第62話 あれはビジネスの色気です
「だ、だからね。あれはビジネス色気なの!」
日差しに汗ばむ初夏の公園。
⋯⋯のはずが、このベンチだけがツンドラだ。
コンビニで買ったサンドイッチも全然喉を通らない。
「何、ビジネス色気って」
夕夜は前を向いたまま、低い声で呟く。
「戦略っていうの? ほら、藤原君って空気から支配する皇帝じゃん!」
「意味分かんない。華は藤原に懐きすぎだよね」
「だって藤原君だよ? 危なすぎて逆に安全地帯みたいな」
夕夜がやっとこっちを向く。
「それって俺が同じことしても安全だと思うの?」
「えっ?」
「⋯⋯試していい?」
「は?」
夕夜の顔が近づき、手が私の頬へ伸びてくる。
心臓が止まる――。
「だ、だめっ!!」
思わず夕夜の胸を押し返す。
夕夜が俯く。
あ、やっちゃった――。
「ご、ごめ、夕夜」
夕夜の腕に触れると、小さく震えてる。
息の漏れる音。
「え?」
「ふっ。だめって」
夕夜が声を殺して笑ってる。
な、何?
これって怒ってる?
なんで笑ってるの?!
「ゆ、夕夜?」
「傷ついた」
「え?」
「藤原は良くて、俺はだめなんだ?」
笑いの残る視線をこちらに向ける。
「だってそれは! 全然違うじゃん!」
「何が違うの?」
「それは、だから! ほ、ほら! ね!」
「でも俺も安全だと思ってるから、昨日も部屋に来たんでしょ?」
「あ、いや。それは⋯⋯」
そ、そういうことか。
私が完全にアウトじゃん!
急に恥ずかしくなり、視線を下げる。
「で、今夜どうしよっか?」
私の髪を払いながら、わざとらしく顔を覗き込んでくる。
「っ!! ごめんなさい、ごめんなさい!!」
絶対赤くなっている顔を手で隠しながら、謝りまくった。
夕夜はため息を吐いて、少し離れる。
「分かったならいいけど」
っていうか、それって――。
夕夜はそ、そういうこと考えるのかな……。
だとしたら……私には無理な気が……。
いや、余計なこと考えるの、やめとこう……。
すべてを飲み込んでしまおうと、サンドイッチを無理やり頬張る。
けどお腹は空いてるはずなのに、どうにも胸の辺りでつっかえてしまう。
そんな私を見た夕夜がふっと笑うから、私の心臓はまた止まった。
「で、藤原の話って?」
「え?」
私の呼吸が戻る。
藤原君のって……何だったっけ⋯⋯。
なんか色々考えすぎて、脳が疲れてる。
「あのとき、何かあったんでしょ?」
「あ、うん」
「鏡夜になんかしたんでしょ、藤原」
まぁ夕夜なら気づくよね。
「出来なかったみたいだけど。藤原君、鏡夜の中のかぐや姫を見ようとしたって言ってた」
「え、“見る”?」
「え?」
夕夜が明らかに驚いている。
「あ、いや。こっちの話」
「どんな能力だと思う? 『チャンスがあればまた試す』って⋯⋯」
鏡夜もだけど藤原君も心配だ。
大きな代償があるはずの力――できれば使わせたくない。
ため息を吐く私を、夕夜はじっと見ていた。
「陽と陰は反対だから、僻覚絵とも逆の作用になってるはず」
「藤原君は『僻覚絵は上書き』って言ってた」
「上書きか。なら元の記憶は消してない、かな」
夕夜は、ヒントを探すようにペットボトルの角度を変えている。
「もう一つは “消去” だと思ってたんだけど、“見る” と合わない」
「僻覚絵は “見せる” で、もう一つは “見る” とか?」
「かもね。でも記憶も実際に操作してるから、それだけじゃないはず」
――『言っただろ? 藤原家は記憶改竄が得意って』
確かに藤原君はそう言っていた。
たぶん人を変えてしまうような何かが出来る。
「僻覚絵は “ 見せて上書き” してる。だからもう一つも “ 見て何かをする” が出来ると思う」
夕夜が宙に掲げたペットボトルを下から見上げる。
「別のデータで上書き⋯⋯パソコンみたいだな」
夕夜が呟く。
「“見る”はファイル参照? 記憶を選んで……フォルダ移動させる、とか?」
夕夜の視線が私に向けられる。
「ゴミ箱に移せば表向きは “記憶の消去” ……」
「夕夜?」
「あ、いや」
夕夜の表情が戻る。
「そもそも藤原が本当のこと言うとも思えないし、勝手に推測したらそれこそ “認識のズレ” になりそうだね」
「確かに……」
「俺たちに出来ることは、藤原が鏡夜に能力を使うのを止めること」
「え?!」
顔を上げると夕夜が優しく微笑んでいた。
私の考えなんてお見通しらしい。
「止めたいんでしょ?」
「うん!」
「なるべく鏡夜のそばにいよう」
「うん、夕夜ありがとう!」
嬉しくなって夕夜の腕にしがみつく。
やっぱり夕夜は安心する。
「華……」
夕夜の呆れた声。
「え、これもだめ?」
少し身体を離す。
「逆に俺がそれやったらどうなの?」
「へっ?!」
「……同じだから」
視線を背けながら立ち上がった夕夜は、少し顔が赤かった。
そんな夕夜を見てなんだかむず痒くなった。
***
月曜日。
教室に入ったと同時に、高い破裂音が響く。
みんなが見ている中、藤原君が天音さんにビンタされていた。
「えっ?」
顔を背けた藤原君と目が合う。
藤原君は口元に僅かに笑みを浮かべた。
「な、何が?」
私が戸惑っていると、後ろに立っていた夕夜が私の肩を押さえる。
夕夜は状況を確認するように教室を見回して、二人に視線を止める。
「夕夜?」
みんなの注目を浴びながら、天音さんが藤原君に一歩近づく。
「私だけじゃなく、華ちゃんにも手を出すなんて最低」
「天音さん、俺のことなんて相手にしてなかったじゃん」
藤原君がへらへらと笑う。
「だからって友達の彼女に手を出すとか論外だから」
「効率悪いのは嫌いでね」
藤原君が意味ありげに天音さんを見る。
な、何?
藤原君、なんでそんな?!
「ほんとクズ」
天音さんが低く呟いて、藤原君を半目で睨む。
けど口元の端がほんのわずかにあがった気がした。
「ちょ、ちょっと二人とも待っ――」
「華」
今度は夕夜が両腕で私を抱き寄せる――というより拘束される。
身動きが取れない。
本当に訳がわからない。
藤原君が夕夜と視線を交わしてる。
「名竹さんは優しいしね」
「はっ?!」
「ちょっと慰めてもらおうと思っただけ」
そう言って、薄く笑った藤原君は教室を出ていってしまった。
え、何なの――。




