様式を作る
問題は、はっきりしていた。
俺の手元には、三十枚の紙がある。ニナの記憶と、番号と、廃棄目録の行。それに、前線から持ってきた帳簿の写しと、ゾンマー次席の控えと、フェリクスが覚えた指示書の文言。
これを、棚に入れたい。
入れば、消えない。中身が読まれなくても、綴じられて、番号がついて、年限がつく。年限は最長で永年だ。永年保存の棚に入れば、燃やすには年限前の廃棄伝票が要る。伝票を作れば、廃棄目録に行が残る。
残った行を、いつか誰かが照合する。
俺がやったように。
だが、入れる方法が無かった。
この局の棚は、様式ごとに分かれている。回収報告は第七様式、証言記録は第十一様式、所見は医務様式。ヴィッテがそう言っていた。
俺が書いたものは、どの様式にも当てはまらない。
廃棄目録の照合結果でもないし、証言記録でもない。強いて言えば調査報告だが、調査報告の様式は、命令を受けた調査にしか使えない。俺は誰の命令も受けていない。
「様式が無いんです」
俺はフェリクスに言った。
「無ければ作ればいい」
彼はあっさり言った。宿の狭い部屋で、寝台の縁に座って、爪の手入れをしながら。
「作れません」
「なぜ」
「様式は、局長が決めます」
俺はそこで、口を止めた。
止めてから、言葉が出なくなった。
フェリクスが顔を上げた。
「どうした」
「いえ」
「言え」
「様式は、局長が決めます」
俺はもう一度言った。
「決めるのは、局長です」
彼は爪切りを置いた。
「君、まさか」
「新しい様式を、申請します」
「相手はミューレ侯爵夫人だぞ」
「はい」
「君が集めたものを、そのまま渡すことになる」
「なりません」
俺は言った。
「渡すのは、様式です。中身ではありません」
俺は紙を出して、書き始めた。
『廃棄記録照合様式(案)
一、本様式は、廃棄目録に記載された各行につき、番号・年限・廃棄年月日の整合を照合した結果を記載するものとする。
二、不整合が認められた行については、当該行の番号、廃棄年月日、立会人氏名を転記する。
三、当該廃棄に係る文書の内容について証言が得られた場合は、証言者氏名を付し、証言内容を付記する。
四、本様式による記録は、永年保存とする。』
書き終えて、俺はそれを読み返した。
四条だけだ。中身は何も書いていない。何を照合したかも、誰が証言したかも、何が出てきたかも書いていない。
書いてあるのは、そういう紙を作ってよい、ということだけだ。
一度書いてから、俺は全部破って、書き直した。
最初の版は、六条あった。三条と四条のあいだに、証言の信憑性の判定について二条入れていた。読み返して、それが余計だと気づいた。判定を入れると、判定する人間が要る。判定する人間が要ると、その人間を選ぶ規則が要る。規則が増えるほど、通らなくなる。
削って、四条にした。
削るのに、丸一晩かかった。前世で報告書を書いていたとき、書くより削るほうが時間がかかるのはいつものことだった。
「これを通せば」
フェリクスが覗き込んで言った。
「通せば、俺が書いたものは様式に載ります」
俺は言った。
「様式に載れば、番号がつきます。番号がつけば、棚に入ります。永年保存の棚に」
「通ると思うかい」
「思いません」
「では」
「でも、申請したことは記録に残ります」
俺は言った。
「申請書は受理された時点で綴じられます。却下されても、却下の理由と一緒に綴じられます。この四条は、通っても通らなくても、この建物の中に残る」
フェリクスは、しばらく黙っていた。
それから、笑った。今度は本当に、おかしそうに笑った。
「君は、あの人の言ったことを、そのまま使うんだね」
「はい」
「真実は、書き留められるまでただの噂だ、と」
「そうです」
俺は書類を揃えた。
「なら、書き留めます」
申請は、三日後に出した。
様式の新設申請は、上長を経由して局長に上がる。俺の上長はブルク老人で、彼は書類を受け取って、四条を読んだ。
読むのに、ずいぶん長くかかった。
彼は二十年ここにいて、番号を読み上げるとき以外は声を出さない男だ。俺は彼が何を考えているのか、一度も分かったことがない。
読み終わって、彼ははじめて俺に何か言った。
「アーレンス」
「はい」
「これは、何度も出したほうがいい」
彼は言った。
「一度で通ると思うな。却下されたら、日付を変えて、また出せ。出すたびに綴じられる」
俺は彼を見た。
「ブルクさん」
「二十年、燃やしてきた」
彼は言った。それだけ言って、書類を上の箱に入れた。
箱に入れる手が、少し止まった。止まって、また動いた。
それきり、彼はその日、一言も喋らなかった。
呼ばれたのは、六日後だった。
局長室は前と同じで、机が一つと、椅子が二つと、十冊しか入っていない棚。ミューレ侯爵夫人は、俺の申請書を机の上に置いていた。
彼女は俺が座るのを待って、言った。
「これを書いたのは、あなた?」
「はい」
「四条ね」
「はい」
彼女は申請書を持ち上げて、光にかざした。
「短いわ。よく書けている。無駄が無い」
彼女は紙を下ろした。
「三条が余計ね」
俺は動かなかった。
「一条と二条は、既存の照合業務の延長だから通ります。四条も、永年保存の指定は前例がある」
彼女は言った。
「でも三条。証言者氏名を付し、証言内容を付記する。これは記録局の仕事ではありません」
「では、誰の仕事ですか」
「誰の仕事でもないわ」
彼女は言った。
「この国には、燃えたものの中身を書き留める仕事は、存在しません」
俺は、そこで初めて、口を開いた。
「では、作ってください」
彼女の瞬きが、一度だけ、遅れた。




