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第32話 歩くだけのイベントで③


 どれくらいこのままでいたか。

 全然時間は経ってないのかもしれない。


 いつのまにか、晴れ間が戻っていた。


 雨に冷えた身体が震えると、夕夜が離れた。


「風邪ひくし、向こう行こうか」


「う、うん。さすがに冷えたね」


 たぶんランナーズハイになってた。

 自分のした行動に今さら恥ずかしくなる。

 夕夜は、相変わらず普通だけど。


 神楽殿の脇の日の当たる場所に入った。


「華、ごめん」


「何?」


「一回服脱いで絞っていい?」


「え、あ。どうぞ」


 そう言って背中を向ける。


 私も絞りたいけど……さすがに脱げないし。


 夕夜のジャージの裾を少し絞った。


 どんっ。


 鈍い音が聞こえる。


 振り返ると、シャツを脱ぎかけたまま、上半身裸の夕夜が壁にもたれるように座っている。


「夕夜?!」


「……マジ疲れた。もう絞る力もねぇよ」


 言葉が雑になった夕夜に思わず笑う。

 夕夜からシャツを受け取る。


「あんなのいつ、覚えたの?」


「“幾許群そこばく”は術名はあったけど……父さんも使い方がわからなかったやつ……」


「二つあったんだね」


月霊術(つきれいじゅつ)は陽と陰があるって。藤原が使っ……」


 夕夜が言葉を止める。


「……教えてくれて」


「そうなんだ……」


 絞ったシャツを夕夜に渡して、隣に座る。


 日差しがあたたかい。

 夕夜はシャツを受け取ったまま。

 目を閉じて、今にも眠ってしまいそう。


「歩けそう? もう少し休む?」


「もうさ……一緒にサボらない?」


 柔らかい笑顔。


「え…えと……」


 黙って頷く。


 夕夜は小さく笑うと弱々しく私の手に手を重ねた。

 そのまま、また目を閉じる。


 心臓が静かに音を立てる。


 夕夜に手を繋がれたまま、まどろみを覚えたころ。

 参道から鏡夜と、その後ろに玲香の姿が見えた。


 息を切らした兄が近づいてくる。


「ハナっ」


「鏡――」


「は?」


 兄の顔が曇る。


「……起きろよ、ユーヤ」


 兄が夕夜の脇腹を踵で蹴る。


「っ!」


 なっ?!


 夕夜は脇腹を抑えて項垂れる。


「夕夜、大丈夫?!」


 兄が夕夜の腕を持ち上げ、引き寄せる。


「何してんの、お前」


「別に……休んでただけだよ」


「服脱ぐ必要ねーだろ」


「あるあるあるっ! 濡れたから乾かしてただけだよ」


 ほら、と濡れた夕夜のジャージを見せる。


「何もされてない?」


「あ、当たり前だよ」


 むしろ私がした、なんて言えるはずもなく。


「……ならいいけど」


 ぱっと離された夕夜はそのまま壁に寄り掛かる。


「……マジ痛ぇ」


「大丈夫?」


 夕夜の身体を支える。



「お前たち⋯⋯ほんと、何してんだ⋯⋯」


 後ろから鷹野先生の呆れた声がする。


 苛立つ兄を見て。


 裸の夕夜を見て。


 その身体に触れる私を見る。


 なんかもう、誰がどう見ても修羅場だ。


「名竹兄、暴力沙汰は停学だぞ?」


「別に、何も変わんないし」


「言い訳しないとこいつらもだぞ?」


「それはそっちに聞いてよ」


 あれ?

 なんか、兄の機嫌が悪い?


「名竹妹、どうなんだ?」


「え、あ、あの」


 玲香がいるし、ここで無貌のことは話せない。

 答えに迷っていると玲香が間に入った。


「待ってよ先生。華も大伴もそんなヤツじゃないよ」


「玲香⋯⋯」


「てか、王子は? あんたたちの置いた荷物持って、ずいぶん先にこっちに戻ってるはずなんだけど」


「え? 藤原君?」


 なんでか分からないけど心臓が跳ねた。


「あーぁ。バラさないでよ、瀬戸さん」


 いつものニヤけた笑いで建物の陰から出てくる藤原君。


「もう少し見てたかったのにな」


 私にだけ視線を向ける。


 え、待って。

 ずいぶん先って――いつから?


 血の気が引いた。

 藤原君は私を見たまま、ふっと笑う。


「先生、大丈夫だよ。ここだけ“変な降り方”してただけだから。ほら、山だしね?」


「……まぁ、それは後で聞こう。で、大伴のそれは?」


 脇腹に出来た赤い跡に視線を落とす。

 夕夜は先生を見上げる。


「……ぶつけただけだよ」


「それでいいのか」


「事実だよ」


「……そうか」


 先生は無貌が消えた辺りを見た。


「大伴は、歩けるのか?」


「大丈夫、です」


「え?」


 そんなわけないでしょ。


「大丈夫、だから」


「山降りたら俺の車あるから。それまで名竹兄、肩貸してやれ」


 兄は小さく舌打ちをする。


「えー。ユーヤ君、筋肉質で見た目より重いからヤダ」


「お前しか運べないだろ」


「センセーでもいけるでしょ」


 なんて軽口を叩きながら兄は夕夜を担ぐ。

 さっきまでの苛立ちは一応、収まっている……かな。

 そして、思ってたよりも鷹野先生との相性も悪くないみたい。


「ほら、お前らも行くぞ」


「あ、ハナ」


 そう言って兄がジャージを脱いで手渡す。


「風邪引くからこっちに着替えな」


「あ、ありがとう」


「髪もちゃんと乾かしなよ」


 玲香がタオルを貸してくれる。


「ありがとう!」


 なんだかみんなの優しさが嬉しかった。


 ――ただ一人を除いて。


「名竹さん」


 嫌な声がする。


「藤原君……」


 振り返ると薄笑いを浮かべた藤原君が、私の落としていた荷物を差し出している。


「……ありがとう」


 この男、いつから見ていたのだろう。

 この笑い方だと全部見られてそう。


「あの、どこから……?」


 荷物を受け取りながら聞いてみる。


「いい戦いだったじゃん」


 藤原君は笑顔で手のひらを掲げた。


 !!


 私はタオルで顔を覆った。


 やっぱり見られてた……。


「あれ、俺にはハイタッチもしてくれないの?」


「〜〜っ、性格悪すぎ!」


「褒め言葉」


「……誰にも。言わないで……」


「いいとこで終わらせるよね」


 藤原君が意地悪く笑った。


 本当にこの人は……。

 どこで見ているか分からない。


 

 そう。


 ――きっと、あのときから。


 もう見ていたのかもしれない。



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