表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『汗ばんだ制服の距離が近すぎるせいで、俺の青春は毎日ギリギリです』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 春の距離感は、たぶん校則で制限できない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/40

第24話 近くにいる理由を、まだ名前にできない

翌朝、目が覚めた瞬間に最初に浮かんだのは、昨日の放課後のひよりの顔だった。


 少しだけ無理をして、少しだけ逃げようとして、それでも最後にはちゃんと笑った顔。

 ああいう顔を見せられると、どうしたって引きずる。


 制服に袖を通しながら、俺――柊真央は小さく息を吐いた。


 今日はどうなるだろう。


 昨日の会話で、少しは元に戻るのか。

 それとも逆に、余計に意識してまた変な空気になるのか。

 考えても答えは出ない。出ないくせに、頭の中だけは朝から妙に落ち着かなかった。


 外へ出る。


 空はよく晴れていた。

 春もだいぶ進んで、朝の光はもうすっかり柔らかい。風は少しあるが、寒いというほどではない。道端の草木も昨日より少しだけ色が濃く見えた。


 校門が近づく。


 そして、そこにいるだろうと思った。


 実際、いた。


 白鷺高校の校門の少し手前。

 朝倉ひよりは、昨日までと同じように、でも少しだけ違う感じで立っていた。


 違うのは、立ち方だ。


 前は“待っている”ことそのものに無自覚な感じがあった。

 今は違う。ちゃんと待っていて、そのうえで、それを自分でも自覚している立ち方だった。


 俺を見つける。


 それから、少しだけ照れたように笑った。


「おはよう」

「……おはよう」


 その挨拶ひとつで、昨日までとは違うとわかる。


 無理にいつも通りを作っていない。

 でも、壁を作る気もない。

 ひよりはひよりなりに、昨日の続きの上でここに立っていた。


「待ってた」

 ひよりが言う。

「見ればわかる」

「今日はちゃんと自覚して待ってた」

「何の報告だよ」

「大事な違いです」

「そうかよ」

「そうです」


 ひよりはそう言って、俺の隣へ並ぶ。


 近い。

 でも、昨日みたいなざらつきはだいぶ薄い。


 代わりに、少しだけ“選んでここにいる”感じが強くなっていた。


「……元気そうだな」

「昨日よりはね」

「そうか」

「柊くんのおかげ、って言ったら調子乗る?」

「乗らない」

「ちょっとは乗っていいのに」

「面倒だからやめとく」


 そう返すと、ひよりは笑った。


 その笑い方がちゃんと自然で、俺は内心で少しだけ安心する。


 校門をくぐって昇降口へ向かう道すがら、何人かの視線を感じた。

 もうこの時間、この並び、この距離感は、周囲にとって見慣れたものになりつつあるらしい。


「また一緒だ」

「朝の定番化してるね」


 すれ違った女子の声が小さく聞こえる。


 前ならひよりは少し固くなっていた。

 今日は、ほんの少しだけ耳が赤くなるだけで、足は止まらない。


「前より強くなったな」

 思わず言うと、ひよりがこっちを見る。

「何が?」

「そういうの」

「あー……」


 ひよりは少しだけ目を細めた。


「昨日、ちゃんと話せたからかも」

「……」

「勝手にしんどくなって、勝手に距離取るの、あんまりよくないなって思った」

「それはそうだろうな」

「そこで“そうだろうな”って言うのやめない?」

「事実だろ」

「でもちょっとだけ優しくない」

「十分優しいだろ、俺は」

「それ自分で言うんだ」

「言う」


 ひよりがまた笑う。


 教室へ入る。

 朝のざわめき。窓から差し込む光。机を引く音。

 そのいつもの風景の中で、ひよりは当然みたいに自分の席へ鞄を置き、それから当然みたいに俺の机の横へ来た。


 その動きに迷いがない。


 でも、前みたいな無自覚な近さとは少し違う。

 昨日までのひよりは、距離が近いことに半分無意識で、半分だけ不安そうだった。

 今は、近いことを知った上で、こっちへ来ている。


 その差は大きかった。


「今日の一時間目、現代文だっけ」

「そう」

「じゃあノート出しとこ」

「出しとけ」

「朝から冷たくない?」

「普通だろ」

「そういうとこだよ」


 やり取りそのものは、ほとんどいつも通りだった。


 でも俺にはわかる。

 ひよりは今、ちゃんと“戻ってきた”のだ。


 そこへ、斜め後ろから聞き慣れた声が飛ぶ。


「はいはい、おはようございます」


 蓮だ。


 今日もにやにやしている。朝から本当に元気だな。


「何だよ」

「いや、完全に復旧したなと思って」

「何が」

「朝の登校イベントと、席周りの距離感」

「イベントって言うな」

「でも事実だろ」

「事実でも言い方がある」

「言い方に配慮する気はない」


 蓮は笑って、俺とひよりを見比べた。


「昨日ちょっと空気重かったのに、もう戻ってるじゃん」

「戻ってるっていうか……」

 ひよりが少しだけ言葉を探す。

「前よりちゃんと戻ってる感じ?」

「それ」

 蓮が指をさす。

「それ言える時点で、だいぶ強い」

「うるさい」

「朝倉さん、最近どんどん無自覚じゃなくなってるよな」

「……」

「真央、おまえちゃんと責任取れよ」

「何のだよ」

「青春の」

「便利な言葉にするな」


 教室の前方から、静かな視線を感じる。


 白瀬凛香だ。


 今日もノートと教科書を机へ整然と並べながら、こちらを一度だけ見ている。

 その視線は前より露骨ではない。

 でも、明らかに“見ている”目だ。


 警戒はまだ消えていない。

 けれど、ただ不快そうというのとも少し違う。


 昨日までの白瀬なら、もっと早い段階で何か言ってきたかもしれない。

 今日は、まず観察している。

 それが少しだけ変化だった。


 ホームルームが終わり、授業が進む。


 昼休み、ひよりは当然のように俺の隣へ来た。

 来て、弁当箱を開きながら小さく言う。


「今日もここでいい?」

「昨日の続きなら、今さら確認いらないだろ」

「でも一応」

「じゃあ好きにしろ」

「それ、いいって意味?」

「好きに取れ」

「都合よく解釈します」


 そう言って、ひよりは隣の席へ腰を下ろした。


 前より少しだけ選んでいる感じ。

 でも、その分だけ安定している。


 近くの席から、誰かがまた笑う。


「ほんと安定してるなー」

「もう柊の隣、朝倉の席でいいんじゃない?」

「うるさい」

 俺が返すと、

「でも今日はあんまり否定しないんだね」

 と、別の女子が言う。


 その一言で、ひよりが少しだけこっちを見る。


 俺も、少しだけ言葉に詰まった。


 付き合っているわけじゃない。

 でも、以前みたいに全部を“違う”で切るのも、何か違う。

 この曖昧さが一番面倒なのはわかっているくせに、まだここから先へ名前をつけられない。


 だから結局、出てきたのはいつもの言葉だった。


「……おまえら、昼くらい静かに食え」

「うわ、逃げた」

 蓮が笑う。

「うるさい」

「でも前よりだいぶ弱いよね、その否定」

 ひよりが小さく言う。

「おまえまで言うのか」

「事実だし」


 そう言って、ひよりが少しだけ笑う。

 その笑い方が嫌じゃなくて、また自分で面倒になる。


 昼休みの終わり頃、ふと前を見ると白瀬と目が合った。


 凛香は少しだけ視線を止めて、それから何も言わずにノートへ戻る。

 その沈黙に、“今はまだ見ているだけ”という意思が混じっている気がした。


 放課後。


 教室の空気がゆるみ、帰る支度が始まる。

 その頃には、もう今日一日の流れがだいたい固まっていた。


 ひよりは戻ってきた。

 周囲は相変わらず面白がる。

 蓮はうるさい。

 白瀬は黙って見ている。

 そして俺は、その全部の中心で落ち着かないくせに、ひよりが隣に来ること自体は嫌ではない。


 嫌ではないどころか、来なかった昨日の午前中が妙に落ち着かなかったことまで、もう認めるしかなくなっていた。


「じゃあ、帰ろっか」

 ひよりが言う。

「おう」


 その返事を、白瀬が前方から聞いていたらしい。


 立ち上がって鞄を持ったまま、こっちを一度だけ見る。


 それから、淡々とした声で言った。


「朝倉さん」

「え?」

「今日は顔色がいいですね」

「え、そう?」

「ええ」

 凛香は静かに続ける。

「昨日よりずっと自然です」


 ひよりが少しだけ目を丸くする。

 それはたぶん、白瀬からそういう言い方をされると思っていなかったからだ。


「……ありがとう?」

「礼を言われることではありません」

「でも、何かちょっと優しいね」

「気のせいです」

「そうかな」

「そうです」


 凛香はそう言って視線を逸らした。

 でも、ほんの少しだけ耳が赤くなっている気がしたのは、たぶん気のせいじゃない。


 蓮がその様子を見て、小さく笑う。


「何かもう、全体的に人間関係が濃いな」

「おまえが一番いらないんだよ」

「ひど」


 澪は今日は現れなかった。


 でも、その不在すら不自然ではない。

 昨日までみたいなざらつきだけを残して消えたのではなく、教室の中の何かをひとつ動かして、そのまま一歩引いた感じだ。


 つまり、たぶんこれからもまた出てくる。


 面倒な予感しかしない。


 校門を出る。

 夕方の風が吹く。

 ひよりは俺のすぐ隣を歩いている。


 近い。

 けれど、今のその距離は前より少しだけ落ち着いていた。

 無自覚に踏み込んでくる近さではなく、選んで、確かめて、そこにいる近さ。


 それを“成長”と呼ぶのか、“関係が進んだ”と呼ぶのかは、まだわからない。


 名前をつけるには、少しだけ早い。


 でも、名前がないままでも確かなものはある。


 ひよりが少しだけ笑って言う。


「明日も校門で待ってていい?」

「……好きにしろ」

「それ、もう半分許可だよね」

「半分だけな」

「じゃあ、半分待っとく」

「意味わからん」


 そう返すと、ひよりは楽しそうに笑った。


 その笑い方を聞きながら、俺は小さく息を吐く。


 まだ恋だとは言い切れない。

 でも、朝倉ひよりが近くにいない一日は、もう少し想像しづらくなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ