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第35話 歩くだけのイベントで⑥

 

「夕夜、早妃(さき)ちゃん覚えてる?」


「あー……まぁ。忘れないよね」


 寂れた海岸沿い。

 みんなから少し離れて、夕夜と最後尾を歩いている。


 鏡夜に初めての彼女が出来たのは中学二年のとき。

 兄と同じクラスの早妃ちゃんだった。

 早妃ちゃんは、クラスの違う私にも気さくに話しかけてくれるような明るい元気な子だった。


 覚醒前の兄は今よりも静かで、あまり感情を出さない人だった。

 そんな鏡夜をいつも、外側に引っ張り出していた。


「鏡夜ってさ、まだ早妃ちゃんを引きずってると思う?」


「それはないでしょ」


「言い切るの?」


「うん、引きずってはないよ。でも――」


「でも?」


「まともに付き合ったのは彼女だけ、かな」


 夕夜は前を歩く兄を見る。


「それ以外は、全部逃げてる」


 低い声。


 怒っているような、悲しんでいるような声だった。

 夕夜が遠くの海を見る。


「覚醒のせい、だよね」


 兄が変わったのは、そこからだった。


「また早妃ちゃんみたいな人が現れてくれるといいんだけど」


 夕夜が私を見る。


「たぶん鏡夜は求めてないよ」


「……そう」


 思わずため息が出る。

 これがお節介なのも分かってる。


 私は全然、鏡夜を分かっていない。

 夕夜の方がよっぽど……。


 俯いた視界に夕夜の手のひらが入ってくる。


「え?」


 顔を上げると、夕夜の手が差し出されていた。


「繋ぐ?」


「えっ?」


「なんか落ち込んでるから」


「……な、なんでよ」


「支えてくれるんじゃないの?」


 小さく笑う。


「や、やだ。藤原君いるし」


「いなければいいんだ」


「そんなこと……」


 ……ある、かもしれないけど。

 ちらりと前を見る。


「ほら、藤原君もう気づいてるし」


 こっちを見てニヤついている。


「何なの、あいつ」


 夕夜が呆れた視線を返している。


「ほんとだよ。結局、無貌のときも最初から見てたみたいだし」


 私は顔を覆う。

 本当に恥ずかしい。


「まぁ、それはそれで」


 夕夜がため息交じりに藤原君を見る。


「牽制にはなるかな」


「え?」


 藤原君が笑いながらこちらへ寄って来る。


「呼んだ?」


 楽しそうな声。


「呼んでない」


「なんか今日は冷たいな、名竹さん」


「藤原がいじりすぎなんだよ」


「はは、ごめんごめん」


「藤原君はずっと楽しそうだよね」


「分かる? 今日は情報量多すぎで。退屈してる暇なんてないよ」


「それでテンション高いんだね」


 妙に納得してしまう。

 好奇心が爆発した子供みたいな目をしている。


「ふふ……もう、早く行きたくてね。今すぐ確かめたいんだ」


 口元を押さえたまま、漏れ出る笑いに小さく肩を震わせている。


「藤原君……見た目のおかげでだいぶ救われてるよね」


「行きたいってどこに?」


 夕夜が訊ねる。


香島宮(かしまのみや)。榊天音の実家」


 俯いたままの藤原君が答える。


「え?!」


 私でも聞いたことがある、そこそこ有名な北関東の神社。


「ノーマークだったけど、名竹家と榊家に繋がりがあるなら絶対……何かあるよね」


「隣の県までわざわざ行くの?」


 それこそお得意のネットで……


「俺は現場で、人間から情報抜くタイプだから」


 指の隙間から興奮を押さえられない声が漏れ出る。


「あぁ、ソーシャル……リンね?」


「エンジニアリングね」


 夕夜が正す。


「明日から連休だし、行ってくる」


「え、私も行きたい!」


「華?!」


 夕夜が驚いている。

 私は、兄と天音さんの間に何があったのかを知りたい。


「……俺はいいけどさ、いいの?」


「あ! 一緒に行ってくれる、夕夜?」


「いや、待って……」


「行くから。絶対」


 藤原君は心配そうな表情を向ける。


「名竹さん。そっちもなんだけど、あっちは?」


「あっち?」


「テスト勉強、しなくていいの?」


「古典、ヤバいんでしょ? 華」


「せっかく鷹野が予告してくれたんだから、勉強しとけば?」


「うっ……でも一日くらい、やらなくても」


 藤原君が夕夜を見る。


「大丈夫そうなの?」


「まぁ、古典を重点的にやれば……華、他の教科は大丈夫なんだよね?」


「うん、大丈夫。ダメでも中間までにはなんとかするから!」


「ダメな可能性あるんだ……俺、一緒に留年はしてあげないよ?」


 藤原君が笑う。


「え、最後まで面倒見てくれるって言ったじゃん」


「イマジナリーでもいた? それは大伴君の役割りでしょ」


「……俺も、留年はちょっと」


「夕夜まで!」


 騒いでる私たちを見て、鏡夜と玲香もこっちへ来た。


「だから勉強なら、私が面倒見てあげるって」


「玲香!」


 玲香に抱きつく。


「何、どっか行くの?」


 兄が聞いてきた。


「植物園」


 夕夜がすぐに答えた。


「花でも見に行こうかと」


「また修行かよ、真面目だねぇ」


 嘘をついた夕夜と目が合う。

 優しく笑う。


「そっちも行こうよ」


 夕夜がこっそりと耳元で囁く。

 声が触れた場所から少しずつ熱くなる。


「え、何? もしかして花嫁修業?」


 勘違いした玲香が茶化してくる。


「なんか最近、花に興味持ってるよね?」


「う、うん」


「何か心境の変化でもあったのかな?」


 玲香が訳知り顔な笑みを浮かべる。


 私は前を歩いている夕夜の背中を見る。


「――うん」


「そっか!」


 私が答えると、玲香は嬉しそうに笑った。



「ねぇ、ユーヤ君! ここ修行場によさそうじゃない?」


 広がる砂浜に向かって、鏡夜が手を広げて笑った。


「……なんのだよ」


 玲香がいるから、眉をしかめて言葉を選んでる。

 そんな夕夜を見て藤原君が口角を上げる。


「あ、俺もさっきの鰯のやつ。もう一回検証したいから、やってみせてよ」


「修行? 鰯? 何の話?」


 玲香が一生懸命、考えている。


「お前ら、ふざけすぎ……」


「あ! 私も!」


 一緒になって悪ノリしてしまう。


「イルカ見たいな!」


 一瞬――。


 夕夜の目が、わずかに揺れた。

 けど、すぐにいつもの表情に戻る。


「やだ。戻せなかったら、シャレにならないし」


 夕夜の口元が少しだけ笑っていた。


「何? ショーの話? 大伴、イルカとか鰯、操るの?」


「だから瀬戸さん。絶妙に当ててくるのやめてってば」


 ――夕夜が笑って、鏡夜が笑った。


 みんなで笑いあった。


 溢れ出てくるものがいっぱいで、視界が少し滲んだ気がした。


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