第12話 水族館で②
「ハナちゃん、何食べたい? 買ってきてあげるよ」
「え、じゃあポテト!」
「りょうかーい。そこ動かないでね?」
「分かった」
一番上の席を取った私たちは、ショーが始まるまで軽く食べることにした。
鏡夜が買いに行く。
ざわつく人の声。
軽快でチープなBGM。
……思っていたより、わくわくしている。
イルカショーなんて何年ぶりだろう。
小学生最後の夏休みに、夕夜のお父さんに連れられて――兄と夕夜で来たのが最後だ。
あの時、買ってもらったピンクのイルカのぬいぐるみは今も部屋に飾ってある。
あ、イルカの写真撮っておこう。
「それ、俺のです」
聞き覚えのある声。
スマホを探していた手が止まる。
視界の隅に、見覚えのあるスニーカー。
――やっぱり。
「だから一人にならないでよ」
見上げると、少し息を乱した夕夜が立っていた。
「ゆ、夕夜⋯⋯」
どうしてここに、とは聞けなかった。
それは夕夜の台詞だから。
夕夜は何も言わず、隣に座る。
……顔が見れない。
視線を向けられている気配だけで、落ち着かない。
鞄の中を意味もなく探る。
「お前たち目立ちすぎ」
「え?」
「電車で、“すごいカップル” がいるって聞こえてきて」
ため息。
「ここでも何回か聞いたから」
「スゴイカップル……?」
夕夜はもう一度、呆れたようにため息を吐く。
……怒ってる。
「あの、ごめんね。その、鏡夜がね。やっぱり目立つから。綺麗で。みんな見て――」
言葉がうまく出ない。
そのとき。
顔にかかっていた髪に触れられた。
思わず顔を上げる。
近い。
覗き込む夕夜の顔。
――あ、やばい。
さっき見たあの綺麗な横顔と重なって、再び鼓動が早くなる。
「華も、だけど」
近すぎる距離。
透き通った瞳。
吸い込まれそう。
「ゆ――」
「てかこれ、すごいね。本物みたい」
「へ?」
ウィッグの髪質を指でつまんで、確かめている。
⋯⋯あ、またその感じ?
「なんか、中学のときの華みたいで――」
言いかけて、止まる。
「? 夕夜?」
「あ、ごめん」
髪から手を離して、俯く。
中学のときの私?
髪を切ってまだ一ヶ月くらいしか経ってないのに。
様子がおかしい。
「夕夜?」
返事がない。
「えっ? もしかして。黒髪ロングの私が好きだったとか?」
「は?」
少し驚いた顔。
「だって。なんかそんな感じじゃなかった、今」
困ったように小さく笑う。
「なんでそうなるの」
「絶対そうだった」
「違うよ」
小さく呟く。
「どっちも、華だよ」
柔らかい笑顔。
⋯⋯そうじゃないって分かってる。
でも。
どっちも好きって言われたみたいで。
息が詰まる。
やだな。
そんなつもりないのに。
夕夜といると、自分がおかしくなる。
「ちょっと思い出しただけだから……ほんと」
そうぽつっと呟いて、イルカの方を見る。
でも。
もっと遠くを見ている。
……何を思い出しているの?
聞きたい。
でも、聞いちゃいけない気がする。
「あ。ここに来たのも小6ぶりだよね。前はおじさんに――」
ぴくっ、と、夕夜の肩が揺れた。
「……うん」
声が、震えている。
「⋯⋯そうだね」
顔を覆う。
「え、夕夜?」
夕夜は息を押し殺すように崩れていく。
「……大丈夫、だから」
「具合悪いの?」
動かない。
こんな夕夜、初めて見る。
そっと、その手に触れる。
ゆっくりと顔が上がる。
青ざめた表情。
「どうし――」
言葉が止まる。
すがるような目。
……いつもと、違う。
離せない。
確かめるようにそっと頬に触れられる。
あ――。
離れなきゃ――。
そう思うのに。
動けない。
夕夜の顔が近づく。
――えっ。
ドンッ。
「ユーヤ君。ちゃんと見張っとけって言ったよね?」
鏡夜だった。
両手にドリンクとポテトを持ち、夕夜の背中に強めの蹴りを喰らわした。
「っつ」
夕夜は前の席に倒れ込む。
「何すんだよ」
振り返った夕夜は、いつもの顔に戻っていた。
「学校でハナに変な虫がついたらしいじゃない?」
「こっちの台詞。なんで華一人にしてんの? ナンパされてたよ」
「はぁ、どいつだよ? ちょっとシメてくるわ」
二人の言い争いなんて全然耳に入ってこなかった。
え。
今。
――キス、されそうじゃなかった?
え?
何?
どういうこと?
混乱している私を見て、夕夜はため息をつく。
「だから誘わなかったのに」
……え?
「ユーヤが行き先言わないからだろ」
「言ったら来るじゃん」
「知ってたら俺が止めてたよ。ここに入るときも結構止めたからね?」
「……」
無言で兄を睨む夕夜。
……やっぱり。
兄は何か知ってる。
「あ、はい。ハナちゃん、ご所望のポテトだよ」
隣に座って、ポテトを渡してくる兄。
え、いや。
いらないんだけど。
今、それどころじゃない。
夕夜を見る。
ふっと目を逸らされた。
気まずそうに立ち上がる。
「俺、これで帰るから」
「え?」
「鏡夜から離れないでね、華」
いつもより低い声。
「あ、明日。図書館だっけ? 朝、迎えに行く」
それだけ言って。
振り返らずに、去っていった。
チープなBGMだけが、やけに響いていた。




