鳴り止まないで、そばにいて⑫
鶏肉の筋を切りながら、隣でニンニクを粗く微塵切りしている涼の様子を窺った。
どう切り出せばいいのか、迷ってしまう。
「ユキさん、パクチーって入れて大丈夫でしたっけ?」
「え、あ……うん」
「はーい」
「あの、涼」
「はぁい?」
これ以上ないほど優しい響きで、呼びかけに応えてくれる。
身の上話なんて得意ではないけれど、こんなことになった以上、きちんと話しておかなければ。
「……ウチの親、中学生の時に離婚してて」
「うん」
「あの人を見ればわかると思うけど、オレを医者にするのが自分の夢みたいな人だったから……父親とは何度も揉めて」
「……ご兄弟、いませんでした?」
「姉と弟。姉は医者で、弟は看護師やってる」
「皆さん医療系なんだ」
凄いですね、と感心しながら、涼は作業を続けた。
オレを気遣って、そうしてくれているんだろう。
手を止めて向き合うと、恐らく彼にとっては重たい他人の話を、どう言葉にすればいいかわからなくなってしまうから。
「オレは、漠然と家を継がなきゃいけないと思ってた。あの人はオレにしか興味がなかったし、そういう育てられ方をしてきたから」
「……小さい頃は、親が自分の世界の全てですからね」
「でも……龍臣が、」
「ここでも龍臣さんかあ!」
「え、ごめん」
「いいんです、すみません遮って!」
よくはなさそうな顔をしながら、涼はニンニクと生姜と切り落とした鳥の皮を炒め始めた。
「龍臣がウチに遊びに来るようになってから、母のやり方は更に悪化した」
「……」
「あの人は龍臣を毛嫌いしてて……理由はいくつかあるけど、一番酷い被害妄想は、親父と龍臣の母親が不倫して龍臣ができたとか、なんとか」
「また昼ドラみたいなことを……」
「できるだけオレと龍臣を遊ばせないように、習い事は詰め込むだけ詰め込まれた。教育のためもあったけど」
手元の鶏肉の処理を終えたら、涼は隣で手早く米を研ぎ始めていた。
よくその手際で人の話を聞けるなと感心しながら、もう一枚を手にかける。
「どうして、」
「……」
「どうして、医者になれと言う口で、行き場のない幼い子供に罵詈雑言を浴びせるのか、理解できなくて」
「ユキさん……」
あの人は何度、龍臣の心を傷つけたのだろう。
母親から暴力を振るわれ、心を殺しながら生きてきた子供を、二度殺すのと同じだ。
一瞬にして、自分の母が人ではない恐ろしい生き物に思えた。
「この人の望むままに生きて、それでオレは一体、何になるつもりなのか」
ぱちん、とキッチン鋏で筋を切る。
「わからなくなった」
「……」
「あの人と同じになってしまうのが、怖かった」
「……苦しかった、ですか」
「いや。味方はたくさんいたし、音楽があったから」
父も姉も弟も、龍臣も、オレを守ってくれていた。
母の考えた完璧な子供を演じるオレの側で、まだ小さかった手を必死に握ってくれていた。
それがどれほどの救いだったか。
父が与えてくれたギターと音楽が、どれほどオレの心を自由にしてくれたか。
「思い返してみれば……昔も今も、誰かに救われてばかりだ」
あの人の思う完璧な人間とは、真逆の結果になっているのではないだろうか。
なんて滑稽で、なんて皮肉なのだろう。
「ユキさんが言葉にするの苦手な理由、少しわかった気がします」
「……ごめん」
「あはは、何で謝るんですか。俺は好きですよ、アンタのそーいうとこ」
「……」
「それに、ユキさんは誰かに救われてばかりだって言うけど、俺はユキさんがいてくれるだけで救われてますし」
「……涼」
「ユキさんがいなかったら、今の俺はいないので」
フライパンの火を止めて、涼は少しだけこちらへ向き直る。
「怖がらずに、そのままのアナタでいてください」
「……ダメ人間になりそう」
「えっ」
手が鶏の油まみれで、触れられないのがもどかしい。
どうしてこの男は、こんなにオレを甘やかすのが上手いのか。
「もうちょっと、カッコいい大人でいたいんだけど」
「え、いつでもめちゃくちゃカッコいいです」
「甘やかすな」
「カッコ悪いユキさん見たことあったっけなぁ」
「今盛大にカッコ悪いだろ」
ため息を吐きながらジトリと見つめたら、涼は嬉しそうに笑った。
「今はめちゃくちゃ可愛いです」
「……やっぱダメ人間になりそう」
「俺がいなきゃダメって意味なら、是非そうなってもらいたいですね」
サラッと恐ろしいことを言いながら、手早く炊飯器に鶏をセットしてスイッチを押す。
リクエストしたカオマンガイも、あと少しで出来てしまうようだ。
「涼」
「はぁい」
「側にいてくれて、ありがと」
「ねえ待ってすぐ手洗うから! 抱きしめたい!」
「ふは、オレも汚れてるんだけど」
笑いながらシンクで手を洗うと、待ちきれないらしい涼が後ろから腕を回す。
キッチンで何やってるんだかと段々恥ずかしくなってきて、思わず口を引き結んだ。
「愛してるよ、ユキさん」
「知ってる」
「もー、オレも愛してるよーって言ってほしいなぁ」
「また今度」
「今度っていつ!」
「いつか」
「いつかっていつ!」
「ふは、」
食い下がってくるのが可愛くて、思わず笑った。
洗い終わった手を拭いて振り返ると、頬を膨らませた大型犬が、拗ねた瞳でこちらを見つめている。
自分より少し高い位置にある唇に、踵を上げて口付けた。
キラリと、夜色の瞳が輝くのがわかる。
「キスで誤魔化せると思ってるでしょ」
「可愛かったから」
「ねーもうズルい!」
「はは、生春巻き作ろ」
「ねえ〜〜」
追い縋る涼の頭を撫でながら、冷蔵庫のドアを開けた。




