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『汗ばんだ制服の距離が近すぎるせいで、俺の青春は毎日ギリギリです』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 春の距離感は、たぶん校則で制限できない

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第35話 近くにいる理由を、少しだけ言葉にする

朝の校門で俺が先に待っていた、その翌日。


 さすがにもう、自分でもいろいろとごまかしきれなくなっていた。


 朝倉ひよりが嬉しそうに笑ったこと。

 その顔を見て、俺まで少しだけ救われた気分になったこと。

 そして何より、たった一回“迎えに行く側”になっただけで、あんなにも空気が変わったこと。


 近くにいることは、もうただの習慣じゃない。

 少なくとも、俺にとっても、ひよりにとっても。


 それがわかったのに、まだ名前がつけられない。


「……面倒だな」


 朝、制服のネクタイを整えながらそう呟くと、自分でも少しだけ笑いそうになった。


 最近ずっとそればかり言っている気がする。

 でも本当に面倒なのだから仕方ない。


 教室へ行けば、たぶんひよりがいる。

 近くに来る。

 俺はそれを受け入れる。

 周りは面白がる。

 白瀬凛香は見ている。

 七瀬澪は時々余計なことを言う。

 藤崎蓮は毎回無駄にうるさい。


 そんな毎日が、少しずつ当たり前になってきている。


 そして、その“当たり前”が壊れた時に、自分が思った以上に落ち着かないことも、もう知ってしまった。


 その日の朝、ひよりは校門で待っていた。


 俺が近づくと、すぐにこっちを見つけて笑う。

 その笑顔に、前ほどの照れはない。

 でもゼロでもない。

 あの日の“今日は、俺から行く”の余韻が、まだ少しだけ残っている感じだ。


「おはよう」

「……おはよう」

「今日は待たなかったね」

「毎日やるかよ」

「えー」

「何だよ」

「ちょっとだけ期待した」

「するな」


 ひよりはくすっと笑った。


 そのまま並んで歩く。

 朝の風は少し軽く、空はよく晴れている。

 春の終わりに近い光が校門のあたりを明るくしていて、制服の色まで少し鮮やかに見えた。


「でも」

 ひよりが言う。

「昨日のやつ、ちょっと反則だった」

「まだ言うのか」

「だってほんとだもん」

「何が反則なんだよ」

「柊くんって、普段そういうの全然しなそうだから」

「……」

「だから余計に、きた」


 その言い方が、妙にまっすぐだった。


 俺は答えずに校門をくぐる。


 こんなふうに、ひよりはたまに真正面からくる。

 軽く笑って言うくせに、中身は全然軽くない。

 だから困る。


 教室でも、流れはもうほとんど固まっていた。


 ひよりは自分の席に鞄を置く。

 少ししてから、当然みたいに俺の机の横へ来る。

 蓮が茶化す。

 俺がうるさいと言う。

 白瀬が静かに見ている。


 それ自体は変わらない。


 でも、俺の中身だけが少しずつ変わってきていた。


 ひよりが隣に来る。

 それだけで、ちゃんと「よかった」と思ってしまう。

 その感覚をごまかすのが、前より難しくなっている。


 昼休みも同じだった。


「今日は何弁当?」

 ひよりが言う。

「普通」

「それ前も聞いた」

「じゃあ聞くな」

「聞きたいんだもん」

「何で」

「……近くにいる感じするから?」


 その答えに、一瞬だけ言葉を失う。


 ひよりは自分で言ってから少し照れたらしく、すぐに「今のは何でもない」と付け足した。

 でも、何でもないわけがない。


 最近のひよりは、前よりちゃんと“こっちへ寄せる”言葉を選ぶことがある。

 無自覚だけで近づいていた頃とは、少し違う。


 だからこそ、余計にごまかせない。


 放課後。


 最後の授業が終わる頃には、夕方の光が教室へ深く差し込んでいた。

 ざわつきながら帰る支度をするクラスメイトたちの中で、ひよりはいつものように俺の近くへ来る。


「帰ろっか」

 と言う声が、もうほとんど自然なものになっている。


「……ああ」


 二人で教室を出る。


 今日は蓮も澪も来なかった。

 白瀬の視線だけは背中に少しだけ残る。

 でも追いかけてくる気配はない。


 昇降口を出て、校門をくぐって、少し人通りの多い通学路を抜ける。

 住宅街へ入る頃には、周りのざわめきもだいぶ遠くなっていた。


 風が少しだけ冷える。

 夕飯前の町の匂いが流れてくる。


 こういう帰り道は、最近いちばん危ない。


 朝や昼と違って、余計な音が少ない。

 そのぶん、言葉がそのまま残るからだ。


「ねえ」

 ひよりが言う。

「何」

「昨日のこと、まだちょっと嬉しい」

「昨日?」

「校門のやつ」

「……」

「返事ない時、だいたい図星だよね」

「おまえも人のこと言えないだろ」

「私はわかりやすいって自覚あるもん」

「そこ誇るな」

「誇ってないよ」


 ひよりは笑って、それから少しだけ静かになった。


 その沈黙の種類で、何となくわかる。

 今日は何か聞きたいことがある。

 でも、どう切り出そうか迷っている。


 少し歩いてから、案の定ひよりが言った。


「柊くんってさ」

「何だよ」

「私がしんどそうだと、やっぱりすぐわかるんだよね」

「……まあ」

「それって、やっぱりすごいなって思う」

「またその話か」

「うん。でも、今日はそこじゃなくて」


 ひよりは前を向いたまま、少しだけ声を落とした。


「何で、そこまで気にするの?」


 その問いが、思っていたより深く刺さった。


 何で。


 理由はいくつもある。

 近いから。

 わかりやすいから。

 放っておけないから。

 気づいてしまうから。


 でも、どれも少しずつ違う。

 そして今ほしいのは、たぶんそういう説明ではない。


 ひよりが聞いているのは、“どういう理屈でわかるのか”ではなく、

 “どうして私のことをそんなふうに見ているのか”なのだ。


 そこまで理解した瞬間、喉の奥が少しだけ詰まる。


「……」

「やっぱり答えにくい?」

 ひよりが少しだけ困ったように笑う。

「別に、無理に聞きたいわけじゃないんだけど」

「いや」

 俺はそこで、一度だけ息を吐いた。

「答えにくいっていうか」

「うん」

「うまく言えない」

「そっか」

「でも」


 そこで足を少しだけゆるめる。


 ひよりも、それに合わせて歩幅を落とした。


「おまえがしんどそうなの」

 俺は言う。

「見てられない」

「……」


 ひよりが止まる。


 俺も止まった。


 住宅街の夕方は静かだ。

 遠くで犬が吠える声と、自転車のブレーキ音が少し聞こえるくらいだった。


「それだけ?」

 ひよりが、小さく聞く。

「……それだけ、じゃないかもしれない」

「え」

「でも、今ちゃんと言えるのはそこまでだ」

「……」


 ひよりの目が揺れる。


 泣くとか、笑うとか、そこまで大きくは動かない。

 でも、確実に何かが届いた時の顔だった。


 俺は続ける。


「おまえが笑ってるなら、まあいい」

「……」

「でも、無理してるとか、しんどそうとか」

「……」

「そういうの見えると、放っとけない」

「……」

「見てるだけで済ませる方が、たぶん嫌だ」


 そこまで言って、ようやく自分でも少しだけ息が楽になる。


 好きだとは言っていない。

 でも、ただのクラスメイトに向ける言葉でもない。


 たぶん今の俺に言えるのは、これが限界だった。

 そして、限界なりにかなり踏み込んでいた。


 ひよりはしばらく何も言わなかった。


 風が吹く。

 髪が揺れる。

 その横顔が、少しだけ赤くなっている。


「……それ」

 ひよりが言う。

「何」

「ずるい」

「何でだよ」

「だって、好きとかそういうのは言わないのに」

「……」

「私が一番うれしいところだけ、ちゃんとくる」


 そう言って、ひよりは少し笑った。


 でも、その笑い方はいつもの明るいものより、ずっとやわらかい。

 泣きそうな手前で、でもちゃんと笑っている顔だった。


「……ありがと」

 ひよりが小さく言う。

「別に」

「それ、今日のは違う」

「何が」

「今のは、ちゃんと特別なやつだったから」


 特別。


 その言葉に、また胸の奥が少しざわつく。


 やっぱり、そこなのだ。

 俺はまだ、その言葉を自分からは使えない。

 使った瞬間に、今の関係が別のものへ変わってしまいそうで怖いから。


 でも、ひよりはもう、かなり近いところまで来ている。


「じゃあ」

 ひよりが少しだけ上を向いてから言う。

「もっと頼っていい?」

「……何を」

「しんどい時とか、困った時とか」

「……」

「今までもわりと頼ってたけど」

「自覚あるんだな」

「最近ちょっとね」

「……」

「だめ?」


 その聞き方が、またずるい。


 でも今の俺に、それをだめと言えるはずがない。


「……好きにしろ」

 結局そう返すと、

「それ、“いいよ”って意味だよね」

 とひよりが言う。

「都合よく取るな」

「取るよ」

「……」

「だって今の、ちゃんと嬉しかったから」


 ひよりはそう言って笑った。


 その笑顔を見た時、やっぱり思う。


 まだ恋と呼ぶには、俺は少し臆病だ。

 でも、朝倉ひよりを“放っておけない人”として抱え込んでいることだけは、もうどうやっても否定できなかった。

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