第60話 こちら側へようこそ
「え、保健室?」
てっきりパソコン室とかに行くのかと思っていた。
「養護教諭の牧野、セキュリティ甘くてね」
藤原君はノックもなしに保健室に入る。
「えっ」
「牧野、今グラウンドにいる」
「ああ……用意相変わらずで」
中では数人の生徒が、ケガの手当をしていた。
藤原君のお出ましに視線が集まる。
「それ借りてもいい?」
薬の並んだワゴンの近くで手当てをしている二人に近寄り、余っている救護ボックスを一つ借りる。
場所を探すフリをして、藤原君は窓際の牧野先生のデスクに近づく。
パソコンのモニターは窓側を向いていて、みんなからは見えない。
それでも藤原君は抜かりなく、手元を隠すように、キーボード脇に救護ボックスを置いた。
さりげなくパソコンの画面を点ける。
「名竹さん、こっち」
「あ、はい」
藤原君は、自分の横へと椅子を引き寄せる。
藤原君がわざと私を気にかけるように振る舞って、みんなの視線を私に向けるようにしているのが分かる。
「ここ座って」
促されるまま椅子に腰掛ける。
みんなは横目で、ちらちらとこちらを伺っている。
「あの、みんなすっごい見てるけど⋯⋯」
パソコン画面は見えなくても、下手に動いたら怪しまれそうだ。
小声で言うと、藤原君が周囲を見回して口角を上げる。
「あとで大伴君に謝っといて」
「え、何を?」
「動かないで」
そう言うと立ち上がった藤原君がデスクに手をかけ、前屈みになる。
後頭部を軽く抑えられ、首元に藤原君の顔が近づく。
藤原君の髪から柑橘系の香りがする。
唇が触れないようにぎりぎりで止まり、しばらくすると藤原君はそのままわざと周りに視線を向けながら顔をあげる。
藤原君が離れたときには、みんなはこちらを見ないようにしていた。
「なんなんだ……」
この人、普段何してんの?
眉をひそめる私を見て、藤原君はくすくすと笑った。
「そのまま俺を見つめといてよ」
そんな甘いセリフとは裏腹に、藤原君の指は静かにキーボード叩いていく。
恐らく生徒が入ってはいけないような管理ページを迷いなく開き、日時ごとに並んだフォルダを選択する。
画面には渡り廊下のカメラ映像が映し出される。
藤原君は慣れた手つきで早送りを始めた。
画面の隅に鏡夜が映っているのが見えて、思わず目を逸らしてしまう。
藤原君は淡々と動画編集をするかのように、切り分けて繋ぎ直していく。
映像から鏡夜の姿が消える。
「この画角だと、そこのカメラも映ってるか」
保健室の廊下に設置されたカメラに視線を向け、パソコンの画像を切り替える。
藤原君の指が細かに動く。
いくつかのフォルダを確認して数分で作業を終える。
画面をスリープにすると、くるっとこちらに向き直った。
「これで本当に捕まるときは一緒だな」
「はっ?」
「こちら側へようこそ」
藤原君が妖しく笑う。
「えっ⋯⋯そんなに?」
藤原君は立ち上がると、私を見下ろす。
「ほら、さっさと行くよ」
「は、はい」
藤原君は扉を開けると、脇に避け先に通るように手を差し出す。
「?」
「どうぞ?」
「はぁ……」
藤原君はこちらをこっそり覗き見る生徒たちに不敵な笑みを浮かべてから、保健室を後にした。
「なんだったの?」
「レディファースト知らないの?」
「……こっちのセリフなんだけど?」
そう言うと藤原君は小さく笑った。
中庭に戻ると石上先輩が、私たちを見て安心したように顔を綻ばせる。
三人とも穏やかな顔で眠ってる。
「とりあえず傷は治したぜ」
「さて、どこまで残そうか……」
藤原君がしゃがみ込み、口元に指を当てる。
「こいつら、あれだろ?」
「うん。名竹君が途中まで吐かせてる」
なんか物騒な話をしている。
聞いてもいいのかな。
「まぁそこまでは残しておくか」
「意味あるか?」
「名竹君への恐怖は残ってた方が都合がいい」
「ああ、まあ……そうだな」
先輩は心配そうに私を見る。
なんのことか分からないけど、今は鏡夜を助けてくれようとしている藤原君を信じるしかない。
しゃがんだままの藤原君は地面に手を当てる。
「玉輪――僻覚絵」
藤原君の手を中心に白い光の輪が広がる。
倒れてる三人を透過しながら包み込み消えていく。
藤原君の身体がそのまま崩れる。
呼吸が浅くなっている。
「はあ⋯⋯さすがに、連発はキツい」
「大丈夫か?!」
先輩がすぐに白兎を出す。
藤原君の呼吸が元に戻り、身体を起こした藤原君が自分の身体を眺めてる。
「即効過ぎて怖いね」
「素直に礼を言え」
「ありがとね」
「急に言うな」
藤原君が小さく笑う。
「てか光輝君の技は何なの? 消してんの?」
「俺のは記憶の上書き」
「上書き?」
「油絵みたいなもん。上から違う記憶塗って見えなくしてるだけ」
「だけって⋯⋯そんなもん光輝君に待たせるなよ」
「俺もそう思うよ」
藤原君は目を細める。
「代償あって良かったよね」
「そ、それって “陽” なの?」
「知らない方がいいと思うよ?」
藤原君は口角を上げる。
私と石上先輩は顔を見合わせる。
背筋がぞくっと震えた。
「おはよう、先輩方」
目を覚ました三人がびくりと肩を震わせる。
藤原君の笑顔を見て怯え出す。
なんか……藤原君もしっかり恐怖の対象になってない?
石上先輩も呆れた視線を向けている。
「今回はお互い無かったことにしようか」
三人は無言で何度も頷く。
藤原君が冷たい視線で彼らを見下ろす。
「あいつに手出したら、流すからね?」
「……怖ぇ」
石上先輩の方が掠れた声を漏らす。
三人は逃げるように中庭から去っていった。
「そろそろ終わるよ?」
「え?」
「体育祭」
「あ、そうだ! 俺、閉会も仕事あったんだ!」
石上先輩が慌てて、校庭へと戻っていく。
お礼を言い損ねてしまった。
「相変わらず真面目なヤンキーだな」
「藤原君は?」
「俺は、もういいかな」
藤原君はそのままベンチに腰掛けて、スマホをいじり出した。
動かない私に顔を上げる。
「閉会式、一緒にサボる?」
「……うん」
なんだか気分が乗らない。
「あ、でも片付けは行かなきゃ」
「あんたも真面目だな」
藤原君が小さく笑った。
手元のスマホの画面を差し出してくる。
「大伴君から。名竹君と二人で先に帰ったみたいだよ」
「あ、そっか。私スマホ預けっぱなしだ。やっぱり戻るね」
「てかあんた、一人で帰れんの?」
「子供じゃないんだから」
藤原君はじっと私を見る。
「帰れるってば」
「打ち上げもあるみたいだけど」
「うーん。夕夜いないし、そっちはいいかな」
「はは、しっかり飼われてんな」
「何が?」
藤原君がくすくすと笑う。
「大伴君から依頼あったから家まで送るよ」
「え、過保護すぎない? 夕夜」
「今さら」
――藤原君の活躍に一目置いたのも束の間。
藤原君はやっぱり藤原君で。
このときすでに、彼の撒いた種は新たなトラブルの芽を出していた。




