第11話 水族館で①
「ハナちゃん、本当に入るの?」
水族館の入口まで来て、なぜか鏡夜が足を止めた。
「え? ここまで来たのに入らないの?」
「だってどうするの? ユーヤ君、中で女と待ち合わせてたら」
「え……それはあんまり見たくないけど。でもイルカとかペンギンとか見たいし」
人混みを指さす。
「ほら、こんなに人いるし! 絶対バレないって」
お願い、と手を合わせる。
兄は大きくため息をついて歩き出した。
「俺、どうなっても知らないよ?」
「水族館で何が起こるっていうのよ」
「うーん……」
久しぶりの水族館。
それだけで、ちょっと楽しい。
――だから。
兄がこんなにも渋る理由を、このときの私は深く考えなかった。
***
「デートでもなんでもなかったね」
「まさかの修行とはね。ユーヤらしい」
いつの間にか兄はコーラを持っていた。
相変わらず、魚よりも目立ってる。
「夕夜ってば、あんなに毒魚ばっかり見つめちゃって」
「 ”知ってる魚” しか出せないなら、ここか市場しかないもんね」
「人知れずにやってるの、夕夜らしいね」
「……あの毒、俺で試さないよね?」
特別展示の前。
夕夜は一時間以上、動かない。
水槽の中を泳ぐ魚を、じっと見つめている。
ヒレの動き、身体のしなり、水の流れ――
一つ一つを確かめるみたいに。
石上先輩も言ってたように、能力を使うには構造まで理解しないといけないらしい。
夕夜の場合、それは本物を見るしかない。
思ってたより、ずっと大変そうだった。
「ユーヤ君、ほんと真面目だねぇ」
「ちゃんと能力を使いこなしてきてるしね」
「そろそろ雑魚って言えなくなっちゃうかな」
「そういう言い方やめてよ。鏡夜のために頑張ってるんでしょ?」
「どうだか」
――『俺は華とまた――』
ふと、夕夜の言葉が頭をよぎる。
あのとき。
手を繋がれて、それどころじゃなくなったけど。
……あれ?
私?
夕夜が強くなろうとしてるのは、鏡夜のためだと思ってた。
でも――
あのとき、私の名前を言ってた?
「ハナ?」
「あ、ううん。なんでもない」
思い出しただけで、夕夜の手が触れていたところが熱くなる。
さっきまでのもやもやはいつの間にか消えていた。
でも今は……
水槽の光の中。
魚を見つめる夕夜の横顔が、やけに綺麗で。
――少し、ドキドキしている。
「ユーヤのこと、好き?」
兄はいつの間にか、夕夜ではなく私を見ていた。
「え、好き⋯⋯だけど」
言葉を選ぶ。
「家族としてというか、鏡夜と同じ感じの好きだよ?」
「デートじゃなくて、ほっとした?」
「そ、それは⋯⋯そう、だけど。でもそれは心配だったからで――」
「じゃあさ」
兄が軽く首を傾げる。
「ユーヤに彼女がいたらどうだった?」
「え……それは⋯⋯分かんない」
「分かんないの?」
「だって、鏡夜に彼女がいるのも嫌だし。そんな感じ」
「はは、そっか」
少し嬉しそうに笑う。
急になんなんだろう。
変に意識して、落ち着かない。
深呼吸してから、兄の隣に座る。
夕夜は子どもに話しかけられている。
困った顔もせず、ちゃんと目線を合わせて話してる。
……そういうやつだ。
「鏡夜」
「うん?」
「夕夜って、本当に彼女いないのかな」
「いないでしょ」
即答だった。
「いるわけない」
この兄……。
「いないの分かってて尾行したの?」
「ハナちゃんが気になるって顔してたから」
「そ、それは昨日のあれで……」
少し言いにくい。
「なんか恋愛に慣れてる感じがして……」
「それ、ユーヤに言わないでね」
「なんで?」
「カワイソウだから」
兄は組んだ足をぶらぶらさせながら、夕夜を眺めている。
何を考えているのかは分からない。
「なんか最近、夕夜変だよね?」
「あー……ね」
「過保護すぎるし」
「はは。余裕なくなっててウケるよね」
「余裕? 何の?」
「さぁ?」
……ほんとこの兄。
人が真面目に聞けばはぐらかす。
とにかく。
夕夜が気になるのは、ただ心配だからで――
「……そう、恋愛の好きは先生だしね」
――あ。
声に出してしまった。
「はっ?」
空気が変わるーー大魔王様の降臨。
「先生って?」
「え、先生?」
誤魔化そうとする。
無駄だった。
「先生ってことはガッコウ? 何、ハナちゃん、先生に恋してんの?」
「ち、違う! 玲香! そう、玲香が好きなの!」
ごめん、玲香。
「レイカ?」
「この前、話した友達! 今度紹介するね!」
いや、無理でしょ。
本当にごめん、玲香。
「⋯⋯」
「その顔、なに?」
「別にぃ? ただ、本っ当に使えないなって思っただけ」
「え?」
鏡夜は立ち上がり伸びをする。
一瞬だけ、夕夜の方を確認した。
「もうユーヤ見てんのも飽きたし、イルカ行こーよ」
「イルカ?」
「うん、あと二十分くらいでショー始まる。席取ってなんか食べてよ」
話題が逸れて、ひとまずほっとした。
夕夜はまだ水槽の前。
しばらく動きそうにない。
「そうだね。せっかくだし、こっちはこっちで楽しもうか」
「じゃ、ここからは俺と水族館デートね」
差し出された手を取る。
二人で手を繋いで、イルカショーへ向かった。
胸のドキドキはまだ残っている。
そして私は――
自分たちが、思った以上に目立っていることをすっかり忘れていた。




