第52話 距離感の理由
「天音さん、もう帰らない?」
藤原君に何かを握られてしまった私は渋々、天音さんの隣を譲った。
教科書も広げずに藤原君と肩を寄せ合い、スマホゲームで何かの生き物に餌を上げているだけの天音さんに聞いてみる。
「え、別に暇だし、天音のことは気にしないでいいよ」
「……それならいいんだけど」
あと……。
藤原君にはスマホ、見せない方がいいと思う……んだけど。
ほら、めっちゃ睨んでくるし。
皇帝藤原⋯⋯。
怖くなり、思わず夕夜に近寄る。
「華」
夕夜の声が耳元に落ちる。
「ここまた間違えてる」
「えっ?!」
「そろそろ覚えようよ」
そんなこと言われたって。
夕夜は夕夜でこんな感じだし、気を使ってるのが私だけで、もう何をすべきなのかが分からない。
……。
いいや、もう大人しく勉強しよう。
目の前でイチャつく二人はもう無視して、手元の問題に向き合うことにした。
しばらくして問題につまずく。
夕夜の袖を二回引っ張る。
「夕夜、ここなんて訳せばいい?」
「どこ?」
夕夜の腕に寄りかかるようにノートを向ける。
「ここ。これ…… “who” はどっちにかかる?」
「ああ、ここから――」
夕夜の手が止まる。
顔を上げた夕夜の視線を追うと、二人がこちらを見ていた。
「何?」
夕夜が藤原君に訊ねる。
「あ、どうぞ続けて?」
藤原君が不気味な笑顔を見せてる。
⋯⋯あ、この顔は絶対ろくなことしない。
「光輝君、天音の気のせい?」
「さあね」
「幼馴染なら普通?」
天音さんが訊ねると、藤原君は肩をすくめる。
「意外と華ちゃんからも距離近いんだね」
「自覚ないからタチ悪い。ね、大伴君」
「⋯⋯藤原」
夕夜が藤原君を睨む。
でも藤原君は表情を崩さない。
「大伴君だけで距離感バグるわけないし」
頬杖をついて愉しそうな視線を向けてくる。
「無意識の方が身体の癖って出るよね」
「え?」
身体の癖?
どういう意味?
「藤原、いいかげんに」
近くにあった夕夜の顔がそっと離れる。
藤原君に呆れた視線を向けて、ため息混じりに嗜める。
「はいはい」
「ふふ。“何も知らない” ってわけじゃないのかな」
「榊も……」
夕夜が額を抑えて、項垂れる。
そのままちらりと私の顔を見る。
合った視線を逸らされた。
「続き、帰ってから見るから」
「え、うん?」
「なんの続き?」
藤原君がニヤける。
「藤原」
「はいはい、黙りますよ」
夕夜に低い声で名前を呼ばれた藤原君は笑いながら、両手を上げた。
ふと、ふざけている藤原君の隣で、静かに夕夜を見て微笑んでいる天音さんが気になった。
夕夜に向けるこの眼差しの意味は分からないけど――
もしかして今、天音さんに必要なのは夕夜?
「藤原君」
私は席を立ち上がる。
夕夜をからかっている藤原君の腕を引っ張る。
「お説教の時間です」
視線を送る。
「は? マジで?」
藤原君が鬱陶しそうな顔をする。
伝わってるのかどうか分からない。
けどそのまま、奥に連れ出した。
離れた席で二人を見守る。
「あそこ二人にしていいんだ?」
「藤原君と二人にするよりは安心」
「放っといたからって、拗ねんなよ」
「ひどい脅され方したんだけど?」
「あれは本気だし」
「……」
藤原君は薄い笑いを浮かべる。
「で、大伴君なら榊天音を引き出せると?」
「そんなんじゃないよ。夕夜なら分かってあげられるかもと思っただけ」
「……そんな甘いと本当に取られるよ?」
「でも、なんか天音さんも辛そうだし」
藤原君は小さくため息を吐いて、二人に視線を向けた。
「まぁ今日は収穫あったし、俺は何でもいいけど」
見据えたような視線が戻ってくる。
「相談は乗らないから」
「うん、ありがとう」
「⋯⋯自滅しとけ」
藤原君の軽口に笑い合う。
なんだか久々な気がした。
夕夜と天音さんは視線も合わさずに向かい合っていたけれど、ぽつりぽつりと何かを話し始めたようだ。
天音さんが何かを言うと、夕夜が一言返してる。
それが何回か続いて、天音さんは時折、ふっと笑う。
その笑顔に――安心する。
「それ本妻の余裕?」
藤原君は私の方を見てた。
「だから、そういうんじゃないって」
頬杖をついて、窓の外を見る。
私を諭してくれたときの天音さんの切ない表情を思い出す。
「天音さんにも甘えてほしいなって」
「……でも泣き出したけど」
藤原君が笑った。
「えっ?!」
二人を見ると、気まずそうな顔をした夕夜と目が合った。
泣いている天音さんに何か言って席を立ち、こちらへと来る。
「女泣かせな男だな」
藤原君が愉しそうに笑う。
「うるさい」
「な、何があったの?」
「いや、投げたら泣いた」
「投げたって?!」
「華に頼りなよ、って言った」
ゆ、夕夜……
意外にポンコツ?!
私は慌てて天音さんに駆け寄る。
「天音さん……」
細い肩に手を置くと、天音さんの顔が少し上がる。
「夕夜君、びっくりしたよね」
天音さんが小さく笑ったから、私も笑った。
天音さんの手を握る。
「私にも頼ってね」
握った手が、遠慮がちに握り返される。
「ふふっ。華ちゃんじゃ分からなそうだな」
「え、それはひどくない?」
「でも……やっぱり華ちゃん、かっこいいね」
涙が落ち着いて、先に帰ると言った天音さんを廊下まで見送る。
赤くなった鼻先を袖で隠しながら、天音さんはにかむように笑う。
いつもの可愛らしい笑顔だった。
天音さんを見送ったあと、隣に来た夕夜と目が合う。
なんだかほっとしたみたいに笑うから、私もつられて笑った。
だから気が付かなかった。
離れた席で頬杖をついたまま、私たちを見ていた藤原君に――。




