第15話 清楚系委員長は、誤魔化しを許さない
昼休みの終わり際に白瀬凛香から刺された言葉は、午後の授業が始まってからも、妙に頭の隅へ残り続けていた。
噂を放置するのは感心しません。
ただの正論だ。
正論なのに、妙に引っかかる。
俺――柊真央は昔から、正しすぎる言葉が苦手だった。
正しいことは、だいたい逃げ道がない。
しかも白瀬の言い方は、無駄に真っすぐだ。こっちが曖昧に濁そうとしても、ちゃんとその曖昧さごと見抜いてくる感じがある。
だから面倒だ。
……面倒なのに、無視できない。
放課後。
最後のホームルームが終わり、クラスメイトたちが部活だの帰宅だのと、いつものようにざわざわ動き始める。椅子の引き音、机の蓋を閉じる音、明日の小テストやばい、みたいなどうでもいい会話。教室の空気は一気にゆるんでいた。
「真央、今日どうする?」
蓮がいつもの調子で聞いてくる。
「帰る」
「最近ずっとそれだな」
「平日だぞ」
「青春に曜日は関係ないだろ」
「おまえの辞書だけで生きるな」
蓮は笑ったあと、ちらっと後ろを見た。
ひよりは女子グループと何か話している。今日はこっちへ来ないらしい。昼休みの件が少しは響いているのかもしれない。
「朝倉さん、今日は送ってかなくていいの?」
蓮がにやにやしながら言う。
「何で送る前提なんだよ」
「いや、最近の流れ的に」
「勝手に流れを作るな」
「でも、おまえも前ほど全力否定しなくなったよな」
「……」
「お、沈黙」
「うるさい」
そこへ、教室前方からよく通る声が飛んできた。
「柊くん」
白瀬凛香だった。
嫌な予感しかしない。
「何だよ」
「少しいいですか」
「今?」
「今です」
「断ったら」
「話は終わりません」
「脅しだろそれ」
「事実です」
強い。
蓮が面白がる顔をするのが見えた。
やめろ、その「いってこい」みたいな視線を向けるな。
「……すぐ戻る」
「はいはい、行ってらっしゃい」
完全に他人事だ。
俺は小さくため息をついてから席を立った。白瀬はそれを確認すると、教室の後ろではなく廊下側へ歩き出す。人の少ない場所を選ぶあたり、本気で話すつもりらしい。
廊下は放課後のやわらかい光で満たされていた。
窓の外では運動部の声が遠く聞こえる。春の夕方の風が少しだけ入ってきて、昼間の熱をゆっくり逃がしていた。教室のざわめきから半歩外れただけなのに、空気がずいぶん静かに感じる。
白瀬は廊下の突き当たり近くまで行くと、そこで足を止めた。
振り返る。
今日も姿勢がいい。制服の着こなしに乱れがない。表情も相変わらず整っている。けれど、昼休みの時より少しだけ温度が低く見えた。
「で」
俺が先に口を開く。
「何の用だよ」
「単刀直入に聞きます」
「嫌な前置きだな」
「朝倉さんとの距離、あなた自身はどう思っているんですか」
まっすぐだった。
遠回しな言い方も、軽いジャブもない。いきなり核心だ。
「……何だよそれ」
「質問です」
「見ればわかるだろ」
「見えることと、本人がどう認識しているかは別です」
「面接官かおまえ」
「はぐらかさないでください」
ぴしゃりと言われる。
逃げ道がない。
だが、こんな問いに正面から答えられるほど、俺の中は整理されていなかった。
「別に普通だろ」
「普通?」
「クラスメイトとして仲がいいだけだ」
「その“だけ”にしては、ずいぶん近いように見えます」
「それは朝倉が勝手に近いだけだ」
「本当に?」
「何が」
「あなたはそれを、本当に“朝倉さんだけの問題”だと思っているんですか」
白瀬の目が、まっすぐこちらを射抜く。
その視線に、少しだけ息が詰まった。
俺は無意識に、廊下の手すりの方へ視線を逃がす。
校庭の端、夕方の影、風に揺れる木。
どうでもいいものばかりがやけにはっきり目に入る。
「……おまえ、何が言いたいんだよ」
「そのままです」
「そのままじゃわからない」
「なら、もっとはっきり言います」
白瀬は一歩も引かなかった。
「あなたは、自分だけが冷静だと思っていませんか」
その一言で、背筋に変な緊張が走る。
「……は?」
「朝倉さんが近い。周囲がからかう。噂が立つ。そういう状況の中で、あなたはずっと“自分は巻き込まれているだけ”みたいな顔をしている」
「そんな顔してない」
「しています」
「決めつけるな」
「決めつけではなく観察です」
言い返したいのに、うまく言葉が出てこない。
確かに俺は、ずっと“朝倉ひよりが近いから困る”という形で考えてきた。
事実、そういう面はある。
でも、それだけではもう説明できないところまで来ているのも、たぶん自分でわかっている。
だからこそ痛い。
「俺は別に、冷静ぶってるつもりはない」
「でも、そう見えます」
「おまえにだろ」
「少なくとも、朝倉さんにもそう見える可能性があります」
「……」
「あなた、自分の動揺を隠すのは上手いですから」
その言い方に、少しだけ引っかかった。
「何でそんなことまでわかるんだよ」
「わかります」
「だから何で」
「見ていれば」
短い返答だった。
でも、軽くはなかった。
白瀬凛香は、ただ真面目でうるさいだけの女じゃない。
そのことは前から薄々感じていたが、今はそれがもっとはっきりしていた。
こいつは、人の表面だけじゃなくて、その下にあるものまで見ようとしてくる。
俺は小さく息を吐いた。
「……で」
「はい」
「それを俺に言ってどうしたい」
「誤魔化したままでいてほしくないだけです」
「誰のために」
「朝倉さんのためでもあるし、あなた自身のためでもあります」
白瀬の声は、やっぱりまっすぐだった。
きれいごとみたいに聞こえるのに、不思議と薄っぺらく感じない。こいつ自身が、本気でそう思っているからだろう。
だから余計に厄介だ。
「おまえさ」
俺が言う。
「何でそこまで朝倉のこと気にするんだよ」
「同じクラスメイトだからです」
「それだけか?」
「それだけでは不満ですか」
「そうじゃなくて」
「……」
白瀬は少しだけ黙った。
ほんの一瞬だけ、視線が揺れる。
その変化はわずかだったが、俺には見えた。
「朝倉さんは、思っているより気を遣う人です」
白瀬が静かに言う。
「明るく見えても、全部気にしていないわけじゃない」
「……」
「あなたも、わかっているんじゃないですか」
「……まあ」
否定できなかった。
ひよりが汗や距離感を気にしていること。
笑って誤魔化しても、本当はちゃんと傷つくこと。
それを俺は知っている。
白瀬はそこで、少しだけ言葉を切った。
それから、前よりさらに低い声で続ける。
「あなたは朝倉さんを放っておけないように見えます」
その一言が、思ったより深く刺さった。
放っておけない。
その表現は、妙に正確だった。
好きだとか、気になるとか、そういう言葉より、今の俺にはよほど近い。
実際、朝倉ひよりが困っていると気になる。落ち込んでいるとわかる。変なふうに我慢していると、放っておけない。
でも、それを白瀬みたいな第三者に言い当てられると、急に落ち着かなくなる。
「……見えすぎだろ、おまえ」
ようやくそれだけ返す。
「そうでもありません」
「十分だ」
「なら、自覚はあるんですね」
「引っかけかよ」
「確認です」
白瀬はほとんど表情を変えなかった。
でも、その目には少しだけ確信が宿っていた。
たぶん今ので、俺が完全には否定できないことを見抜かれた。
「朝倉さんとのことを、どうするかはあなたが決めることです」
白瀬が言う。
「でも、曖昧なまま巻き込まれているふりをするのは、ずるいと思います」
「……」
「あなたは、もうその位置にはいないでしょう」
返せなかった。
正しいのかどうかはまだわからない。
でも、痛いところを突かれているのは確かだった。
俺はずっと、自分の体質のせいで困っている側だと思ってきた。
匂いに敏感で、余計なことばかり拾って、勝手に疲れている。
でも今は違う。
朝倉ひよりとの距離に関しては、俺自身ももう“ただ巻き込まれてるだけ”ではない。
そこを、白瀬は見抜いている。
「……おまえ」
俺が小さく言う。
「何ですか」
「ただの面倒な委員長じゃないな」
「今さらですか」
「今さらだよ」
白瀬はそこで初めて、ほんの少しだけ目を細めた。
笑った、というほどではない。
でも、完全な無表情ではなかった。
「それはどうも」
「褒めてない」
「そういうことにしておきます」
そう言って、白瀬は教室の方へ視線を戻した。
話は終わりらしい。
俺もそれ以上何か言う気にはなれなかった。
言葉にしようとすると、余計に自分の中の曖昧さが浮き彫りになる気がしたからだ。
廊下を戻りながら、胸の奥が妙にざわついているのがわかった。
白瀬凛香は、真面目で厳しくて、いちいち刺さることを言ってくる。
そこまでは今までと同じだ。
でも、今日はそれだけじゃなかった。
観察して、考えて、ちゃんと相手の内側まで見ようとしてくる。
そして、逃げ道のない言葉を選んでくる。
あれはもう、単なる“面倒な委員長”では済まない。
教室の前で立ち止まり、俺は小さく息を吐いた。
「……ほんと面倒だ」
そう呟いたくせに、その“面倒”を少しだけ無視できなくなっている自分が、一番面倒だった。




