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第42話 “特別授業”といこう


 私たちは音田山(おとだやま)に到着する。


 丘に近い小さな山の公園だ。

 森の中の歩道を駆け抜け、5分もしないうちに頂上へ辿り着いた。


「無貌は?」


「もっと奥、北の方だな……動いてない」


 兄が奥の森の方を睨む。


「あ、藤原……」


 夕夜が頂上にある展望台を見上げる。


 展望台の柵に頬杖をつきながら、こちらを見下ろしている藤原君と目が合う。

 薄い笑いを浮かべて手をひらひらとさせると、奥の方を指さした。


「今回も見てるだけなのかな、藤原」


「藤原君! 頭脳班!」


 こっちに来て、と手を振る。


「早く!」


 何度も呼ぶと鬱陶しそうな表情をして、ようやく柵から身を離した。


「俺、必要?」


 階段を降りながら、気のない声が落ちてくる。


「名竹君と大伴君いるじゃん」


「さっき俺を使ってくれた礼だよ。お前も働け」


「俺、前線ロールじゃないんだけど」


「ほら、早く行こう!」


 駆け出す私たちの後ろを、藤原君だけが変わらない速さでついてくる。


 北の一番暗い森の中で、無貌は空を見上げ、動くことなく佇んでいた。

 さらに異様なのはその身体の色と周りの様子。


 深い緑色のどろっとした液体に見える身体。

 その足元の植物は溶けたように腐っている。


「なんか見た目だけだと毒っぽい……」


 私が呟くと、夕夜が頷いた。


「しかも、実体もなさそうだね」


「てか藤原君は?」


「……まだ来てない」


「はっ?! あの王子!」


 後ろでのんびり歩いている藤原君を呼ぼうと立ち上がる。


 ――反応したのは無貌の方だった。


「華!」


 夕夜に押し倒される。


 無貌の腕が、さっき立っていた場所まで伸びて――

 次の瞬間には、何事もなかったように戻っていった。


「大丈夫?」


「うん、ごめん」


 無貌の動きが――いつもより全然早い。

 あんなの、避けられる気がしない。


「ピンポイントで名竹さん狙い、だね」


 声が落ちてくる。

 気づくと、すぐ横に藤原君がしゃがんでいた。


「……本体は固定。反応で動いてるな」


 鏡夜も近くに寄ってきた。

 藤原君の視線が、夕夜に押し倒されたままの私に向けられる。


「それはそれで面白いけど、早く立て直しなよ」


「は、はい」


 気まずさを感じながら、夕夜に引っ張られて静かに身体を起こす。


 藤原君の視線が、無貌から私へと辿る。


「液体に見えたけど、痕跡がない……ゲルくらいの粘度かな」


 藤原君が立ち上がって片手を振る。


「俺には反応しない。あとは……」


 夕夜に視線で合図を送る。


「大伴君。一回、当ててみてよ」


水鏡みずかがみ――鱗珠うろくず


 一匹の小魚が飛び出し、無貌へと向かう。

 が、無貌に当たった瞬間、魚の色が変わり溶けるように消えてしまった。


 無貌は空を見上げたまま、びくともしない。


「うん、毒っぽくはあるね」


「小さいと接触で消される。時間稼ぐならある程度サイズが必要」


「攻撃にも反応しない」


 やっぱり狙われるのは私だけ?

 夕夜と藤原君が私をかばうように前に立つ。


「俺が行こう」


 鏡夜が好戦的な笑みを浮かべて、離れていく。


「へぇ。俺の前で見せてくれるの?」


 藤原君が挑発する。


「はっ、なんもリスクねぇよ」


「ちなみに、どんな能力?」


「ノーコメント」


 兄が小さく笑った。

 私たちから離れたところで構える。


月読つきよみ――っ!」


 その瞬間、無貌の手が伸びる。

 兄が身を沈めて、それを躱す。


「あ、ぶね」


 戻ってく手を睨みながら、体勢を整える。


「渡さねえよ」


 無貌を見ていた藤原君の鋭い視線が、鏡夜に移る。

 その視線は兄を見たまま動かない。


「はっ、霊式じゃダメか」


 兄の右手に、水のような霊力が集まる。


 駆け出し、無貌の背後へ回る。

 無貌はまだ反応しない。


「霊式と霊力で違う?」


 藤原君が呟いた。


 兄が背後を取ると、その霊力を刃のように振るう。

 霊力が無貌の身体を分断する。


 ――切った!


 触れたところから、兄の霊力が濁る。


 次の瞬間、無貌の身体全体が淡い緑光に包まれ、分断された身体が元に戻る。


 鏡夜の舌打ちが響く。


「再生あり。厄介だな」


 濁ったままの霊力が、引き戻されるように兄の手の中に消える。

 また沈黙した無貌を睨みつけ、こちらに戻ってくる。


「やっちまったわ」


「鏡夜?!」


 兄の右手が暗い紫色に変わっていく。


「……感覚、ねぇな」


 兄が手を見つめ、人差し指だけを動かしている。

 変色した他の指は動かないらしい。


「壊死かな?」


 崩れていく手を見ながら他人事のように冷静に呟く。


「あ、びょ、病院! ど、どうしよう」


 変色していく兄の手に、恐怖を覚える。


「いいよ、あいつが来た」


 兄の視線が、背後へ向く。


「あいつ?」


 私たちが来た方向から、慌てるように駆け寄ってくる人影。


 夕夜の空気が変わる。

 反射的に私の肩を引き寄せた。


「華ちゃん!」


 月に輝く銀色の髪――。


「石上先輩?!」


「え、泣いてるの? 大丈夫?!」


 夕夜が眉をひそめる。


「先輩、なんでここに?」


「ああ、夕夜君。なんかドッと来たから、バッとなって、フッと来てみたんだよ」


 よく分かんない。

 けど。


「先輩……助けて下さい」


 思わず涙が出る。


「ああ、華ちゃん」


 先輩が肩に触れようとするのを、二つの手が止めた。


「夕夜君……と……」


 もう片方の手の主を見て先輩が固まる。


「よぉ、元気してた? イシガミサン」


「きょ、鏡夜君……」


「悪いけど、これ治してくんない?」


 悪そうな笑顔で、腐っていく手を差し出す。


「え、あれ触ったの?」


「いいから治せよ」


「わ、分かったよ」


 いつのまにかそばに来ていた藤原君が、石上先輩の治癒の様子を眺めている。

 兄の手の周りで白兎が宙を跳ねた。


「先輩、これ治せるんだ」


 藤原君が少しだけ関心したように呟いた。


「ああ、石上はもともと本草学(ほんぞうがく)の家系なの。薬草とか毒草とかはわりと得意よ」


「本草学、ね。“陰” の霊術は?」


「使い方が分かんねぇ」


「術名の継承はされてるんだね?」


「ああ」


 藤原君は消えていく白兎を見送ったあと、無貌に視線を向けた。

 口元に指を置き、視線を定期的に動かしている。


「なら行けそうだ」


 藤原君が石上先輩に意味深に微笑んだ。


「先輩、“特別授業” といこう」


「……え、ここでも?」



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