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『汗ばんだ制服の距離が近すぎるせいで、俺の青春は毎日ギリギリです』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 春の距離感は、たぶん校則で制限できない

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第21話 その顔、わかりやすすぎる

帰り道の空気は、朝や昼とは少し違う。


 一日の熱を含んだアスファルト。

 部活帰りの汗の名残。

 住宅街の夕飯の匂い。

 春の終わりに近づいた風。

 そういうものが混じる時間帯は、教室の中よりずっと情報がばらけているぶん、少しだけ気が楽だ。


 少しだけ、だが。


 その日の放課後、俺――柊真央は、教室を出たところで朝倉ひよりの後ろ姿を見つけた。


 歩く速さが、ほんの少しだけいつもより遅い。


 それだけで、だいたい察する。


 昼の時点でも気づいていた。

 朝から、ひよりの空気は少しずつ重かった。

 笑う。返す。いつも通りにする。

 でも、その全部の下に引っかかりが残っている。


 原因も、たぶんわかっている。


 七瀬澪だ。


 昨日いきなり現れて、今日も朝から遠慮なく空気をひっくり返していった幼馴染。

 ひよりにとっては、たぶんわかりやすく“気になる女子”だった。


「……朝倉」


 少し歩いてから声をかけると、ひよりが振り返った。


「え、柊くん」

「どうした」

「どうしたって?」

「今日」

「今日?」


 ひよりは首をかしげた。

 だが、その仕草自体が少しだけ遅い。とぼけるための間がある。


「何かあっただろ」

「別に何も」

「その“別に”の時はだいたい何かある」

「ひどいなあ」


 笑う。

 でも、やっぱり少し薄い。


 校門を出る。

 下校の生徒の流れが少しずつばらけていく中で、俺たちも並んで歩き出した。

 空はまだ明るいが、日の色は昼よりやわらかい。昨日までの湿気はなく、今日は風が少し乾いている。


「おまえさ」

 俺が言う。

「何」

「今日は朝からずっと変」

「変って」

「いつもより元気ない」

「……」

「図星か」

「そういう言い方、ちょっとむかつく」

「当たってるからだろ」

「当たってても言い方ってあるじゃん」

「じゃあ別の言い方してやる」

「何?」

「わかりやすすぎる」


 ひよりが一瞬、言葉を失った。


 その顔で、こっちの方が確信する。


 やっぱりそうだ。

 誤魔化せているつもりかもしれないが、少なくとも俺には全然誤魔化せていない。


「……そんなに?」

 ひよりが小さく聞く。

「そんなに」

「うそ」

「うそじゃない」

「えー……」


 少しだけ眉を下げて、視線を前へ戻す。


 歩きながら、ひよりは鞄の肩紐を握り直した。

 その動作に、ほんの少しだけ落ち着かなさが混じる。

 こういう時のこいつは、自分の感情の置き場所が決まっていない。


「七瀬さんのこと?」

 俺が聞くと、ひよりは露骨に足を半歩だけもつれさせた。

「っ、何でそこで名前出すの」

「やっぱりそうか」

「……」

「違うなら違うって言え」

「……言いづらい」

「じゃあそうなんだろ」

「柊くん、今日いつもよりちょっと意地悪」

「おまえが隠そうとするからだ」


 ひよりはしばらく黙っていた。


 車が一台、横を通り過ぎていく。

 そのあとに残る風と排気の薄い匂いが、少しだけ空気を乱した。


「……別に、嫌とかじゃないんだよ」

 ようやく、ひよりが言った。

「何が」

「七瀬さん」

「へえ」

「その“へえ”やめて」

「続けろよ」

「何か、柊くんとすごい気安いなって思っただけ」

「幼馴染だからな」

「わかってるよ」

「じゃあ何だ」

「……」

「朝倉」

「だから、何か、私の知らない柊くんをいっぱい知ってそうで」


 その言葉で、やっと少し輪郭が見えた。


 嫉妬――と呼ぶには、まだ少し柔らかい。

 独占欲――と呼ぶには、まだ少し曖昧だ。


 でもたしかに、そこへ近い何かだった。


 俺が知らない朝倉ひよりの時間があるように、ひよりの知らない俺の時間もある。

 それ自体は当たり前なのに、澪みたいにそれを当然の顔で踏み越えてくる相手が現れると、急に現実味を持つ。


 そういうことか。


「気になるんだな」

 俺が言うと、

「だからそういうまとめ方が雑!」

 ひよりが少し強めに返した。


 でも、その語気の強さも、今日はどこか心もとない。


「だって気になるんだろ」

「……ちょっとは」

「ちょっと?」

「ちょっとより、もう少し」

「じゃあ結構じゃん」

「そういう言い方しないで!」


 ひよりが顔を赤くする。


 その反応が、あまりにもわかりやすくて、俺は思わず少しだけ笑いそうになった。

 もちろん、実際に笑ったらたぶん怒られるから、口には出さない。


「何」

 ひよりが睨む。

「いや」

「今ちょっと笑った」

「気のせい」

「絶対笑った」

「わかりやすすぎるからだろ」

「うるさい」


 その“うるさい”に、ようやく少しだけいつもの調子が戻る。

 朝からずっと引っかかっていた硬さが、ほんの少しだけ薄れた気がした。


 ひよりは少し歩いてから、ぽつりと言う。


「でも、変だよね」

「何が」

「私」

「何がだよ」

「そんなの気にしてるの」


 その声は小さかった。


 笑いに逃がさない時の、ほんとのトーンだ。


「別に変じゃないだろ」

「そうかな」

「そうだろ。急に知らない距離感の人が出てきたら、そりゃ気になる」

「知らないっていうか、幼馴染だけど」

「おまえにとっては知らないだろ」

「……うん」


 ひよりが頷く。


 少しだけ風が吹いて、その髪が揺れた。

 夕方の光の中だと、そういう小さな動きまでやけに柔らかく見える。


 やめてほしい。


「でもさ」

 ひよりが言う。

「私、こんなこと気にするタイプだったかなって」

「俺に聞くなよ」

「だって、柊くんのことだし」

「……」

「前なら“そうなんだー”で終わってた気がするのに、今日はずっと変な感じで」


 それはたぶん、俺のせいでもある。


 七瀬澪が現れたこと自体より、そのあと俺が特に何も説明しなかったこと。

 ひよりが何をどう気にしているのか気づきながら、決定打になるような言葉を避けていたこと。

 そういう曖昧さが、こいつを余計に落ち着かなくさせている。


「……朝倉」

「何」

「おまえ」

「うん」

「わかりやすすぎる」

「それさっきも言った!」


 ひよりが半分怒ったみたいな声を出す。


 だが、そこで終わらせるつもりはなかった。


「でも」

「……」

「そういうの、隠されるよりまし」

「え」

「気にしてるなら気にしてるで、わかる方がいい」

「何で?」

「何でって……」


 少し言葉に詰まる。


 理由は簡単なのに、説明しようとすると妙に難しい。

 隠されると困る。

 こっちが気づけないと、放っておいていいのかどうかわからない。

 いや、違うな。


 気づいていたいのだ。


 朝倉ひよりが今どんな顔をしていて、どんなことで引っかかっていて、何を誤魔化しているのか。

 そういうことを、前よりずっと見ていたいと思っている。


 それを言葉にすると危ない。


「……」

「柊くん?」

「いや」

「またそこで止まる」

「おまえが変な顔するからだろ」

「私のせい!?」

「半分くらい」

「ひどいなあ」


 ひよりが少しだけふくれた。


 でも、そのふくれ方は、朝の重さとは違う。

 ちゃんとこっちへ感情を返してきている。


 たぶん、少しは元に戻った。


 そう思った時、ひよりが小さく息を吐いた。


「……じゃあ」

「何だよ」

「ちゃんと見ててよ」


 その言い方が、不意打ちだった。


「は?」

「だから」

「聞こえてる」

「じゃあ聞き返さないで」

「いや、意味が」

「意味なんて、そのまま」


 ひよりは前を向いたまま言う。


「私、たぶんまた変に誤魔化すし、たぶんまた気にしてないふりするし」

「……」

「でも柊くん、わかるんでしょ」

「まあ」

「じゃあ、ちゃんと見ててよ」


 心臓が、妙な音を立てた。


 それはただの甘えとも違う。

 告白でもない。

 でも、かなりそれに近いところで、ひよりは俺を頼っている。


 しかも“見てて”というのが、俺の一番ややこしいところにそのまま触れてくる。


 見ている。

 見えてしまう。

 気づいてしまう。


 それを俺自身はずっと面倒だと思ってきたのに、こいつはそこへ向かって、まっすぐに「見ててよ」と言う。


「……ずるいな」

 思わず漏れる。

「何が」

「そういう言い方」

「ずるくないよ」

「ずるい」

「だって本音だし」

「余計ずるい」


 ひよりはそこでようやく少し笑った。


 朝の重さも、昼の引っかかりも、その笑い方でだいぶ薄くなる。

 やっぱり俺は、こいつのこういう変化に弱い。


 駅へ向かう道と、住宅街へ入る道の分かれ目が近づいてくる。


 ひよりは足を止める前に、もう一度だけこっちを見た。


「じゃあ」

「何」

「明日もちゃんと見ててね」

「毎日言う気か」

「だめ?」

「……」


 だめとは、言えなかった。


 ひよりはその沈黙を都合よく受け取ったのか、「じゃあね」と笑って先に曲がっていく。


 その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。


 ただのクラスメイトなら、こんなふうに言わない。

 ただの性癖なら、こんなふうに受け止めたくならない。


 そういう線引きが、少しずつ意味を失っていく。


 面倒で、危なくて、でもたぶん悪くない。

 そんな状態のまま、俺はしばらくその場から動けなかった。

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