第61話 22時、夕夜の部屋
家に帰ると、兄はいつものようにソファでだらけて、夕夜は焼きそばを作っていた。
送ってくれたついでに、二人の様子を気にしてついてきてくれた藤原君もさすがに言葉を失っている。
「あ、おかえり。藤原も、ありがとう」
「えっ? 何やってんの夕夜」
お風呂まで入っているのか首にタオルをかけ、乾ききってない髪のまま、焼きそばを炒めてる。
「鏡夜が騒ぐから夕飯作ってる」
「何、大伴君って意外と主夫属性?」
「お前、ユーヤ君の焼きそば舐めんなよ。マジ飛ぶよ?」
藤原君は兄に冷ややかな視線を向ける。
なんかせっかく来てくれたのに……
こんな兄ですみません。
「⋯⋯なんか平気そうだし、俺帰るね」
「おい、ユーヤさんの焼きそば食べてけよ」
「⋯⋯また今度ね」
「下で斎藤さん待ってるしね。お礼、伝えておいてくれる?」
「斎藤はそれで金もらってるんだからいいでしょ」
「お前の世話なんざ、いくら貰っても割に合わないだろ」
確かに、と言いかけたけど飲み込んだ。
藤原君を玄関まで送る。
「なんか色々、ほんとにありがとう」
「俺にはあれが戻ってるようには見えないけど、まあ最悪にはならずに良かったね」
「うん、藤原君がいてくれて本当に助かったよ」
「今度返してもらうね」
「う……私に出来ることなら」
藤原君の口角が上がる。
「言質取った」
「えっ?!」
「じゃ、また来週」
藤原君は、小さく笑って出て行った。
扉を閉めて振り返ると兄が立っていた。
「あいつに借り作るなんて危ねぇぞ?」
「ほんと、今度は何やらされるかな」
ろくなことはなさそう。
苦笑いで答える。
「……まあ」
鏡夜の腕が伸びてきて、寄りかかるように抱きしめられる。
「俺のせいだし、困ったら言って?」
「ふふっ……頼りに、してる」
涙が出そうなのをなんとか堪える。
でも少し声が震えた。
「ハナ、ごめんね」
「大丈夫だよ」
大きい子供みたいな鏡夜の背中をぽんぽんと叩く。
さらにぎゅっと締め付けてくるから苦しくなって強く叩いた。
「苦しいってば」
「ハナちゃん、小っちゃいな」
「鏡夜がデカいだけだよ」
鏡夜が目を伏せて笑った。
「よし! 夕夜の焼きそば、食べよう!」
リビングまでの短い距離を、鏡夜の手を引いて歩いた。
***
22時。
夕夜の部屋の扉を小さくノックする。
たぶん寝てないとは思うんだけど。
ドアが静かに開いた。
まだ何も言っていないのに、なぜか呆れた夕夜の顔。
「……何?」
心なしか低い声。
不機嫌そうに腕を組みながらドアに寄りかかる。
あれ、何か怒ってる?
「あのね、話したいことが」
「……今?」
「……に決まってない?」
じゃなきゃ来るわけない。
鏡夜には内緒で藤原君のことを話したかった。
「……どこで?」
「え、部屋入れてよ」
夕夜がため息を吐く。
「何考えてるの?」
「え、藤原君の能力についてね」
「そういうことじゃなくて」
夕夜が苛立っている。
「俺、男。家族じゃないって言ったよね?」
「は?」
「明日聞くから」
そう言って一方的に扉を閉められた。
――な、なんなの?!
なんかムカつく!!
な、なに、そういうことしか考えてないの?!
ドアを蹴りつけてやりたい衝動をなんとか抑えて、部屋に戻る。
こっちは少しでも早く話したかったのに。
理性ってもんが無いの?!
こんなの、藤原君の方がまだ紳士じゃん!
夕夜へ言ってやる文句を考えるつもりだったのに、体育祭と鏡夜のことで限界だったらしい。
毛布に包まると、夕夜への怒りと共に秒で眠っていた。
そして朝――。
……超気まずい。
もう9時になろうとしている。
いくら休みでもそろそろ部屋から出なければ。
ああ、これは私が謝るべきなの?
いや、その必要はないよね?
扉をそっと開けてみる。
よし、誰もいない。
忍び足で洗面所に駆け込んだ。
顔を洗って改めて考えてみる。
うん。
私、何も悪くないよね?
疲労にため息を吐きながら、洗面所のドアを開けると――
夕夜が立っていた。
「ゆっ!」
「おはよう」
「……おはよう、ございます」
思わずその視線から逃げる。
夕夜がふっと笑う。
「部屋じゃなければ話聞くけど」
覗き込む夕夜が視界に入ってくる。
「コンビニでも行く?」
「行く、です」
「外で待ってる、急がなくていいから」
「……はい」
「はい」
夕夜がくすっと笑う。
参ったな、もう文句言えないじゃん。
なんか私が子供みたい……。
「おはよ、ハナちゃん」
リビングに入ると着替えまで済んだ兄が出かける準備をしている。
「あれ、鏡夜も早いね。どっか行くの?」
「まあ」
曖昧な返事。
はっ! もしかしてデート?!
私の表情を見て兄は小さく笑った。
「ハナ、ユーヤの言うことちゃんと聞けよ?」
「え?」
「今のあいつは間違えないよ」
「千里眼」
「顔見りゃ分かる」
本当にどこまで分かってて言ってるのか分からない兄。
でも兄が言うならそうなのかな。
いや、でも⋯⋯!
「私って謝るべき?」
「何を謝んの?」
「え、分かんない」
鏡夜がはっと笑う。
「じゃあやめときな」
それだけ言って何のアドバイスもくれずに兄は出ていってしまった。
窓から覗くと、夕夜と兄がアパートの入口のところでなにか話している。
夕夜が顔をしかめ、兄が笑いながら夕夜を叩いてる。
仲いいな。
昨日のことが何も残ってなくて安心する。
さっと準備を済ませて下に降りると、兄はもういなかった。
「お待たせ、しました」
「はい」
私が眉をひそめると、夕夜はまた可笑しそうに笑った。
「なんか、怒ってたんじゃないの?」
歩きながらそっと聞いてみる。
「怒ってたの華の方でしょ」
「えっ?」
「ドア蹴りそうな勢いだった」
夕夜が笑う。
「だって夕夜のことは信用してるのに⋯⋯」
「それとこれは別。俺だって危ないって知ってるでしょ⋯⋯」
――水族館のときの⋯⋯。
「あれはちょっと違うじゃん」
「違くないし、男はそういうもん」
「えー、でも藤原君なんて全然だったよ?」
夕夜が足を止める。
「⋯⋯それ、何の話?」
笑顔の夕夜が怖い。
――なんか自滅した、かも。




