第26話 兄と幼馴染
「あれ……ハナちゃんとユーヤ君」
「鏡夜?! なんでこんなとこに?」
駅を降りてすぐ、鏡夜に会った。
別にやましいことも何もないんだけど。
それなのに、なぜか気まずい。
でも、夕夜は相変わらず、飄々としている。
……手、繋いでなくてよかった。
ほっと息を吐いたとき、夕夜と目が合った。
何か言いたげに、私を見下ろしている。
じっと向けられる視線。
口元だけわずかに笑ってる。
な、何?
その顔はなんの表情?
何か分からないのに、鼓動だけが速くなる。
「ハナちゃん、グーゼンだね」
パーカーにゆるいデニム姿なのに、兄は道行く人の視線を集めていた。
手には、半分ほど飲んだペットボトル。
「偶然じゃないよ! どこに行くの?」
「え、今から帰るとこだよ? そこのスーパー寄ってた」
兄はそう言ったけど、なんだか素直には信じる気にはなれなかった。
だって、兄が一人でスーパーに入るはずがない。
「セルフレジ使えないのに?」
「近くのお姉さんに頼むし」
怪しい。
嘘を見抜こうと、兄の目の動きをじっと見る。
けれど本人は、素知らぬ様子で笑っていた。
「そんなに見つめないでよ。一緒に帰ろーよ?」
兄が私の肩に腕を回してくる。
そのとき、髪からふわっと甘い香りがした。
えっ。
鏡夜のシャンプーや香水⋯⋯ではなさそうな甘い、知らない香り。
……まさか。
中身はともかく、この見た目でモテないわけが無い。
……誰かと会ってたとか?
学校も行かず?
こ、これはちゃんと叱るべきだよね?
「ハナ?」
兄は私を覗き込む。
目が合うと、兄は眉をひそめる。
「てかさ……なんでハナ、覚醒してんの?」
兄の声が低くなり、そのまま夕夜を睨む。
「教室に無貌が出て」
夕夜が重々しく口を開く。
「あと、同じ場所に四人揃った」
「無貌が、出た?」
兄の視線が鋭くなる。
「そう! この前のと全然違って、実体があったよ」
「じゃあユーヤが倒したの?」
「いや。“火鼠”の……教師」
「教師?」
なぜか、教師という言葉に反応する兄。
「まさかアイツじゃないよね、ハナ」
「あ、あいつって?」
「ハナが好きとか言ってる奴」
は?
「言ってないってば!」
ちょっと、待って。
今、その話する?
なんとなく……夕夜に聞かれたらいけない気がする。
ーー夕夜の顔を見ることができない。
「じゃあ違うやつなんだね?」
う、板挟み。
「ていうか、ユーヤともなんかあった?」
私を見てた視線が夕夜に移る。
「ないないないない! ね、夕夜!」
「……」
なんか言って!
……兄、怖い。
千里眼でも持ってるの?
「まぁ、そっちは後で聞くとして……」
兄が夕夜を一瞥する。
「無貌、どんなヤツだった?」
「この前のに似てたけど、仮面みたいな顔があったよ」
「仮面?」
兄は口元に指を当て考え込む。
「俺の攻撃も効いてたから、この前のよりは弱そうだったけど」
「それは属性の問題かな。この前のは弱いけど実体ないから、ユーヤじゃ倒せなかっただけ」
それよりも、と兄は私たちを見る。
「学校に敵がいるな」
「敵?」
「しかも無貌を召喚できる……のか?」
「それって」
「天人だな」
「えっ!?」
「華、狙われた?」
「うん」
でも……
「先生が、無貌は“かぐや姫”しか狙わないはずだって」
兄は小さく舌打ちした。
「……俺と兄妹だし。力が覚醒したなら、そのせいだよ」
兄は夕夜に視線を向けた。
夕夜もその視線を受け取めていた。
「ハナ」
いつもより真面目な声。
「次の満月で“影結び”しよう」
「“影結び”?」
「継承の儀式。ちゃんと能力がコントロールできるように」
兄が、できるのか。
前に親から子へ、って聞いてたけど。
……まぁ、“かぐや姫”だからか。
「……分かった」
兄は口元だけで小さく笑った。
「どうしたの?」
「いや」
先に歩き出す鏡夜。
「娘の成長は寂しいもんだなと」
なんだか、変。
どこかに行ってしまいそうで、思わず腕を掴む。
「?」
少しだけ振り向く。
「大丈夫?」
「何が?」
「何に、傷ついてるの?」
本当は分かってる。
兄が、“かぐや姫”の覚醒からずっと何かを抱えていること。
逃げ場を探していること。
でも。
私たちの前では明るいままだから、つい甘えてしまった。
――それじゃだめ。
私も鏡夜を守りたい。
そう思ったのに。
「はっ、俺を傷つけるのなんてハナとユーヤくらいだよ」
冷たく張り付いた声と歪んだ笑顔。
その言葉に、空気が一瞬止まる。
それ以上、踏み込むなと言われた気がした。
何も言えない。
ただ、掴んだ腕に力を込める。
――次の瞬間。
風を切る音。
兄の身体が後ろへと飛んだ。
「へ?」
私の手の中にあったはずの腕が、するりと抜けている。
「何? ユーヤ君」
光のない目が夕夜を睨む。
振り向くと、夕夜が空振った拳を引き戻して、小さく舌打ちをしていた。
「え?」
「……確かめてみた」
「え? 何してんの、夕夜」
「避けられたけど」
何事もなかったかのように、地面に落とした鞄をはたいている。
……え、夕夜って普通に殴るの?
「俺じゃ、お前は傷つけられないけど?」
「ユーヤ君、バカ? そう言う意味じゃねぇよ」
「なら、はっきり言いなよ」
夕夜が珍しく怒ってる。
「華を困らすなよ」
「はっ、ユーヤがそれ言う?」
「鏡夜が困らしてどうするんだよ」
「お前はいいのかよ」
「うん、俺はいい。でもお前はだめ」
「ユーヤ、勝手すぎるだろ」
「お前は“兄”だろ」
「お前のではないけどな」
「俺だってお前が兄は嫌だよ」
「はっ?」
「ふふっ、ちょっと二人とも落ち着いて」
いつの間にか、子供みたいな口喧嘩になっていて、少し可笑しかった。
このままだと今度は魚が出そうだ。
私は二人の間に入った。
「落ち着いてってば。家に帰ろうよ」
二人は拍子抜けしたように私を見る。
空気が変わった。
張っていたものが、ふっとほどける。
私が先に歩き出すと、二人は少し離れてついてくる。
「鏡夜」
「なんだよ、ユーヤ君」
後ろを歩いていた二人が会話を始める。
「女の人と……気をつけなよ? お前から他に力が移ったら、だいぶ面倒だからね」
「は? 俺のこと何だと思ってる?」
「分かってるならいいけど……」
……夕夜。
私がいるところで、そういう話はしないでほしい。
気まずくなりそうで、イヤホンを耳に差して込む。
聞こえないふり、聞こえないふり。
「ユーヤ君はそんなことしか心配してくれないんだ?」
「お前が誰と付き合おうと知ったことじゃないし」
「俺はユーヤ君のこと、何でも知りたいよ?」
「言うわけないだろ」
「何があったんだろうね、ハナちゃん?」
聞こえないふり、聞こえないふり。
いつも通りに戻った。
――けど。
いつも通りではだめ。
鏡夜を一人にさせてはだめ。
――あんな顔のまま、ひとりで笑わせたくない。
普通に笑って、普通に怒って、普通に学校に行って。
そういう時間を、ちゃんと生きてほしい。
『青春を無駄にすんな』
今なら、先生の言葉の意味が分かる。
私は、鏡夜を、あの場所に引き戻す。
“普通”の時間の中に。
鏡夜がちゃんと笑える場所に。
***
「こんばんは」
ドアを開けると笑顔の王子がいた。
「来ちゃった」




