引き出しが届く
ヴィーラント大尉から荷物が届いたのは、その月の終わりだった。
軍の輸送に混ぜて、木箱が一つ。宛名は俺で、差出人の欄には第四方面軍司令部としか書いていない。
運んできた輸送係は、受け取り印を押させて、中身は何かと聞いた。俺は書類だと答えた。彼は「重いですね」と言って帰っていった。
開けると、紙が詰まっていた。
詰まりすぎて、上のほうが波打っていた。あの引き出しと同じ形で、あの引き出しから出したまま、そのまま箱に移したのだと分かった。
一番上に、一枚だけ、手紙があった。
『アーレンス下士へ
退官が決まった。来月末をもって職を退く。
引き出しの中身を、次の者に渡さないことにした。渡せば、彼は私と同じことをする。私は十四年、それをやってきて、少ないほうを選び続けて、間違えなかった。間違えなかったので、これを渡すべき相手がいない。
燃やすことも考えた。この方面には炉がある。私が焼けば、記録は残らない。誰も困らない。
君に送ることにしたのは、君が私を困らせるからだ。
これは証拠にならない。中身は雑多で、順番もついていない。私が十四年、上げなかった上申と、握った報告と、押した代印の控えだ。どれも様式に合っていない。合っていれば、上げていた。
君のところに新しい様式ができたと聞いた。
合わない紙を入れる様式が、そちらにあるのなら、送る意味がある。
ヴィーラント』
俺は箱の中身を、床に広げた。
宿の部屋には入りきらなかった。フェリクスが手伝って、二人で並べた。並べても、量が多すぎて、順番がつかなかった。
紙の状態はばらばらだった。新しいものは折り目がついているだけだが、古いものは縁が茶色くなって、指で持つと粉が落ちる。十四年、引き出しの中で重なって、下のほうは圧で波打っていた。
匂いがした。あの執務室の匂いだ。油で曇った窓と、欠けたインク壺のある部屋の匂い。
「これは」
フェリクスが一枚を持ち上げた。
「村を焼いた件の上申だな」
俺は受け取った。
九年前の日付。焼いたのは第七中隊。焼かれたのは村が一つ。上申したのは中隊付の准尉で、名前が書いてある。
字が丁寧だった。
丁寧すぎるくらい丁寧で、途中で一度、書き直した跡がある。何度も書き直して、それでも出すと決めた人間の字だ。
ヴィーラントが言っていた紙だ。上げれば中隊が解体される、解体すれば線が下がる、線が下がれば後ろの町が焼ける。だから彼は引き出しに入れた。
九年、入っていた。
俺はそれを、一番上に置いた。置いてから、准尉の名前をもう一度読んだ。読んで、覚えた。覚える必要は無いのに、覚えた。
「フェリクス」
「なんだい」
「これ、証拠になるか」
「ならない」
彼は即答した。
「九年前だ。焼いた中隊はもう無い。上申した准尉は、たぶん死んでいる。焼かれた村の人間も、たぶん記録に無い」
「そうだな」
「証拠にはならんが」
彼は言った。
「書いた人間がいる、という証拠にはなる」
俺は手を止めた。
「九年前、この准尉は、上げても無駄だと分かっていたはずだ。それでも書いた。書いて出して、握り潰された」
フェリクスは紙を戻した。
「その人は、書いたことも知られずに死んだ。今、我々が知った」
俺は床に広げた紙を見渡した。
十四年ぶん。何百枚あるか分からない。全部、誰かが書いて、上げて、届かなかったものだ。
全員が、自分にできるいちばん小さいことをやった。
やって、引き出しに入れられた。
ヴィーラント大尉は、その全部を読んでいる。
十四年、読んで、入れて、それが正しい判断であることを毎回確かめて、そのうえで、退官の前に俺のところへ送ってきた。
燃やせば誰も困らない、と手紙には書いてあった。本当だ。彼が焼けば、この箱の中身は無かったことになる。九年前の准尉が丁寧な字で書いた上申も、誰にも知られないままだった。
送ってきたのは、たぶん、あの人が自分を許さなかったからだ。
俺は、その晩から、順番をつけ始めた。
日付順に並べる。方面軍ごとに分ける。様式番号を確かめる。合わないものは、合わない理由を書く。
二夜やって、全体の十分の一も終わらなかった。
難しいのは、日付の入っていない紙だった。全体の三割ほどある。上申の下書きや、口頭で受けたことの覚書は、日付を書く習慣が無い。
そういう紙は、内容から推定するしかない。書かれている部隊名がいつ存在したか、書かれている物価がいつのものか。前世でやっていたのと同じ作業だ。日付の無い書類の日付を決めるのは、事故調査でいちばん時間のかかる仕事だった。
三夜目に、ミアが手伝いに来た。彼女は廃棄目録の頁を一枚ずつ触る仕事の合間に、ここに来て、紙を並べた。
彼女は触るのが速かった。当たり前だ。彼女は日付を推定する必要が無い。誰が書いたかは触れば出る。
「これ、ヴィーラントさん」
「大尉が書いたやつだな」
「これも。これも。これは違う人」
彼女は紙を二つの山に分け始めた。
「ヴィーラントさんが書いたのと、他の人が書いたの。分けたほうがいい?」
「いいな」
俺は言った。
「他の人が書いたやつは、上げてきた人間の紙だ。上げた人間の名前が要る」
「ユール、これ、いつ終わるの」
「分からない」
「一年かかる?」
「かかるかもしれない」
「ふうん」
彼女は紙を日付順に並べながら言った。
「じゃあ、一年やろうね」
俺はその言い方に、少し手が止まった。
この子は「手伝う」と言わない。「やろうね」と言う。前線でもそうだった。埋めるときも、掘るときも、この子は必ず一緒にやる側の言い方をした。
「ミア」
「なに」
「ありがとう」
彼女は顔を上げて、少し驚いた顔をした。
「なにそれ」
「言っただけだ」
「変なの」
彼女はそう言って、また紙を並べ始めた。




