触れる仕事
第四十三様式の第二号を書き始めたのは、その週からだった。
三条が通ったので、証言者の欄が増えた。工房で版を組み直して、四欄になった紙が刷り上がるまで、五日かかった。
工房の職人は、俺の顔を見て、少し呆れていた。
「四日前に刷ったばかりですよ」
「すみません」
「改訂って、普通は何年か置くもんですけどね」
彼は版を組みながら言った。
「まあ、いいですけど。仕事ですから」
刷り上がった紙は、前のものと並べると、罫線が一本増えているだけだった。
その一本を引くのに、俺は十五の子が三日間閉じ込められる必要があった。
最初に証言を書き留めたのは、ニナの分だ。
彼女は炉小屋から出て、記録局の一室で、書記官の前に座った。上っ張りの灰を払って来ていて、髪を包む布も新しいものだった。俺はそれを見て、何も言わなかった。
書記官はヨルクだった。証言の書き取りは第二収蔵の人間がやることになっていて、たまたま彼が当たった。
彼はニナを見て、少し戸惑った顔をした。
「あの、失礼ですが、どちらの」
「炉番です」
「炉番」
「西の裏手の」
ヨルクは、しばらく黙った。
「……ああ。あの、すみません。私、三年いて、一度も行ったことがなくて」
「知ってます」
ニナは言った。「誰も来ないので」
ヨルクは羽根ペンを持ち直した。彼の耳が少し赤くなっていた。悪気の無い男が、自分に悪気が無かったことに気づいた顔だった。
彼女は六年ぶんを、もう一度、最初から喋った。
二度目なので早かった。二夜で終わった。番号と、方面軍名と、品目と、空欄の種類。俺が書いたときと、順番も内容も一致した。
一致したことが、いちばん大きい。
同じ人間が二度喋って、二度同じことを言えば、それは記憶が作り話ではない証拠になる。前世でも、証言の信頼性はそうやって測っていた。
二夜目の終わりに、ヨルクが顔を上げて言った。
「ブラントさん。これ、全部、燃やす前に読んだんですか」
「読みました」
「六年」
「六年です」
彼は羽根ペンを置いて、少し何か言おうとして、やめた。
やめてから、書き取った紙を揃えた。丁寧に、角を揃えて。
書き終えて、書記官が読み上げて、ニナが署名した。
署名するとき、彼女は少し手間取った。
「六年、名前しか書いてないって言ったでしょう」
彼女は言った。「その名前も、伝票にしか書いてないの。ちゃんとした紙に書くの、久しぶり」
ニナ・ブラント、と彼女は書いた。
字は下手だった。読めた。
ミアの仕事は、それから始まった。
俺が考えていたのは、廃棄目録だった。
六年ぶん、六冊。あれには番号と日付と署名しか書いていない。だが、あの綴りは物だ。物には、触った人間の名が残る。
「読める?」
「読めるよ」
ミアは表紙に手を置いて、目を閉じた。
それから、しばらく動かなかった。
開いた目が、困っていた。
「多い」
「どのくらい」
「分かんない。すごく多い。何十も何百も。棚から出す人と、書き込む人と、運ぶ人と、あと、掃除の人も触ってる」
彼女は手を離した。
「これ、無理」
「一番上だけでいい」
「一番上は、わたし」
彼女は言った。「今わたしが触ったから」
俺は少し考えた。
「じゃあ、頁で」
「頁?」
「綴じてある紙は、一枚ずつ別の物だ。表紙を触れば全員が出るが、中の一枚なら、その一枚を触った人間だけになる」
ミアは目を丸くした。
「そうか」
「やったことないか」
「やったことない。だって、頁って、いつも一緒に触るから」
彼女は綴りを開いて、俺が指した一枚に、指を置いた。
その頁には、年限より早い廃棄の行が二つある。
「少ない」
彼女は言った。「四人。書いた人と、あと三人」
「名前は」
「ゾンマー、じゃないな。知らない名前。ええと、シュミット。それと」
彼女はそこで止まった。
「ヴァルト」
俺は動かなかった。
「もう一回、確かめてくれ」
「ヴァルト。ヴァルトだよ。二回ある」
「二回?」
「うん。触った跡が二つあるの。日が違うと、別々に残るから」
彼女は指を離して、少し息を吐いた。
「疲れる。一枚でこれだけ疲れる」
俺は閲覧記録の帳面を思い出した。
ヴァルト中尉は、第四十三様式を五回読んでいる。あれは記録に残っている。
だが、廃棄目録は永年保存ではあっても、閲覧記録の対象ではない。ヨルクが言っていた。あれはただの一覧です、誰も見ませんけどね、と。
誰も見ないから、記録も取らない。
だからヴァルトは、廃棄目録を、記録に残さずに読んでいた。
いつからかは分からない。分からないが、読んでいたことは、この頁に残っている。
もう一つ、分かることがあった。
あの男は、俺が第四十三様式を出す前から、この目録を見ていた。
つまり、俺が照合を始めるより前に、あの男は同じ場所を気にしていた。
「ミア」
「なに」
「他の頁も、やれるか」
「やれる」
彼女は言った。「でも、一枚ずつだと、時間かかるよ。すごくかかる」
「かかっていい」
俺は言った。
「六冊ある。全部やってくれ」
「ぜんぶ?」
「ぜんぶだ」
ミアは綴りを見て、それから、俺を見た。
「あのさ、ユール」
「なんだ」
「これ、雪と同じだね」
俺は顔を上げた。
「積もったら、足跡が残るでしょ」
彼女は言った。
「読まれた紙には、読んだ人の跡が残るの。読んだ人は、残ってると思ってないけど」
彼女は綴りの表紙を撫でた。
「あのさ、ユール。わたし、ずっと落とし物係だったんだよ」
「知ってる」
「二年間、誰の靴だとか、誰の水筒だとか、そういうのばっかり」
彼女は言った。
「それが、今、こんなことになってる」
「嫌か」
「嫌じゃない」
彼女は綴りを開いた。
「ただ、二年前のわたしに教えてあげたいなって、思っただけ」




