第17話 華と夕夜
あぁ……神様、王子様、魔術師様。
どれくらいの時間が経ったんだろう。
藤原君が去ったあと。
からかってしまったことをひたすらに謝って――
……そして。
森羅万象くらい司っていそうな見た目の彼に、心の中で祈っていた。
どうか、今のは無かったことにしてください、と。
「……華」
夕夜に声をかけられ、現実に引き戻される。
「俺たちも帰る?」
「え、あ、うん⋯⋯」
夕夜は、いつも通りの顔をしていた。
このまま、なかったことに――
「藤原の言ってること、気にしないでいいよ」
「え。う、うんっ」
……なるわけなかった。
気にしないなんて、無理だよ。
心臓が急にうるさくなる。
藤原君は、まだ私たちのことをよく知らない。
あれはからかった私へのただの仕返しで。
ただの、戯言。
――なのに。
『好きな女』
その言葉だけが、何度も頭の中で繰り返される。
え、夕夜って。
私のこと、そういう意味で好きじゃないよね。
今だって、こんなに落ち着いてるし。
……いや、気にしちゃだめだ。
でも――。
じゃあ、昨日のキスは?
まさか、そういう好き……?
……いや。
兄とキスしても平然としてたし。
しかもなんか慣れて――
……あれ、それは夢の話だっけ?
ふと顔を上げると、夕夜と目が合った。
私を見て、意味ありげにふっと笑う。
「な、何?」
「別に」
「何よ?」
「何もないよ」
「嘘でしょ。言って」
「本当に言ってもいいなら言うけど?」
意地悪な視線。
たじろぐ私を見て、また小さく笑う。
「俺のこと、怖がらなくなったらね」
「怖がってなんかないし」
「はいはい。じゃあ帰ろうか」
差し出された手を、睨む。
「なんか今日の夕夜、意地悪だよね」
「今日の華が変なだけでしょ」
「だってそれは! 夕夜が昨日――っ!」
……終わった。
完全に墓穴。
いっそこのまま埋まりたい。
「……うん」
いつもの優しい声。
「それはほんと、ごめん」
でも、少しだけ震えていた。
「始めからやり直すって決めてたのに……ほんと、往生際が悪くて嫌になる」
――あ。
やっぱり、いたんだ。
彼女。
それに今も、好きなんだ。
私の目を見ながら言う夕夜に、胸が痛む。
「よく分かんないけど、反省してるなら許すよ?」
わざと軽く言う。
――じゃないと、なんか泣きそうだった。
「⋯⋯でもあれは、勝手についてきた華も悪いと思う」
「う、それはごもっともです。本当にすみません」
ふざけながら頭を下げる。
誤魔化さないと、無理。
夕夜の中にいる “誰か” を考えると、やっぱり苦しい。
――いや、かなり苦しい。
「夕夜の元カノ? ってさ、黒髪のロングだったの?」
気づけば、口に出していた。
あぁ、もうこの口は⋯⋯。
兄にも聞くなって言われてたのに。
「華」
手を取られる。
その優しさが、今は少しつらい。
それでも。
“誰か” じゃなく “私” に触れている夕夜の手を、握り返した。
なんて愚かしい独占欲。
「そうだとしたら⋯⋯最低すぎない? 俺」
「えっ?」
顔をあげる。
夕夜は、困ったように笑っていた。
「誰かと間違えてるって思ってるんでしょ?」
「え、だって⋯⋯」
「そんな人いないよ」
真っ直ぐな声。
「手を繋ぐのも、髪に触れるのも――他の人にしてないよ」
「そう、なの……?」
じゃあ――
今繋いでるこの手は?
「言ったでしょ、華だけだって」
見透かしたように言われる。
……前にも、言ってた。
“誰か” の存在が、夕夜の言葉で薄くなっていく。
「信じられない? 俺、そんなことするように見える?」
「……っ」
「ああ……まぁ、今は説得力ないか」
夕夜の手を強く握る。
「ううん。夕夜ほど誠実な人間はいないよ」
これは伝えなきゃ。
「優しいし、いつも私たちのことを考えてくれてるし」
勝手に疑って、傷付けてしまった。
夕夜はいつもちゃんと、言ってくれていたのに。
「それは言い過ぎかな」
少し照れたように笑う。
「華を傷つけることはしないから。何かあったら言って。変な誤解されてるのも嫌だし」
「⋯⋯善処、してくれるんだっけ?」
「うん、そうだね」
夕夜はやっぱり優しく笑う。
「ごめんね、なんか……夕夜に女の人がいるかもって思ったら、なんか……取られるみたいで嫌だったのかも」
言葉がこぼれる。
「鏡夜より兄みたいな存在だし」
「⋯⋯そっか」
そのまま黙る。
黙ったまま。
「……何、その反応」
「いや? ちゃんと線引きできてて偉いなって思って」
「良い意味じゃないよね、絶対」
「さぁね」
「良く分かんない」
ため息がこぼれる。
「まぁ、間違いじゃなくて良かっ⋯⋯」
……あれ?
良かったの?
え、間違いじゃないってことは――。
……何?
顔が、一気に熱くなる。
「華。このまま繋いでてもいいの?」
しっかりと繋いだままの手を見せられる。
「え、あ、だめっ!」
もうこれ以上は心臓もたない。
慌てて手を離す。
夕夜はくすっと笑う。
「なんでだめなの?」
「ぎゃ、逆になんで繋ぎたいのよ?」
「⋯⋯華が乙女心を意識するから?」
「ふざけてるでしょ」
「いや、わりと本気だよ?」
「やっぱ今日の夕夜、なんか意地悪」
「本気だって言ってるのに」
***
華は知らない。
――俺たちに、二人の時間があったことを。




