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第54話 分からない気持ち


「コーキ、どうしたの?」


「何、名竹君?」


 低い声で視線だけを兄に向ける。


「……いや? 別に」


 兄は藤原君を見なかったことにした。


 体育館のステージの脇で、みんなの視線を集めながら、藤原君はあぐらに肘をついてコートを見下ろしている。


 皇帝が不機嫌だ。


 私と夕夜はステージ脇の階段に腰掛けて、兄の片付けが終わるのと藤原君の機嫌が直るのを待っている。


「華に言い負けたから拗ねてる」


 夕夜がくすくすと笑う。


「別に拗ねてない。意味分かんない理屈でロジック崩されて気持ち悪いだけ」


「意味分かんないって⋯⋯あれだけ天音さんと駆け引きしといて」


 言い返すと藤原君は私をじっと見る。


「名竹さんは他の男と会うとき、大伴君に隠す? 見せつける?」


「わっ! たしは、そういうのはないけど!」


「⋯⋯だろうね」


 藤原君がつまらなそうに視線を外す。


 この男、ほんと――


「そういうのを夕夜の前で言うのが、まず乙女心分かってないからね?」


「え、そのナントカ心って名竹さんにもあるもんなの?」


 ⋯⋯なんか。

 本気で驚いているように見えるんだけど?


 ふざけているのかが分からない。

 どちらにしてもひどいけど。


「華は乙女心に関しては、俺にもうるさいよ」


 うるさいって……夕夜⋯⋯。

 そう思ってたの?


 フォローなのか追い討ちなのか、夕夜も大概だ。


「女ってマジ分かんない」


「だよね」


「⋯⋯うちの頭脳班ポンコツだった」


「ほんと。お前ら、それじゃモテねーぞ」


 制服に着替えてきた鏡夜が、ステージの下から二人を笑う。


「やーい」


「いや、ハナもだよ。駆け引きくらいしなよ」


 被弾した。

 真のモテ男に、言い返せる者などこの中にはいなかった。


「なぁコーキ、ちょっと」


 藤原君が頬杖をついたまま、視線だけを兄に向ける。


「今朝の」


「ああ」


 藤原君がやっと立ち上がる。

 兄は夕夜に目配せする。


「華、行こ」


「え」


 夕夜に手を引かれ、そのまま体育館を出る。

 下駄箱まで来ると、夕夜は二人の方を見た。


「今度は何、企んでるんだろうね」


「夕夜も知らないの?」


「まだ聞いてはいない。まぁ、隠すというよりはあの三人の方が動きやすいってことなんだろうけど」


「えっ! まさか本当に裏取引?!」


 夕夜がふっと笑う。


「乙女心を当てたくらいだから、それもバカにはできないかもね」


「やっぱバカにしてたんだ」


「そんなことないですよ」


「小うるさかったらしいもんね?」


「いや、すごいなって思ってますよ」


「言い方」


「ははっ」


 夕夜が声を出して笑うから、また萌える。

 この可愛い夕夜はやめて欲しい。

 なんだか無性に――


 ……ん? 


 無性に――?


「って何?」


 思わず夕夜に聞いていた。

 意味の分からない質問に夕夜が一瞬だけ表情を崩した。


「え、何が?」


「あ、いや? あれっ?」


「華?」


「ううん……なんでもない――?」


 自分でもよく分からない。

 ぼうっとするような、それなのに焦るような、変な気持ち。

 少し戸惑ってる夕夜の顔から目が離せない。


「ほんと大丈夫? どっか座る?」


「お、おかまいなく」


 覗き込んできた夕夜の顔が近くなり、俯く。 

 何かあっても支えられるようにしてくれてるのか、すぐそばに差し出された手が目に入った。


 骨ばった、大きな手。


 胸がざわつく。

 なんだろう、この気持ち……。


「は、華⋯⋯?」


 声が落ちてきて顔を上げると、夕夜が手の甲で口元を隠してる。

 少し顔が赤い。


「え? 夕夜?」


「何か、あった?」


 視線を逸らしたまま夕夜が聞いてくる。

 手に熱を感じて、視線を落とす。


「え、何で?」


 思わず自分で突っ込んだ。

 いつのまにか私の手は夕夜の指を二本だけ掴んでる。


 驚いて顔を上げると、夕夜が困ったように私を見る。

 その表情にまた呼吸が詰まる。


 夕夜の手の硬さが指に触れている。


「いや、待って」


 夕夜の顔を隠していた方の手が、無意識に関節をなぞっていた私の親指を制止する。


「ほんとに何?」


「え……なんだろう」


 なんか、今まで気づかなかった自分との手の違いを確かめてみたかった。

 なんとなく触りたかった。


「わざとじゃないなら、やめて」


「……わざとって?」


「……」


 夕夜がじっと私を見る。

 少しだけ視線を外される。


「困るの華だよ?」


「何が?」


「分からないうちはやめて」


 そう言って、そっと指を外された。


「あと……」


 夕夜が怒ってるような、呆れてるような顔をする。

 一瞬だけ言おうか迷ったような間があいて、それでも視線が戻ってくる。


「⋯⋯藤原とかにはやらないでよ、そういうの」


「さすがに他人にはやらないと思うけど」


「⋯⋯それ鏡夜はどっち?」


「鏡夜ならやるかも?」


「まあ……鏡夜ならいいけど」


「家族ならオッケーな感じでしょ」


 夕夜が無言で私を見る。

 何か不満げな表情。


「何?」


「それ俺を家族にカテゴライズしないでね」


「えっ、あ、う……ん」


「兄にはならないよ」


 きっぱりと言う夕夜。

 少し向きの変わった距離が照れくさい。


「じゃあ、おと――」


「弟にもならない」


 冗談も見透かされていた。

 夕夜の口元が少しだけ笑う。


「ふふっ。こんな弟はやだなぁ」


「……分かってないでしょ」


 お互いに小さくため息を吐いた。


「俺は弟になってあげてもいいけど?」


 声がして振り返る。


 下駄箱の横で、藤原君がにやにやと笑っていた。

 後ろには鏡夜と玲香もいる。


「俺と家族になる?」


「え、それはすごく嫌」


「えー、結構可愛いと思うよ?」


「どこがだよ。うちにはいらねーよ」


 兄が耐えきれずに突っ込む。


「私はアリ寄りのアリだよ」


「いや、こっちがナシ寄りのナシ」


 藤原君が玲香に冷たく言い放つ。


「藤原光輝は、姉には万年反抗期の生意気ショタ枠かな。外面は良くても、姉の前だけは妙に態度悪いやつ」


 あっ。

 斎藤さんとの関係は確かにそんな感じかも。

 思わず吹き出してしまう。


「名竹さん。可愛い弟がずっとついててやるよ?」


 目を細めた皇帝の低い声。


「何で私なの?! 言ったの玲香!」


「大伴君も()()仲良くしようね」


「絶対やだ」


 藤原君が夕夜の肩に手を回し、悪い顔で呟く。


「打倒 “兄貴” しようぜ?」


「藤原……」


「お前はマジでいらねぇ」


 夕夜と兄の嫌がる顔に満足した藤原君は、笑いながら帰っていった。


 藤原君の悪行を語りながら、私たちも帰路につく。

 隣で、苦笑いを浮かべる夕夜の手がやっぱり気になる。


 玲香と別れて電車に乗っても、それは落ち着かない。


 吊り革を掴む夕夜と兄の手を見比べる。


 ……もう一度、夕夜の手に触れてみたくなった。


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