表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『汗ばんだ制服の距離が近すぎるせいで、俺の青春は毎日ギリギリです』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 春の距離感は、たぶん校則で制限できない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/40

第34話 今日だけは、俺から行く

翌朝、俺――柊真央は目覚ましが鳴る前に起きた。


 起きた瞬間、自分でも少しだけ嫌になった。


 理由はわかっている。

 昨日、七瀬澪に言われた言葉が、まだ頭の中に残っていたからだ。


 好きかどうかはまだ決めなくていい。でも、ちゃんと選びなよ。


 あいつの言い方は昔から腹が立つ。

 腹が立つくせに、変に図星なことばかり言う。

 しかも今回は、逃げ道のないところを刺してきた。


 朝倉ひよりが近くにいるのが当たり前になってきている。

 いないと落ち着かない。

 距離を取られると気になる。

 戻ってくると安心する。


 そこまで来ているのに、俺だけがまだ“何でもない顔”をし続けている。

 それはたしかに格好悪いのかもしれない。


「……面倒だな」


 呟きながら、制服に袖を通す。


 窓の外はよく晴れていた。

 春の終わりが近づいた朝の光は、前より少しだけ強い。風もそこそこあるらしく、庭木の葉がゆっくり揺れている。


 ひよりは、今日もたぶん校門にいるだろう。


 昨日までの俺なら、それを前提に少しだけ遅めに歩いていたかもしれない。

 でも今日は違った。


 考えるより先に、支度が早く終わっていた。

 家を出る時間も、いつもより少し早い。


 それに気づいた瞬間、自分で自分に呆れた。


「何やってんだ俺」


 口に出しても、足は止まらない。


 朝の道は静かだった。

 通学する生徒の数もまだ少なく、空気は軽い。

 洗いたての制服の匂い、開いたばかりのコンビニの空気、朝露の残る草の匂い。そういうものが、いつもよりはっきり感じられる。


 校門が見えてきた。


 まだ、ひよりはいなかった。


 その事実に、少しだけ胸の奥が妙な感じになる。

 ほっとしたのか、拍子抜けしたのか、自分でもよくわからない。


「……そりゃそうか」


 俺の方が早く来るなんて、今までほとんどなかった。


 校門の脇にある外灯のそばで立ち止まる。

 通り過ぎていく他の生徒たちが少しだけこちらを見る。

 そりゃそうだ。俺みたいなのが、朝から意味もなく校門近くで立っているのはそれなりに怪しい。


 落ち着かない。


 でも、今さらもう引き返すのも変だ。


 数分もしないうちに、見慣れた姿が坂の下から上がってきた。


 朝倉ひよりだった。


 少し急ぎ足。

 でも走るほどではない。

 いつもの登校の歩幅だ。


 そして、校門の近くに立っている俺を見つけた瞬間――


 ぴたりと止まった。


「……え」


 その顔が、あまりにも予想外そうで、俺は少しだけ視線を逸らしたくなった。


「おはよう」

 何とか先に言う。

「……お、おはよう」


 ひよりはまだ目を丸くしている。


 それから、じわっと頬が赤くなった。


「え、どうしたの」

「何が」

「何がって、柊くんが先にいる」

「いたら悪いのか」

「悪くないけど! でも、え?」

「……」

「待ってたの?」

「……」


 そこを真正面から聞くな。


 数秒黙ったあと、もう誤魔化しても意味がない気がして、小さく言う。


「まあ」

「え」

「今日だけな」


 ひよりの顔が、見る見るうちに赤くなる。


 耳まで赤い。

 わかりやすすぎる。

 でも、そのわかりやすさが今は妙に胸にくる。


「……それ、ずるい」

 ひよりが小さく言う。

「何が」

「だって、昨日まで私が待ってたのに」

「昨日までってほどでもないだろ」

「そういう問題じゃなくて」

「じゃあ何だよ」

「……すごい、嬉しい」


 最後だけ少し小さかった。


 風が吹く。

 朝の光が、ひよりの髪を少しだけ揺らす。


 その中で、俺はまた少しだけ言葉に困る。


 澪の言う通りだった。

 今のまま曖昧に流されているだけじゃだめなら、せめて一度くらい、こっちから動いた方がいい。

 頭ではそう思った。

 でも実際にやってみると、思っていたよりずっと破壊力がある。


 主に俺の心臓に。


「……行くぞ」

 それだけ言うと、

「う、うん」

 ひよりが慌てて隣に並ぶ。


 その並び方まで、いつもと少し違う。

 ひよりの方が、少しだけ落ち着かない歩幅をしている。


「何だよ」

 俺が言う。

「え?」

「今日はおまえの方が変だな」

「変にもなるよ!」

「何で」

「何でって……」

 ひよりが言葉に詰まる。

「だって、柊くんが待ってるなんて思わないし」

「毎回待たせるのもあれかと思っただけだ」

「その言い方もずるい」

「ずるいずるいって、今日はそればっかだな」

「だってほんとにずるいんだもん」


 そう言って、ひよりは少しだけ顔を伏せた。


 でも、その表情は明らかに嬉しそうだった。

 困っている。照れている。落ち着かない。

 その全部の奥に、ちゃんと喜んでいる感じがある。


 それがわかるから、余計にこっちも落ち着かない。


 校門をくぐる。


 今日は周囲の視線が、いつもより少しだけ強く感じた。

 たぶん気のせいじゃない。

 校門近くで待っていた俺を見ていた生徒が何人かいるのだろう。


「あれ、珍しく逆じゃない?」

「今日は柊の方が待ってたっぽくない?」

「うわ、進んでる」


 すれ違った女子たちの声が小さく聞こえる。


「……」

「……」

 俺とひよりが同時に少し黙る。


 こういう時、前ならひよりが笑って何か言っていた。

 今日はそうじゃない。


 たぶん今のこいつは、それどころじゃない。

 自分が嬉しいことと、周りに見られていることが一気に重なって、処理が追いついていない。


 それがまた、変に可愛い方向へ転ぶから困る。


「おまえ、ほんとわかりやすいな」

 思わず言うと、

「今日は柊くんにだけは言われたくない」

 ひよりが返した。

「何でだよ」

「だって今日のこれ、私の方がずっと不意打ちなんだけど」

「……」

「心臓に悪いよ」

「おまえがそれ言うのか」

「言うよ!」


 その返しで、少しだけいつもの調子が戻る。


 教室へ入った瞬間、案の定、蓮が反応した。


「うわ」


 その一言に、クラスの数人までつられてこっちを見る。


「何だよ」

 俺が言う。

「何だよじゃないだろ」

 蓮が完全に面白がっている顔で言う。

「今の、校門から一緒に来た?」

「いつももそうだろ」

「違う違う」

 蓮が首を振る。

「今日は朝倉さんの顔が違う」


 ひよりがぴたりと止まった。


「え」

「何その反応」

「いや……」

「で、真央」

「何だ」

「それ、おまえ今日先にいたな?」

「……」

「図星だ」

「おまえ、そういうのだけ本当にうるさいな」

「うわ、マジか」

 蓮が笑う。

「今日だけは、俺から行く的な?」

「タイトルみたいに言うな」


 教室の何人かが「え、何それ」「ほんとに?」と面白がる。


 ひよりは完全に真っ赤だった。


 後ろの席へ鞄を置きながらも、動きが少しぎこちない。

 でもそれを見て、俺は妙に後悔しなかった。


 たぶん、これでよかったのだ。


「……柊くん」

 ひよりが小さく言う。

「何」

「今日のは、あとでちょっと文句言う」

「何でだよ」

「嬉しかったから」

「文句じゃないだろ」

「そういう意味の文句」


 その返しに、蓮が腹を抱えそうになる。


「やばいな」

「何が」

「朝からだいぶ強いぞ今日」

「うるさい」


 前方では、白瀬凛香がノートを机へ出しながら、静かにこちらを見ていた。


 その視線は相変わらず意味深だ。

 でも、前みたいな冷たさだけではない。

 何かを確認するような、少しだけ考えるような目だ。


 ひよりの方は、その視線に気づいたのか、一瞬だけ背筋を伸ばす。

 それでも今日は、昨日までみたいに引かない。


 そこが大きかった。


 朝、俺が待った。

 それだけで、ひよりの中でも何かが少しだけ変わったのだろう。


 昼休み。


 ひよりはいつも通り隣へ来た。

 でも今日は、座る前に一瞬だけこちらを見て、少しだけ笑う。


「何だよ」

「ううん」

「絶対何かあるだろ」

「だって、今日のこと思い出すとちょっとにやけそうで」

「やめろ」

「無理だよ」

「俺まで落ち着かなくなる」

「じゃあ一緒だね」


 そう言って笑う顔が、朝よりだいぶ自然になっていた。


 その変化に、俺は小さく息を吐く。


 結局、澪の言う通りだったのかもしれない。

 言葉にできないなら、せめて動く。

 そういう一歩が、今のひよりには必要だったのだろう。


 そしてたぶん、俺自身にも。


 放課後、帰り道。


「……今日だけって言ってたけど」

 ひよりが言う。

「何が」

「朝のやつ」

「……」

「またある?」

「知らない」

「その“知らない”は、ちょっと期待していい方?」

「都合よく解釈するな」

「する」


 ひよりはそう言って笑った。


 その笑顔を見ながら、俺はまた小さく息を吐く。


 今日は一歩動いた。

 たったそれだけなのに、昨日までとは少し違う景色に見える。


 たぶん、こういうのを“関係が進む”というのだろう。

 まだ恋と言い切るには少しだけ怖い。

 でも、もうただ並んで歩いているだけの距離ではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ