第104話 ほんとにピンチ!
「何ふざけてんの、藤原」
黒髪マッシュに黒縁眼鏡。
小憎たらしい笑顔を浮かべた藤原君を前に、鷹野先生の呆れきった声が夜の公園に響いた。
藤原君は愉しそうに首を傾げる。
「今は藤田君だってば」
「⋯⋯名竹妹。こいついるなら俺はいらねぇな?」
「え?」
「帰る」
「え! 待ってください、待ってください!」
立ち去ろうとする鷹野先生の腕を慌てて掴む。
「俺らカカシなんだけど。しかも名竹さんなんて的だし」
「ちょっと言い方!」
「教室で見たでしょ? 俺が出来るのなんてあの運転手の記憶変えるくらい」
先生は黙ったまま藤原君を見据える。
藤原君は前髪に隠れた眼鏡を指で押し上げながら、口元だけで笑った。
「だからさ助けてよ、先生?」
「ほっとけばいいだろ」
「いやあ、苦しんでる生き物ってほっとけないよね」
苦しめてる側の人間が何を言う……。
押し黙る私たちを見て、藤原君は公園に向かって手を広げた。
「じゃ、行こうか」
鷹野先生は深いため息を吐くと、誘導されるように歩き出した。
なぜか私も申し訳ない気持ちで、後をついて行く。
珍しく、藤原君の足取りだけが軽かった。
「藤原君、夕夜たちは?」
公園の遊歩道に続く長い階段を降りながら、今の状況を訊ねてみる。
私だけ別の作戦の中にいるみたいだ。
「斎藤と香島宮に行ってる。あ、そっか」
藤原君が手に持ってたスマホとは別のスマホを、ポケットから取り出す。
「名竹さんとの通話切ってなかったな」
え?
私、非通知の上、サブ機でかけられてるの?
私の視線に気づいた藤原君がにやっと笑って、通話を切る。
そして熱を持った私のスマホが、ポケットの中で何回も震える。
【大丈夫?】
【終わったら電話して】
夕夜からのメッセージが何通も届く。
「あ、大伴君には俺から連絡しといたから大丈夫だよ」
大丈夫じゃなさそう⋯⋯。
とりあえず、スタンプだけ送っとく。
すぐに既読が付いた。
「向こうは今回、大丈夫なのかな?」
「潜入しないしね」
「え?」
「向こうに着いてすぐ、藤田君と大伴君、名竹君の三人で神社参拝しただけだよ」
「えっ?! 藤原君向こうにも行ってたの?」
「いや? 斎藤の “藤田君” 」
え、斎藤さんが?!
藤原君のフリしたの?!
そんなことまでやるの?!
一体なんの意味が……。
「あぁ。誰かが神社の監視カメラ確認してたら、“俺” たち三人が香島宮にいたってバレちゃうな」
藤原君が独り言のように喋り出す。
「でも黒髪じゃ、知らなきゃ “俺” だって分かんないか」
くすくすと笑う。
「あ。そう言えば俺、あの神社の監視システムに“ 閲覧検知” 仕込んでたんだった」
え――?
それって先生の前で言っていいの?
「監視カメラが閲覧されたら通知来るようにしてたんだよね」
藤原君がわざとらしくスマホの画面を見せびらかす。
「……誰が見たんだろうな、これ」
……怖い、重い。
なんか私まで胃が痛くなる。
先生は眼鏡を指で押さえ、俯いた。
「性格悪すぎだろ……」
「よく言われる」
「褒めてねぇからな」
「……先生って榊家利用してんの? されてんの?」
先生は小さく息を吐く。
「……されてるのかもな」
「じゃあ、鷹野家の人たちは?」
先生の視線が揺らぐ。
私も、もちろん藤原君もその瞬間を見逃さなかった。
「鷹野家は……」
先生が言葉を選んでる。
たくさんの言葉の中から、丁寧に選ぶように呟いた。
「……ただの、お人好しだよ」
私はその言葉に安心する。
藤原君の笑みも消えた。
「だから鷹野家はほっといてやってくれ」
先生は藤原君に静かに微笑むと、足を止める。
そのまま視線の先にいる無貌に目を向けた。
街灯に照らされ、円形広場の中央で月を見上げる無貌の姿。
時たまノイズが入ったようにその影が揺らぐ。
藤原君はそのまま私たちから離れ、円形広場を眺めるように置かれた東屋のベンチに腰掛ける。
足を組んで肘をつくと、頬にかかる髪を耳にかき上げた。
え?
見学って……そんな優雅な感じ?
「妹、よそ見するな」
「は、はい!」
無貌のうごめく身体から、黒い影が腕のようにゆっくりと伸びる。
その黒い影が、ざわりと波打った。
ん?
うごめく??
え……あれって……。
身体に鳥肌が立つ。
「せ、先生。私、あれは無理かも……」
思わず後退りする。
「行け」
先生の掛け声と共に走り出す。
次の瞬間――。
無貌の身体を成していた無数の虫が、羽音を立てて私に向かって迫り来る。
「い、いやあああああああああ!!!」
夜の公園に私の悲鳴が響き渡る。
「ちょ、って! ど、どう! 逃げれるわけな――!」
「待宵――」
先生は軽く握った手を無貌へ向ける。
眼鏡の奥から、藤原君の視線が先生を射抜く。
「玉響乱」
開いた手のひらから鈍く輝く赤い光が、無貌の伸ばした腕の先端に放たれた。
光は虫の群れを突き抜けると、その勢いで肩までを撃ち抜いた。
光に触れた虫たちは動きをピタッと止め、そのまま地面に落ちていく。
地面に落ちた虫は、一拍遅れて爆竹のように弾け散る。
灰になった虫たちは砂埃となって消えた。
腕を失った無貌は全身を震わせる。
それに呼応するかのように周囲の虫たちが一斉に騒ぎ出す。
「いや、だから無理ぃ!!」
どこからともなく虫は集まりだし、再び失った腕がゆっくりと伸ばされる。
私は助けを求めて、映画でも見てるように座ってる藤原君の方に走り出す。
「こっち来たら殺すよ?」
「ひぃっ!」
藤原君に睨まれ、そのまま素通りする。
「腕時計、サイドボタン3回」
「え?」
「ほんとにピンチのときな」
「今もけっこう……」
「まだ走れるだろ?」
頬杖をついたまま、にっと笑う。
「切り札な」
藤原君は足を崩すとスマホをいじりだす。
もう私のことなんて気にしていない。
くっ!
なんで私だけ!!
虫が来る前に少しでも距離を取ろうと全力で走る。
あんなのに包まれてしまったら一生夢に見る⋯⋯。
「センセー、火力上がらないの?」
藤原君がベンチに腰掛けたまま、挑発するように鷹野先生に問いかけているのが聞こえた。
「奥は森。一気にやらないとすぐ呼ばれるよ」
「⋯⋯時間が必要だ」
「チャージ式ね。了解」
藤原君が辺りを見回している。
何か考えてはくれてそうだ。
よ、よし!
私はいつも通り、時間を稼ごう!
けど――。
「いやあああああああああ!!!」
迫りくる羽音。
背筋がぞわぞわする。
無理、ほんっと無理っ!
池? トイレ?
どこに逃げる?!
考える暇もなく、斜面に追い詰められる。
目の前には上りきれるとは思えない急な階段⋯⋯。
こ、これは――。
ほんとにピンチですよね、藤原君?




