表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『汗ばんだ制服の距離が近すぎるせいで、俺の青春は毎日ギリギリです』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第一章 春の距離感は、たぶん校則で制限できない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/40

12話 汗ばんだ制服の距離が近すぎるせいで、俺の青春は毎日ギリギリです

 翌朝、目が覚めた瞬間から、嫌な予感がしていた。


 いや、正確には違う。

 嫌な予感というより、落ち着かなさだ。


 昨日の放課後。

 雨の教室。

 誰もいない前後の席。

 朝倉ひよりの「これからも近くにいてもいい?」という問い。

 それに対して、俺が頷いたこと。


 あれはたぶん、決定的に何かが変わる瞬間だった。


 付き合い始めたとか、そういうわかりやすい話ではない。

 でも、ただのクラスメイトの距離には、もう戻れない。


 そのことだけは、起きた瞬間から妙にはっきりしていた。


「……面倒なことになった」


 ネクタイを締めながら呟く。


 もちろん、原因は自分でもわかっている。


 俺――柊真央は、人より匂いに敏感だ。

 そのせいで、朝倉ひよりの近さにも、汗にも、体温にも、いちいち落ち着かなくなる。

 ずっとそれを自分の中で“最低な性癖”として扱ってきた。実際、そう思っている部分は今でもある。


 けれど、もうそれだけでは済まなくなっていた。


 ひよりが気にしていることを知った。

 それで傷つく顔を見た。

 そのうえで、近くにいていいかと聞かれて、俺は頷いた。


 つまり、もう後戻りはできない。


 朝の空は昨日の雨が嘘みたいによく晴れていた。

 道端にはまだ小さな水たまりが残っている。そこに春の光が反射して、妙にきらきらして見えた。


 こういう朝に限って、空気は無駄に澄んでいる。


 濡れた土、乾き始めたアスファルト、洗いたての制服、冷たい風。いろんな匂いがいつもよりくっきりしていて、余計に気が散った。


 校門が見えてくる。


 そこで、俺は小さく息を止めた。


 やっぱりいた。


 朝倉ひよりが、校門の少し手前でこっちを見つけていた。


 しかも昨日の気まずさなんてまるで引きずっていないみたいな、自然な顔で。


「あ、おはよう!」


 まっすぐな声が飛んでくる。


 逃げ場がない。


「……おはよう」

「また会ったね」

「学校だからな」

「でもちょっと嬉しそうに言って」

「言ってない」

「言ってたよ?」

「幻聴だろ」


 ひよりは笑った。


 そのまま、何でもないみたいに俺の隣へ並ぶ。


 昨日までと変わらない。

 いや、違う。


 変わらないように見せているけど、実際は少し変わっている。


 ひよりは前よりも自然にそばへ来る。ためらいが減ったというか、「ここにいるのが当たり前」とでも言いたげな動き方をするようになった。


 それはたぶん、昨日の答えの延長だ。


「何だよ」

「何が?」

「今日、おまえ変に普通だなと思って」

「普通じゃだめ?」

「だめじゃないけど」

「じゃあいいじゃん」


 それだけ言って、ひよりは少しだけ前髪を耳にかけた。


 朝の風にその髪が揺れる。昨日の雨を越えたあとの光の中では、その仕草までやわらかく見えた。


 やめろ。

 昨日の話を引きずってるのが、俺だけみたいになるだろ。


「……昨日のこと」

 思わず口にすると、ひよりがこっちを見る。

「うん」

「気にしてないのか」

「気にしてるよ?」

「してるように見えない」

「気まずくしたくないもん」


 その答えが、少しだけ意外だった。


 ひよりは笑っている。

 でも、その笑顔の下にちゃんと昨日の続きを抱えたまま、あえて今まで通りでいようとしている。


 そこまでわかった瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。


「それに」

 ひよりが小さく続ける。

「近くにいてもいいって、柊くん言ったし」

「言ってない」

「頷いた」

「……」

「同じようなものだよ」

「違うだろ」

「一緒です」


 言い切るな。


 でも、その言い切り方が少しだけ嬉しそうで、俺はそれ以上強く否定できなかった。


 教室に着く。


 まだ朝のホームルーム前で、生徒たちは半分くらいしか揃っていない。ざわめきも、昼ほど大きくない。その分、机を引く音や、窓の外の風の音までよく聞こえる。


 俺が自分の席に鞄を置いた、そのすぐあとだった。


「ねえ柊くん、今日の一時間目って英語だっけ」

「国語」

「そっか、危なかった」

「何が危ないんだよ」

「ノートの準備」

「見ればわかるだろ」

「でも聞いた方が早いし」


 ひよりはそう言って、当たり前みたいに俺の机の横へ来た。


 いや、横どころか、ほぼ隣だ。


 昨日までなら、そこにほんの少しだけ遠慮とか探りがあった。

 今日のひよりには、それがほとんどない。


 自然だ。

 自然すぎる。


 そしてこっちは、その自然さに一番動揺している。


「おー」


 斜め後ろから、いかにも楽しそうな声が飛んできた。


「もう始まってんじゃねえか青春」


 藤崎蓮だった。


「朝からうるさい」

「いやだって、明らかに空気違うだろ」

「違わない」

「違うよね?」

 蓮がひよりに振る。

「……ちょっとだけ?」

 ひよりが答える。


 答えるな。


 しかもその言い方、絶妙に含みあるだろ。


「ほら見ろ」

 蓮が満足げに言う。

「おまえは本当に余計なとこだけ元気だな」

「観察眼って呼んでくれ」

「うるさい」


 蓮はけらけら笑って、それから俺とひよりを見比べた。


「朝倉さん、もう完全に真央の隣ポジションじゃん」

「何それ」

「いや、だって立ち位置がそうだろ」

「……そうかな」

「そうだよ」

「言い切るな」


 俺が言うと、ひよりは少しだけ笑った。


 その笑い方が、前より静かで、それでいて変に照れていない。昨日の放課後を越えてきたぶんだけ、ひよりの中でも何かが決まったのだろう。


 たぶん、“ここにいていい”と。


 それを勝手に誇らしく思いかけて、俺は心の中で自分に呆れた。


 何を考えてるんだ。


 そこへ、涼しい声が割って入る。


「朝から騒がしいですね」


 白瀬凛香だ。


 今日も変わらず姿勢がいい。制服も髪も隙がなくて、いかにも“朝から自分を整えてきました”という感じがする。その整い方が、逆に少し怖い。


 白瀬は俺たちの席の横で立ち止まり、まずひよりを、それから俺を見る。


「朝倉さん」

「え?」

「通路を塞がないでください」

「あ、ごめん」


 ひよりが一歩だけ横にずれる。


 だが白瀬はそれで終わらなかった。


「それと」

「……何だよ」

 俺が先に言うと、白瀬の視線がまっすぐ向いた。

「前よりさらに自然になりましたね」

「何が」

「距離感です」


 言い方が、完全に何かを含んでいる。


 蓮が吹き出しそうになるのを、俺は睨みで止めた。止まってないけど。


「別に普通だろ」

「そうでしょうか」

「……」

「少なくとも、昨日までとは違って見えます」


 白瀬の声は落ち着いていたが、その落ち着き方が逆に意味深だった。

 昨日の放課後のことまでどこまで察しているのかは知らないが、少なくとも“何かあった”と思っているのは間違いない。


 ひよりはそんな白瀬を見て、少しだけ頬を膨らませる。


「白瀬さん、見すぎじゃない?」

「気になるものは見えます」

「何それ」

「事実です」


 ひよりと白瀬の間に、軽い火花が散る。


 前よりはっきりしている。

 白瀬は警戒を隠さないし、ひよりももう完全には流さない。


 この二人、たぶん今後も相性悪いな。


「白瀬さん、風紀委員向いてるよ」

 蓮が面白がるように言う。

「まだ委員は決まっていません」

「でももう半分委員長だろ」

「そう見えるだけです」

「いや、見える」

 ひよりまで言う。

「朝倉さん」

「はい?」

「あなたはもう少し、自分がどう見られているかを自覚した方がいいと思います」

「……何それ」

「そのままの意味です」


 ぴしゃりと返す。


 ひよりがむっとした顔になる。

 でもその直後、白瀬の視線が一瞬だけ俺に流れた。


 その意味深さに、こっちの方が落ち着かなくなった。


 やめろ。

 おまえの中で何がどこまで繋がってるのか知らないけど、そういう目で見るな。


 ホームルームが始まり、授業が進み、昼休みが来る。


 そして、案の定というべきか、クラスの空気は前よりあからさまになっていた。


「また一緒に食べるの?」

「おまえらほんと仲いいな」

「付き合ってるわけじゃないのに距離近くない?」


 そんな声が、あちこちから飛ぶ。


 前までは“ちょっと仲のいいクラスメイト”くらいの扱いだったはずなのに、今はもう半歩くらい先へ進んだ目で見られている気がする。


 原因はわかっている。


 ひよりが前より自然に俺のそばへ来るようになったからだ。


 昼休みも、何でもない顔で隣へ来る。


「ここ座るね」

「もう確認の意味ないだろそれ」

「一応」

「一応も何も、もう座ってるじゃん」

「そうだね」

「そうだねじゃない」


 ひよりは笑いながら弁当箱を開ける。


 その仕草すら、前より落ち着いて見えた。


「おまえら、ほんともう隠す気ないな」

 蓮がパンを片手に言う。

「隠すって何を」

 ひよりが返す。

「青春」

「便利な言葉みたいに使うな」

 俺が言う。

「でも真央、前より全然追い返さなくなったよな」

「……」

「それは思う」

 と、近くの男子まで混ざってきた。

「前は“自分の席戻れ”って顔してたのに」

「そんな顔してない」

「してたって」

「今は?」

 ひよりが聞く。

「今は何か……」

 そいつはにやっとして言った。

「もう諦めてる顔」


 教室の何人かが笑う。


 くそ、否定しづらいことを言うな。


 ひよりはその言葉に一瞬だけ目を丸くして、それから少しだけ赤くなった。


「……何その顔」

 思わず聞くと、ひよりがこっちを見る。

「別に」

「今のはおまえの“別に”の方が下手だろ」

「うるさい」

「お、朝倉さん照れてる?」

 蓮が逃さず拾う。

「照れてない!」

「声がちょっと高いな」

「蓮くんほんとうるさい!」


 ひよりが珍しく強めに言い返す。


 その反応に、周囲がさらに面白がる。

 でも、俺はその中で妙に静かな満足感みたいなものを覚えていた。


 こいつもちゃんと意識している。

 前よりもっと。

 それがわかってしまうから、余計に落ち着かないし、少しだけ嬉しい。


 自分で自分が面倒くさい。


 昼休みの終わり頃、ふと前方を見ると、白瀬凛香がこちらを見ていた。


 別に睨んでいるわけじゃない。

 ただ、静かに、観察するみたいな目だ。


 その視線には前よりはっきり“警戒”が混じっていた。


 朝倉ひよりとの距離を警戒しているのか。

 俺が何かを隠していることを警戒しているのか。

 その両方か。


 どちらにしても、これから面倒になる予感しかしない。


 放課後。


 夕方の教室は、一章の最初の頃ともう全然違う場所みたいに感じられた。


 最初は、ただ静かに高校生活をやり過ごすつもりだった。

 匂いに敏感で、余計なことばかり拾ってしまう自分は、なるべく平穏な方がいいと思っていた。


 でも今はどうだ。


 朝倉ひよりは当たり前みたいに俺の隣へ来る。

 周囲はそれを見て好き勝手にからかう。

 藤崎蓮は完全に面白がっている。

 白瀬凛香は静かに警戒を強めている。


 平穏なんて、もうどこにもない。


 それなのに。


「また明日ね、柊くん」


 帰り際、ひよりがそう言って笑うだけで、少しだけその明日が待ち遠しいと思ってしまう自分がいる。


 それが、たぶん一番まずい。


「……ああ」

「明日も校門で会えるかな」

「待ってる気だろ」

「ばれた?」

「見え見えだ」

「じゃあ、ちゃんと来てね」

「何で命令形なんだよ」

「お願いの方がよかった?」

「どっちでも変わらん」

「えへへ」


 ひよりは笑って、自分の席へ戻っていく。


 蓮が「ほらもう始まってんじゃねえか青春」とうるさく言って、前方では白瀬がまた意味深な視線をこちらへ向けていた。


 窓の外では、昨日の雨が嘘みたいな夕陽が教室を染めている。


 汗ばんだ制服。

 近すぎる距離。

 言えないことだらけの、どうしようもなく落ち着かない毎日。


 でもそれはもう、ただしんどいだけのものじゃなかった。


 近いから困る。

 意識するから危ない。

 放っておけないから、余計に面倒だ。


 なのに、少しだけ嬉しいと思ってしまっている。


 それが答えなのだとしたら、俺の平穏はもう完全に終わったのだろう。


 近すぎる。危なすぎる。

 けどたぶん、もう離れられない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ