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第105話 真夏の夜の熱


 迫りくる羽音。

 無貌だからとか関係ない。

 ただ、ただ、気持ち悪い!


 私は躊躇いなくサイドボタンを3回押した――。


 スマートウォッチの画面の色が変わる。


 え、なんかエラー?!

 赤い警告色に文字が浮かぶ。


 【スピーカー出力 リミッター強制解除】


 は?

 スピーカー?!


 そして虫の大群が覆い被さってくる瞬間――。


 【排水モード】


 はっ?


 腕時計が小刻みに震え、ブゥゥゥンと音がなる。


 あ、私詰んだ――。


 頭を抱えて咄嗟にしゃがむ。


 けど。


 ぶつかるはずの虫たちが、左右へ割れるように私を避けていく。

 考える間もなく四つん這いでその道を抜ける。


 えっ?! なんで?! 


 後ろを向くと道はもう閉じ始めている。


 に、逃げなきゃ。


 私は再び走り出す。

 震えている腕時計が熱くなる。

 慌てて外すとパチパチと音を鳴らして火花を散らし始めた。


 えっ! 爆発しないよね?!


「川に投げ込め」


 藤原君が叫ぶ。


 えっ! プレゼントなのに!!


 でも腕時計の画面から炎が立ち上がる。


「ご、ごめん、ありがとう!」


 走りながら腕時計を放り投げる。

 広場脇の小川へ落ちると、ジュッと音を立てて闇へ消えた。


 そのまま先生の方へ走る。


待宵(まつよい)――玉響乱(たまゆら)


 背後を追ってくる虫に向かって、赤い弾道が私の横をかすめる。

 一瞬で背後の虫たちが灰と化した。


 無貌が新たに虫たちを呼ぶ間に、私たちは一か所へ集まる。


「俺が奴の核をあぶり出すよ」


「お前が?」


「あんたはその時間で貯められる最大出力を核にぶつけろ」


 藤原君が短く言い切る。


綻毘(ほころび)で浄化させないの?」


「今回は見送ろう。まだチャンスはある」


 藤原君が言葉とは別の何かを、前髪で隠れた視線で訴えかけてくる。

 きっと何かあるんだ――。


「分かった⋯⋯」


「倒す、でいいんだな?」


「ああ。じゃあ行こう」


 先を行く藤原君が髪を耳にかき上げる。

 月明かりを受けて眼鏡の端がきらりと光る。


 っ!


 眼鏡の奥の灰青の瞳と目が合うと、一瞬だけ愉しそうに細まった。


 無貌に向かい合うようにしゃがみ込んだ藤原君は、地面に手を当てる。


玉輪(ぎょくりん)――僻覚絵(ひがおぼえ)


 明るい光の輪が藤原君を中心に広がっていく。

 周辺が一瞬だけ昼間のように明るくなる。


 光の輪に取り込まれた虫たちは細かく震え出し、次第に羽音が大きくなる。


 同時に、無貌の形が縮むように集まり始める。


 虫たちは幾重にも重なり合い、羽音はさらに激しさを増した。


 無貌の身体がだんだんと小さくなり、やがて丸い塊となっていく。


「……蜂球(ほうきゅう)か」


 ぼとぼとと、自らの熱に耐えきれず地面に落ちていく虫たちを見て、鷹野先生が感心したように呟いた。


「はぁ……数が、多いな……」


 呼吸を荒くした藤原君が、その場にしゃがみ込んだまま小さく笑う。


「蜂の巣突っつくと大変だよね」


 先生が眼鏡を押し上げ、しゃがみ込む藤原君を見下ろす。


「⋯⋯やっぱどっかで聞いてたんだな」


 先生は藤原君の前に立つと、手のひらを握り構えた。


待宵(まつよい)――」


 公園に響く羽音が少しずつ弱まっていく。


 先生がゆっくりと息を吐く。


 先生の視線が無貌の塊の中に現れ始めた、黒く輝く核を捉えた。


玉響乱(たまゆら)


 羽音に混ざって響いた声は、授業のときと変わらず静かで穏やかだった。


 赤い閃光が貫く。

 パキンっと割れた音が聞こえて、無貌の動きが止まる。

 虫だったものは、さらさらと灰となって消えていく。

 月明かりに照らされた広場に静寂が戻った。


「大丈夫、藤原君?」


 しゃがみ込んだままの藤原君に駆け寄り、肩を貸そうと手を差し出す。

 藤原君は首を振る。


「大丈夫」


 立ち上がろうとしてふらつく藤原君を、先生は無言で支え起こした。

 藤原君が少しだけ不服そうに眉をしかめる。


 私は、肩を担がれながら歩く藤原君の横を並んで歩く。


「藤原君、時計ごめんね」


「別に。それ用だし」


 ぶっきらぼうに答える藤原君に思わず頬が緩む。


「最初から虫除けだったの? 三回押してってやつ」


「あれは⋯⋯ふっ。スピーカーのリミッター外すだけのジョークプログラム」


 藤原君が可笑しそうに笑う。


「え?」


「エラー画面も偽もん。名竹さん驚かそうと思って仕込んでたやつ」


 は? 何しようとしてたの?


「じゃあ虫が避けたのは⋯⋯」


「”排水モード”はスピーカーから高周波出す元々の機能。俺が遠隔で切り替えて最大出力で出しただけ」


「藤原君と時計どっちがすごいのか、よく分かんない⋯⋯」


「虫まみれにならなくて良かったね」


 藤原君が力なく笑うから、怒るに怒れない。


「藤原って機械強いんだな」


「機械て⋯⋯おっさんじゃん」


「おっさんなんだよ」


「何で⋯⋯あんただけ、年いってんだろうね⋯⋯」


 そのまま眠るように目を閉じる。


「……ほんと性格悪いな、お前」


 その声はもう藤原君には届かない。


 相変わらず綺麗な寝顔に、思わず笑ってしまう。

 私はそっと藤原君の眼鏡を外した。


 そして――。


 藤原君がダウンし、腕時計も失った私は、すぐに新たなピンチを迎える。


 運転手さんの視線が痛い。


「先生、すみません。お金貸してください」


「……」


「ほんとにすみません……」


「領収書、藤原で切っとくか」


「……そうしてください」




 ***




「華!」


 先生の車から降りると、アパートの階段のとこで待っていた夕夜が駆け寄ってきた。


「あ、夕夜も帰っ――」


 夕夜の腕が私を抱きしめる。


 えっ?


「良かった」


 ⋯⋯いや! 良くない!


「ゆ、夕夜っ!!」


「無事で」


 無事じゃない!

 いま!

 無事じゃなくなってる!


「夕夜!」


 夕夜の腕に力が入る。


 夕夜の匂いも、硬い胸も。

 近すぎて頭がクラクラする。

 さ、酸欠に、なる……。


「家ん中でやれ」


 後ろから鷹野先生の声。

 先生に気づいた夕夜の腕がようやく緩められる。


 私の肺に酸素が入ってくる。

 深呼吸をする私を横目に、鷹野先生が夕夜に訊ねる。


「……名竹兄は無事か?」


「はい」


「なら良いが……あまり、榊の領域には入るなと伝えとけ」


「理由を聞いても?」


「……五家は抗えるが、あいつは抗えない」


「……榊家は、敵?」


「そうとも言えないのが、この物語の厄介なところだな」


 言葉に詰まる私たちを見て、鷹野先生がふっと笑う。


「古典の勉強でもしとけ」


「俺抜きで、楽しそうな話しないでよ」


 藤原君がだるそうに歩いてきた。

 先生が呆れたように笑う。


「藤原。お前、迎えはあるんだよな?」


「うん」


「なら俺は帰るぞ?」


「うん、お疲れ様」


「じゃあお前たち、早く寝ろよ」


 先生は気だるげに車へと向かう。

 けどポケットに手を入れた瞬間、何かに気づいて戻ってきた。


「ああ、藤原」


「何?」


「これ渡しとく」


「何これ」


「タクシーの領収書」


「生徒に払わすのかよ」


「教師の給料舐めんなよ」


 そう言い残し、先生は車へ乗り込む。


 先生の車を見送ったあと、藤原君が手のひらを差し出した。


「名竹さん、眼鏡返して」


「あ、そうだった」


 私はバッグからハンカチに包んだ藤原君の黒縁眼鏡を取り出す。


 公園の暗闇では気がつかなかったけど、単独で見るとけっこうゴツい。

 フレームの端には小さなレンズが付いている。


「無貌は映らないんでしょ? 何を撮ってたの?」


「鷹野の能力」


「鷹野、何か気になる?」


 私の腰に手を添えたままの夕夜が、藤原君に訊ねる。


「いや、ほんとに『火』なのかなって。“見えてる現象は何なのか” ね」


 藤原君が愉しそうに眼鏡を受け取る。


「これで検証できる」


「今回の変装は眼鏡のためだったんだね」


「まぁね。鷹野煽るのにも使えたけど」


 目が隠れたままのウィッグで、口元に笑みを浮かべる。

 夜のせいか、なんか⋯⋯いつもの()()()より不気味だ。


 アパートの道路脇に一台の車が止まる。


「じゃ、次は学校かな」


「藤原君、今夜はちゃんと寝なよ?」


「⋯⋯じゃあまたね」


 そっけなく挨拶をして背中を向ける。

 車に乗り込んだ藤原君は、こちらを見ることなくドアを閉めた。


 発進した車に私が手を振ると、運転席の斎藤さんが小さく笑って会釈した。


「絶対寝ないね、藤原君」


「そうだろうね」


 苦笑いする夕夜の声がそばで聞こえて、その近さに気がつく。

 腕が離れているだけで、さっきとあまり変わらない距離に夕夜がいる。


 思わず一歩離れる。

 夕夜が無言で私を見る。


「な、何ですか?」


「⋯⋯何も言ってないよ?」


「う、嘘」


 夕夜がくすっと笑う。


「何でそう思うんだろうね?」


「⋯⋯に、逃げたから」


「分かってるんじゃん」


 夕夜が笑いながら、私の顔を覗き込む。

 月に照らされた夕夜の茶色の髪がふわふわと揺れている。


「そろそろ慣れてかない?」


「無理っ!」


「は?」


 思わず出た言葉に夕夜の瞼が下がる。


「あ、そうじゃなくて!」


 夕夜の肩を押さえて一歩下がる。


「こ、このくらいで!」


「このくらい⋯⋯」


「ま、まだね!」


()()、ね」


「〜〜っ! ほ、ほら行くよ!」


 納得してないような表情の夕夜の背中を押しながら、階段を上がる。

 夕夜の背中に触れてる手から、夕夜の体温が伝わってくる。


 ――熱い。


 この熱さをもっとそばで感じるなんて。

 きっと、熱で死んでしまう⋯⋯。


「蜂球だ⋯⋯」


「⋯⋯?」


 振り向いた夕夜が、私を見て呆れたように笑った。





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