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第106話 夏休み終わって


 22時。

 鏡夜の部屋をノックする。


 少しの躊躇いがあったような時間のあと、静かにドアが開く。


「どうした?」


「話、いい?」


 兄がドアから離れ、参考書を開いたまま机の椅子に座り、片膝を立てる。

 私はドアを閉めると向かいのベッドに腰掛けた。


「まだ学校も始まってないのに勉強なんてえらいね」


 兄もまた努力の人。

 初めから何でもできるわけじゃない。


「勉強してると落ち着くだけだよ」


「え、何その感覚」


「脳の隙間埋めとけば入ってこないだろ」


「な、何が?」


 兄がくすっと笑う。


「……で話って?」


「今日、香島宮(かしまのみや)行って大丈夫だったかなって」


「ああ。別に初めて行ったわけじゃないしね」


 あ、そっか。

 兄は奥宮(おくのみや)まで入ってるのか。

 そこで天音さんと会っている――。


「鏡夜もあそこに行くと能力出せなくなる?」


「いや平気」


 いつもより言葉が少ない。

 ふざけたりしていない、何かに落ち込んでいる兄。


『……五家は抗えるが、あいつは抗えない』


 先生の言った言葉を思い出す。


「他に変な感じ無かった?」


「大丈夫だよ」


「ねえ、鏡夜」


 兄が手を止め、こちらを向く。


「榊家は鏡夜にとっては敵?」


「……なんで?」


 榊家が敵とは限らない。

 先生の言っていたことが気になる。

 天音さんも、音羽さんも優しい。


 なんだか私も分からなくなってしまった。


 でも――。


「私は鏡夜の味方だから」


 兄は力が抜けたように私を見る。

 どこか悲しそうな目を細める。


「はは、俺に合わせることねーよ」


「えっ?」


「俺も、あの女も、五家も、榊も、アマネも。たぶん、みんな別のモノを見てる」


 ペンを回しながら、広げた参考書に視線を落とす。


「全部見てから決めよーぜ」


「どう言うこと?」


「俺と五家……俺とユーヤも敵になるかもしれねぇよ?」


「え?」


「そしたらハナ、どっちか選べんの?」


 私の方を見ずに兄は小さく笑った。


「⋯⋯まぁ、可能性の話だ」


「そんなことはないと思う」


 だって。


「夕夜は⋯⋯鏡夜だって。自分を優先にしないじゃん。だから、二人とも同じ側に立つと思うよ」


「⋯⋯いい世界だな」


 兄は静かに笑う。


「⋯⋯鏡夜が作った世界だよ」


 鏡夜がずっと守ってきてくれた、私たち三人の世界。


 兄の手が止まって、少しだけ俯く。


「そんなの、壊れればいい⋯⋯」



 ――長かった夏休みが終わる。




 ***




「あ、残高ねぇよ」


 新学期初日の朝。

 鏡夜が改札で立ち止まる。

 その後ろで夕夜が詰まる。


「使い切ったの忘れてた」


「現金あるの?」


「800円くらい」


「チャージしてきなよ」


「今日、焼きそばパンの日なんだよ」


「⋯⋯じゃあ切符買ってきなよ」


「切符とか。化石かよ」


「乗り遅れるから早く買ってきなよ」


「買い方分かんねーよ」


「そっちの方が化石でしょ」


 夕夜が呆れて、引き返す。


「華、ちょっと待ってて。鏡夜行くよ」


 先に改札を通っていた私は、そのままホームに向かう。


 ……あの夜の兄は幻だったのだろうか。

 世界の破滅を望んだことなんか無かったかのように、いつも通りだ。


 兄の本音と嘘が分かればいいのにな⋯⋯。


「あの!」


 そしたら、もう少し兄の気持ちに寄り添えるのかな⋯⋯。


「あの!」


 ふいに肩を叩かれる。


「えっ」


 振り向くと学ラン姿の別の高校の人。

 大きな運動部のバッグを肩にかけている。


 知らない人……。


「な、なんでしょうか」


 私、何か落とした?

 ポケットの中のスマホを確認する。ある。

 定期も、ある。


「あ、あの」


 その人も大きなバッグを漁って、何かを探してる。


「お、俺。四月からずっと君のこと見かけてて⋯⋯それで、気になってて」


「?」


「いつも一緒にいる彼氏かな⋯⋯が、いるのも知ってるんだけど、夏休みの間ずっと後悔してて」


 な、なんの話?


「チャンスがあったら、これだけ渡したかったんだ」


 そう言って、くしゃくしゃになった手紙を渡される。

 なぜか石上先輩を思い出す。


「返事とか何もいらないんだ。これで部活に集中できるし」


「え?」


 返事?

 え、これってまさか!


「だから俺のこと見かけてもスルーして。ただ伝えたかっただけだから!」


「へ?」


「じゃ。ありがとね」


 勝手に別れを告げて、彼は反対のホームへと去っていく。

 そして、改札からは明らかに不機嫌そうに歩いてくる夕夜と、後ろで肩をすくめる兄。


「えっ?」


 状況が追いつかない。

 な、何?

 私は何に巻き込まれてる?!


「ちょっと目を離すとこれ」


 夕夜の声が低い。


「検閲入りまーす」


 持っていた手紙を兄が奪い取る。

 そして勝手に開けて読む。


 夕夜はそれを止めることもなく、ちらっと横目で見てため息を吐く。


「はい、閲覧不許可」


「へっ?!」


 手紙はそのまま、鏡夜の鞄にしまわれた。


「え、ちょっと!」


「電車来たから早く行くよ」


 わけが分からないまま夕夜に手を引かれ、電車に押し込められた。


 腕に添えられたままの夕夜の手。

 夏休み前よりも近くなった距離に鼓動が速くなる。


 でもこの緊張は、至近距離で不機嫌なままずっと見られているから。


「あの、何でしょうか?」


「⋯⋯別に」


「じゃあなんで見てるの?」


「……可愛いなって」


「は? そんな顔してそんなテンションで言うことじゃないでしょ?」


 藤原君でも、もう少し取り繕うよ。

 なんなんだ一体。


「直撃は久々で油断したな」


 夕夜の態度に兄が笑う。


「直撃?」


「直撃阻止はユーヤ担当だろ」


「今回は鏡夜のせいでしょ」


 夕夜が呆れた眼差しを返す。


「あれ、そういや切符どこやったろ」





「え!」


 天音さんの顔が歪む。


「それってあいつら華ちゃん宛の手紙、勝手に読んで捨ててるってこと?!」


「あいつらっていうより、鏡夜が……?」


 始業式が終わって教室に戻りながら、今朝のことを話した。


「華がモテないのは鏡夜サマと大伴のせいだったか」


 玲香が笑ってる。


「じゃあ、やっぱりあの手紙って、そ、その」


「「ラブレターでしょ」」


「何、名竹さん告られたの?」


 後ろから藤原君が笑いながら入ってきた。

 その隣には気まずそうな顔の夕夜。


「こ、告られてないよ! 返事いらないって言われたし! いや、そもそも手紙の内容も違うかもしれないし!」


「へぇ」


 藤原君が目を細め、私を見て、夕夜を見る。


「良かったなぁ、大伴君」


 藤原君が夕夜の肩に腕を回す。


()()()()、もう名竹さんの警備員は卒業だもんなぁ?」


 夕夜が視線を逸らす。

 藤原君がその視線を追いかけるように覗き込む。


「あれ? 違うの?」


「……分かってるよ」


「何が? めちゃくちゃダセェってこと?」


「そうだよっ」


 夕夜が怒って藤原君の腕を振り払うと、藤原君は愉しそうに笑った。


「もっと余裕持てよ」


「……分かってるよ」


 よく分からないけど、珍しく藤原君がまともなことを言ってる気がする。


「まぁ名竹さんも、警備員いないときは」


「ん?」


「施錠くらいしなよ?」


「してるよ?」


「まさにそれだよ、ポンコツ」


 なぜか被弾した。

 天音さんも玲香も小さく頷く。


「そういや王子も、新学期早々また噂なってんじゃん」


 玲香が腕を組みながら、冷やかすように言った。

 藤原君は天井を見上げ、考えるように視線を左右へ泳がせる。


「どれ?」


 ……どれ?

 そんなに心当たりあるの?


「藤原光輝に彼女が出来たんじゃないかって」


 私は思わず天音さんを見る。

 天音さんは眉をしかめて首を振る。


「鞄に可愛いキーホルダーが付いてるって騒がれてたよ」


「ああ、それか」


 藤原君が可笑しそうに笑う。


「藤原君、心当たりがあるの?!」


「名竹さんて人の恋愛にはめっちゃ食いつくのな」


「分かんないくせにね」


「天音さん⋯⋯ひどくない?」


 恋に辛辣な天音さんは夏休み後も健在だ。


「まぁでも、それは確かに女から貰ったやつだわ」


「えっ! そうなの?!」


「意外に役立ったな」


 藤原君は満足そうに口元を緩める。

 夕夜が呆れたようにそんな藤原君を横目で見てる。


 藤原君が女の子にもらって、わざわざ付けるなんて……もう恋じゃん!


「華……」


 夕夜はなぜか止めようと手を伸ばしてくる。


「素敵だね! 私、応援しちゃう!」


 夕夜が諦めたように伸ばした手を引っ込める。

 藤原君がふっと息を漏らす。


「人の想像力はすごいな。おかげでラクだ」




 放課後――。


 藤原君とすれ違う。 

 鞄を見た私に藤原君がくすりと笑った。


「防犯用」


 藤原君の鞄にはワオキツネザルのしっぽが揺れていた。


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