閲覧記録
新しい様式には、新しい閲覧記録がつく。
これは俺が考えたことではない。この局の決まりだ。永年保存に指定された文書は、閲覧のたびに記録を取る。誰が、いつ、どの番号を見たか。
閲覧記録も、永年保存だ。
俺がその意味に気づいたのは、第四十三様式の第一号を提出した二日後だった。
俺が書いたのは、二十三行の数字だ。あれ自体は何も証明しない。
だが、あれを読みに来る人間がいれば、その人間の名が残る。
あの二十三行に興味を持つ理由がある人間は、この王国に何人もいない。
俺は罠を作ったのではない。罠になったのだ。
気づいたのは、朝、閲覧記録の帳面を見たときだった。
帳面は入口の台に置いてあって、鎖で繋いである。持ち出せないようにするためだ。表紙は擦り切れていて、何年も使われている。
俺は最初の頁を開いた。
いちばん古い記録は、十六年前だった。それから今日まで、閲覧の記録が続いている。頁をめくると、同じ番号を何度も見に来ている人間がいたり、一度だけの人間がいたり、四年間まったく閲覧の無い年があったりする。
この帳面は、誰が何を気にしていたかの記録だ。
誰もそう思って書いていない。書いている本人たちは、規則だから名前を書いているだけだ。
その日から、俺は毎朝それを見るようになった。
最初の閲覧は、六日後だった。
俺は閲覧記録を毎朝見ていた。第四十三様式の綴りは第一収蔵の永年棚にあって、閲覧記録は入口の帳面に書かれる。
五日間、何も無かった。
当たり前だ。誰も読まない。永年保存の棚に入った紙を、わざわざ見に来る人間はいない。俺が廃棄目録を三日間読んだとき、あの棚の埃は全体に均一に積もっていた。
六日目の朝、一行増えていた。
日付。番号。閲覧者名。
名前を読んで、俺は少し息を止めた。
ヴァルト。第四方面軍付、中尉。
あの男だ。俺が謹慎処分を言い渡された部屋で、壁際に立っていた、外套の汚れていない中尉。今はレンドルフ伯爵の随行にいる。
閲覧時刻は、朝の一の鐘。この建物が開いた直後だ。
開いた直後に、まっすぐここに来ている。
俺は帳面を閉じて、仕事場に行った。
その日は普通に働いた。台車を押して、番号を確かめて、炉に運んだ。ラウルがいつもどおり喋っていて、ブルク老人がいつもどおり黙っていた。
昼過ぎに、閲覧記録をもう一度見に行った。
二行に増えていた。
二行目も、ヴァルトだった。
同じ日に、二度。
二度目の閲覧時刻は、三の鐘の直後だ。昼飯の時間を潰して来ている。
三日目までに、彼は五回来た。
五回とも、同じ番号を見ている。二十三行の数字が並んだ、俺の第一号を。
五回目のあと、俺は閲覧記録の帳面を、少し長く見ていた。
この帳面は、俺が作ったものではない。この局にずっとあった規則だ。永年保存の文書は、閲覧のたびに記録を取る。誰が、いつ、どの番号を見たか。
誰も気にしていなかった。第二収蔵の棚を出し入れするヨルクも、廃棄の台車を押すラウルも、この帳面の存在を知らないと思う。
俺も、自分の紙が読まれるまで、意味を考えたことがなかった。
四日目の夕方、俺は炉小屋でハイムに会った。彼は立会人の依頼ではなく、ただ来ていた。ニナと何か話していて、俺が入ると口を閉じた。
「ハイムさん」
「聞いている」
彼は言った。「ヴァルトという中尉だな」
「知ってますか」
「補給局の人間だ。伯爵の下にいる」
「五回来ています」
「五回」
彼は少し考えた。
「探しているな」
「何をですか」
「自分の名だ」
ハイムは言った。
「あの二十三行に、立会人の名が載っているのだろう。あの男は、自分の名がそこにあるかどうかを見に来ている」
俺は自分の書いた行を思い出した。
十九人の立会人の名前。廊下で捕まえられて、何に署名したかも知らないまま署名した十九人。
その中に、ヴァルトの名は無い。
無い。
だが、彼はそれを五回確かめている。
「無いのに、五回見るでしょうか」
「無いから五回見るんだ」
ハイムは言った。
「有れば一度でいい。無いと、見落としたのではないかと思う。三度見て、四度見て、それでも無いと、今度は『これで全部か』が気になる」
彼は炉の火を見た。
「あの様式は、今後も追加されるからな。次の号に自分の名が出るかもしれない」
俺は、そこで一つ、理解した。
この様式は、過去を記録するためのものではない。
これから何を燃やすかを、抑える。
名が残ると分かっていて、立会人になる人間は減る。減れば、早い廃棄がやりにくくなる。
「アーレンス下士」
「はい」
「君は、大変なものを作ったな」
ハイムは言った。
褒めていなかった。
「君は今、あの人たちの手順に、目を入れた。手順に目が入ると、人は手順を変える」
「変えると、どうなりますか」
「新しい手順には、まだ君の目が無い」
彼は言った。
「そして新しい手順は、たいてい、前より乱暴だ」
俺は炉の火を見ていた。
「乱暴、というのは」
「紙を使わなくなる、ということだ」
ハイムは言った。
「今までは、燃やしていた。燃やすには伝票が要る。伝票には番号が残る。だから君に見つかった」
彼は指を組んだ。
「次からは、最初から書かないだろう」
俺は顔を上げた。
「書かなければ、燃やす必要が無い」
彼は言った。
「異動先を空欄にするのではなく、異動そのものを書かない。受領先を空欄にするのではなく、受払を書かない。書かなければ、目録に行は残らない。君の様式は、空欄の紙を追うためのものだ。紙そのものが無くなれば、追えない」
俺は答えなかった。
答えられなかった。それは正しい。俺が作ったのは、書かれたものを追う仕組みだ。書かれないものは追えない。
「じゃあ、どうすればいいですか」
「知らん」
ハイムはあっさり言った。
「私は十二年、床を拭いてきた男だ。蛇口の閉め方は知らん」
彼は立ち上がって、外套を取った。
「ただ、一つだけ言える」
「はい」
「書かない、というのは、手間がかかるんだ」
彼は言った。
「人を動かすには紙が要る。飯を出すにも紙が要る。何も書かずに人を河へ送るのは、無理だ。どこかで必ず書く」
彼は扉のところで止まった。
「その『どこか』を探すのが、次の君の仕事だな」




