第46話 恋は人を変える?
「あ、あの、ただいま」
「おかえり」
夕夜の顔が見られない。
――えっ、この夕夜と私が?
本当に付き合って……?
えぇ……
「名竹さん。そういう反応、誤解されるからやめてくれない?」
「な、何が?!」
「まぁ、いいや。じゃ、ちゃんと返したからね」
そう言って藤原君は面倒くさそうに、玄関を出ていく。
「大丈夫ですよ、大伴君」
斎藤さんがフォローする。
「名竹さん、大伴君のことばっかり聞いてましたから」
斎藤さんは丁寧に一礼して、くすくす笑いながら去っていく。
全然フォローになってない……。
二人が去ったあと、しばらくの沈黙が続いた。
「おでこ、どうしたの?」
少しだけトーンの落ちた、夕夜の声。
「え、えと。転んで、机の端にぶつけた」
「何、やってるの?」
夕夜が一歩近づいて、私のおでこにかかった前髪をそっと上げる。
あ――っ。
息が止まる。
「ちゃんと冷やし――」
目が合った夕夜の動きが、止まる。
思わず視線を落とす。
「だ、大丈夫。斎藤さんに……」
「……そっか」
夕夜がゆっくり手を離す。
――こんな顔を見せちゃ、だめ。
せっかく夕夜が守ろうとしてくれてるものを自分から壊してしまいそう。
私は “知らないまま” でいなきゃ。
そう、“知らないまま” で。
「その、本は?」
夕夜が私の抱き抱えている本に視線を向ける。
「え、あ。図書館の本!」
「図書館行ってきたの?」
「ううん、これは藤原君が盗んだやつ」
あっ。
言ってしまった。
「……何、やってるの」
***
「鏡夜、行くよ!」
「……うーん」
気だるそうにリビングで朝のニュースを見ている兄に声をかける。
ちゃんと制服を着ている。
「連休明けで五月病だわ」
「かっこいいから大丈夫だよ!」
兄の腕を引っ張る。
「ほら、電車遅れちゃうから」
「はいはい」
「……やっと来た」
玄関で待っていた夕夜と目が合う。
息が詰まるのを頑張って呼吸する。
―― “知らないまま” でいなきゃ。
呼吸を整えながら言い聞かせてる私を見て、夕夜がわずかに笑った。
街の中も電車の中でも、べったりとくっついてくる兄のおかげで、なんとか夕夜への緊張は抑えられた。
そしてたくさんの視線を浴びながらなんとか学校に着く。
兄の登校に校内もざわつくだろうと思いきや――。
「えっ――」
私は目の先に、信じられないものを見た。
いや、みんな見てる。
隣に立つ夕夜をちらりと見ても、みんなと同じ顔をしてる。
「コーキとアマネじゃん」
私の視線を追った兄が笑う。
そう、藤原君と天音さんが並んで歩いていた。
しかも――仲睦まじく。
え? 何?
藤原君が楽しそうな笑顔で天音さんに話しかける。
天音さんはそれを笑顔で受け止め、可愛い声で返す。
美男美女のラブラブカップルがいる。
藤原君が一瞬だけ振り向き、私たちに気づくと口角を上げる。
でも、すぐにその視線は天音さんに戻された。
「何、あれ」
夕夜が呟く。
「そう言えば昨日、天音さんが気になるから仲を取り持てって言われた……」
もう私の手なんて必要なさそうだけど。
呆れてため息を吐くと、夕夜は無言で私を見た。
「ははっ、あいつにアマネ落とせるのか?」
「雰囲気だけはすでに理想のカップルだけどね」
でもたぶん、天音さんも私たちが香島宮に行ったことは聞いてるだろうし。
藤原君も天音さんもどういうつもりなんだろう……。
学校中が二人の話題で持ちきりだった。
ビッグカップル誕生のおかげで、鏡夜の登校は思っていたより騒ぎにならずにすんだ。
「お、名竹兄。ちゃんと来たな」
B組の教室の前で鷹野先生に会う。
鏡夜は挨拶もせずに先生を見据えてる。
「みんなに紹介いるか?」
「いらねーよ。席どこ?」
「一番後ろの廊下側。ちゃんと来るようになれば変えてやるよ」
「別に……どこでもいいし」
そう言って、一人教室に入っていく。
一瞬の悲鳴が上がったあと、ぴたっとざわめきが止まった。
先生は鏡夜の背中を見送り、そのままC組に出来た人だかりを見て苦笑いをする。
「藤原まで……お前たちほんと、面白いことばっかしてんな」
「あれはさすがに私たちの範疇を超えてます」
「はは、ほどほどにな」
先生が教室に入ると、夕夜と二人きりになる。
途端に鼓動が速くなる。
「だ、大丈夫かな、鏡夜」
「大丈夫でしょ、殴らなきゃ」
「それが心配なんだけど」
「停学になって帰ってこないといいね」
「変なフラグ立てないでよ」
――大丈夫、普通だ。
夕夜もいつも通り笑ってるし。
この調子で。
「おはよう、華」
「あ、玲香! おはよう」
「なんか騒がしいね」
「あ、まだ見てない?」
何を、という表情をする玲香に教室の入り口の人だかりに視線を送る。
玲香と一緒に隙間から覗き込む。
天音さんの席で、藤原君と天音さんが楽しそうにお話をしているのが見えた。
前の席に座る藤原君は足を組み、天音さんの机に肘をついたまま楽しそうに笑っている。
顔の距離が近い――すごい。
本当にカップルみたい。
「何あれ?!」
玲香が口元、いや、鼻を押さえて声を上げる。
「何なに?! いつの間にあんな素晴らしいことに?!」
「……素晴らしいこと?」
夕夜が眉を寄せて引いている。
玲香の騒ぎに藤原君がこちらに気がつく。
目が合うと、藤原君がにっこりと微笑み、手招きする。
「え、あれ私が呼ばれてる?」
二人を盗み見ていたクラス中の視線が私に向けられる。
「あ、華ちゃん! 来て来て!」
天音さんも呼んでくる。
夕夜を見ると、呆れた表情で肩をすくめた。
ゆっくりと、出来るだけゆっくりと近づく。
「おはよう、名竹さん」
藤原君に微笑まれる。
――怖い。
「お、はようございます……」
不審の目で返すと、細められた目の奥に鋭い光が走った。
「華ちゃん、週末暇?」
「え、週末?」
もう、やな予感しかしない。
「私たちとWデートしよ?」
「はっ?」
「暇だよね、名竹さん?」
頬杖をついた藤原君が、有無を言わせぬ笑顔で圧をかけてくる。
王子どころか、皇帝になってるんだけど⋯⋯
「でも中間前だし」
「一日くらいいいだろ?」
藤原君の声が急に低くなる。
――皇帝藤原、怖い。
「……ていうか、Wって誰と?」
「あんた、そんな選ぶほど何人も男いるの?」
「……鏡夜でもいい?」
「はっ? なんの冗談?」
今度は天音さんの声から笑顔が消える。
ああ、そうでした。
「これから口説こうってとこに、昔の男連れてくるとかどういう神経してんの?」
藤原君に倫理観を責められる日が来ようとは……。
二人に責められる私を見かねて、夕夜が寄ってくる。
少し、いや、だいぶ呆れた表情をしている。
「華、大丈夫?」
「大伴君、いいよね?」
藤原君の視線を、夕夜は無言で受け止める。
そのあと、何か言いたげに私を見た。
「……まあ、勉強会でいいなら」




