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『汗ばんだ制服の距離が近すぎるせいで、俺の青春は毎日ギリギリです』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 春の距離感は、たぶん校則で制限できない

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第32話 “特別”って言葉にすると壊れそうで

朝の校門には、昨日までと同じように朝倉ひよりがいた。


 ちゃんと、いた。


 それだけで妙に安心する自分がいて、俺――柊真央は心の中で小さく舌打ちしたくなった。

 もうだいぶ末期だと思う。


「おはよう」


 ひよりが言う。


 昨日より少しだけ素直な笑顔だった。

 無理に明るくしている感じでもない。

 ちゃんと自分で戻ってきた顔だ。


「……おはよう」

「今日はちゃんと待ったよ」

「昨日も待つって言ってただろ」

「うん。でも今日の方が、変な迷いはなかったかも」

「……」

「そういう顔しないでよ」

「どんな顔だよ」

「ちょっと安心した顔」

「してない」

「してる」


 ひよりはそう言って笑った。


 その笑い方を見ながら、俺はまた少しだけ面倒な気分になる。

 戻ってきてほしいと思っていた。

 実際、戻ってきてくれて安心している。

 そこまではもう否定しようがなかった。


 問題は、その先だ。


 校門をくぐり、昇降口を抜け、教室へ向かう。

 その短い間にも、ひよりはいつも通りどうでもいい話をして、俺はそれにどうでもいい返しをする。

 周囲から見れば、またいつもの二人なのだろう。


 でも俺の中では、昨日の“いない朝”が妙に残っていた。


 朝の校門にひよりがいない。

 教室で距離を取られる。

 たったそれだけで、思った以上に落ち着かなかった。


 それはつまり、朝倉ひよりが俺の日常のかなり深いところまで入り込んでいるということだ。


 そこを、どう言葉にすればいいのかわからない。


「おはよー」

 教室で蓮が手を上げる。

「今日もちゃんと復旧してるな」

「機械みたいに言うな」

「でも昨日一日でだいぶダメージ受けてただろ」

「受けてない」

「いや、受けてたよ?」

 ひよりが言う。

「何でおまえが言う」

「だってわかりやすかったし」

「おまえにだけは言われたくない」


 ひよりが笑う。

 蓮も笑う。


 その光景が前よりずっと普通になってきているのに、俺の方だけがまだ時々変に息苦しくなる。


 朝のホームルームが始まり、一時間目、二時間目と進む。


 教師の声は耳に入っている。

 ノートも取っている。

 でも、頭の片隅ではずっと同じところをぐるぐるしていた。


 ひよりは俺にとって何なんだろう。


 気になる。

 放っておけない。

 距離を取られると落ち着かない。

 戻ってくると安心する。


 そこまで来ているのに、“特別”という言葉を口にしようとすると妙に怖い。


 重いからか。

 言った瞬間に関係が変わってしまいそうだからか。

 あるいは、俺自身の中にまだ“自分なんかがそういうふうに思っていいのか”というブレーキが残っているからか。


 どれもたぶん正解で、どれも少しずつ違う。


 昼休み、ひよりはまた俺の隣に座った。


 昨日の距離の取り方が嘘みたいに自然だった。

 でも、その自然さが逆に俺を追い詰める。


「何その顔」

 ひよりが言う。

「何が」

「今日ちょっと考えごとしてる顔」

「してない」

「してるって」

「おまえ、最近そういうの拾うな」

「柊くんに言われるようになったから」

「余計な学習するな」

「えへへ」


 笑う。

 その笑顔が近い。


 近いのに、俺はまだそこへちゃんと名前をつけられない。


「……朝倉」

「何?」

「おまえさ」

「うん」

「何でそんな普通なんだよ」

「え?」

「昨日あんな感じだったのに、今日はもう普通に戻ってる」

「あー」


 ひよりは少しだけ考えるように首をかしげた。


「普通に戻ったっていうか」

「うん」

「戻りたかったから」

「……」

「変に距離取る方が、やっぱ変だったし」

「……」

「それに、柊くんが“来たいなら来い”って言ったから」


 その一言が、また胸に引っかかる。


 あれはたしかに俺が言った。

 かなり踏み込んだつもりで。

 でもひよりはそれを、想像以上にまっすぐ受け取っていたらしい。


「だから」

 ひよりが続ける。

「今はちゃんと、自分で来てる感じ」

「前は?」

「前は半分くらい勢い」

「半分で済むのかよ」

「たぶん」

「雑だな」

「でも今は、前よりちゃんとここにいたいって思ってる」


 さらっと言うな。


 そういう言葉を、こいつは時々何でもない顔で置いていく。

 置いていくくせに、その意味の重さにはあとから自分で赤くなる。

 そういうところまで含めてずるい。


 ひよりは少しだけ視線を落として、それから小さく言う。


「……迷惑?」

「は?」

「今の」

「何が」

「ここにいたいってやつ」


 その問いに、俺は少しだけ言葉を失った。


 迷惑なわけがない。

 ないのに、そこで即答できないのは、たぶん“迷惑じゃない”の先にあるものまで一緒に出そうになるからだ。


 ひよりはそれを見て、少しだけ困ったように笑った。


「やっぱり重かった?」

「違う」

「じゃあ何」

「……言い方がずるい」

「えー」

「そういうふうに聞かれると、簡単に返せないだろ」

「何で?」

「何ででも」


 またそれか、とひよりが小さく笑う。


 笑っているが、今のやり取りで少しだけ不安になったのもわかった。

 それを見て、余計に自分の曖昧さが嫌になる。


 好きかと聞かれれば、まだ怖い。

 でも特別かと聞かれれば、もうたぶんそうだ。


 そこを口にするのが、こんなにも難しいとは思わなかった。


 放課後。


 帰る支度をしながらも、その感覚は消えなかった。


 ひよりはいつも通り俺の近くにいる。

 凛香は前方から静かにこちらを見ている。

 蓮は相変わらず余計な空気だけ読む。


「真央」

「何だよ」

「今日のおまえ、わかりやすく迷ってるな」

「何を」

「そこから言わせるの?」

「おまえは黙ってろ」

「朝倉さんには普通に行けるのに、自分の中では整理ついてない感じ」

「……」

「図星だろ」


 うるさい。

 でも、図星だ。


 蓮はにやっとしたあと、なぜか珍しくそれ以上茶化さなかった。

 代わりに、別方向から声が来た。


「その通りだと思います」


 白瀬凛香だった。


 顔を上げる。


 今日の凛香は、いつも以上にきちんとした顔をしている。

 だが、その目だけは少しだけ鋭かった。


「……何が」

 俺が言う。

「あなたは慎重というより臆病です」

 凛香が言う。


 真正面からだった。


 蓮が「うわ」と小さく言ってから黙る。

 ひよりも少しだけ目を丸くしている。


「何だよ急に」

「急ではありません」

 凛香は静かに続ける。

「ここ最近ずっと、同じことの繰り返しです」

「……」

「朝倉さんが近づく。あなたは受け入れる。でも、それをどういう意味で受け取っているのか、自分で整理しきれない」

「……」

「そして、肝心なところで言葉を濁す」


 何も言えなかった。


 正しいからだ。


 凛香はさらに言う。


「慎重に見えるかもしれませんが、違います」

「……」

「怖いだけでしょう」

「おまえ」

「自分の言葉で関係が変わるのが」

「……」

「だから曖昧なままにしている」


 教室の空気が、少しだけ張る。


 ひよりは何も言わない。

 でも、その沈黙が逆に重かった。


 凛香は今、俺だけを見ている。

 逃がさないための視線だ。


「……そう見えるか」

 ようやくそれだけ返すと、

「見えます」

 凛香は言った。

「少なくとも、私には」


 そのあと一拍置いて、凛香は少しだけ声を落とした。


「朝倉さんにも、たぶん」


 その一言で、胸の奥が鈍く重くなる。


 ひよりがどう思っているかまでは、俺にはまだ全部わからない。

 でも少なくとも、俺が曖昧なまま立ち止まっていることが、こいつに余計な不安を与えている部分はある。


 そこから目を逸らして、“まだ名前がつけられない”で済ませてきた。

 それを凛香は“臆病”と呼んだ。


 たぶん、間違っていない。


「……白瀬さん」

 ひよりが小さく言った。

「何ですか」

「それ、ちょっと強い」

「そうかもしれません」

「でも、間違ってないとも思う」

「……おい」

 思わず俺が言うと、ひよりは少しだけ困ったように笑った。

「だってほんとだし」

「おまえまで乗るな」

「乗ってるわけじゃないよ」

「でも」

 ひよりは続ける。

「私は、柊くんがちゃんと考えてるのも知ってる」

「……」

「ただ、考えすぎて止まるタイプなんだろうなって」


 それはそれで、刺さる。


 凛香は少しだけ視線を逸らした。

 言うだけ言って、少しだけ息を整える。


「……失礼しました」

 と、珍しく先に言った。

「言いすぎたかもしれません」

「いや」

 俺は答える。

「言いすぎではない」

「……」

「痛いだけだ」


 凛香がわずかに目を細める。


 たぶん、その返しは予想していなかったのだろう。


 でも、今のはほんとの感想だった。

 凛香の言葉はきつい。

 でも、痛いのはそこがちゃんと図星だからだ。


 放課後、教室を出たあともしばらく、その感覚は消えなかった。


 俺は慎重なのではなく、臆病。

 自分の言葉で関係が変わるのが怖いだけ。


 それを否定できない時点で、たぶん答えは出ている。

 それでもまだ、一歩先の言葉へ行くには少しだけ怖さが残る。


 だからやっぱり、今の俺は中途半端なのだろう。


「……面倒だ」


 小さく呟きながら、帰り道を歩く。


 そのすぐ横に、今日はひよりがいる。


 近い。

 いつも通り近い。

 でも今は、その近さの意味を、もう少しちゃんと考えなければならないところまで来ている気がした。

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