さんは気まずそうに視線を逸らした。
えっ、そうなの?
「マジで? 俺、倫理観ねー奴無理だわ」
いや、突っ込まないよ。
「私は……」
林さんは眉を寄せながら呟く。
「中学のときから大伴君好きで見てたから、貴方の無神経さも、大伴君の真面目さも分かってる。そこまで言うなら、ちゃんとしてよね」
「は、はい」
そう言うと林さんは私たちの脇を通り、目を合わせることなく帰って行った。
彼女の後ろ姿を見えなくなるまで見送る。
「解決、したのかな?」
「あとは名竹さんが告白すれば万事解決じゃん?」
「あ。それはまだ早い、かも」
「は? あんたさっき、もう隠せないとか恥ずかしいこと言ってなかった?」
「痛いところを⋯⋯」
藤原君が呆れたようにため息を吐く。
「で今度は?」
「その……夕夜の部屋にはまだ入れない、かなって」
「は?」
「入ろうとして、怒られましてね」
「……だろうね」
「結果、藤原君が一番安全だったって話」
「俺を巻き込まないでくれる?」
隠しきれなくなった想いは、少しずつその形が見え始める。
けれど、その名前を口にするには、まだ少しだけ覚悟が足りなかった。
―― 第三章 完 ――




