レンドルフ
補給局次長レンドルフ伯爵を、俺は三日後に見た。
見ようとして見たのではない。廃棄の伝票を承認に回す途中、渡り廊下で、前から歩いてきた一団の中にいた。
背が低い。太ってもいない。四十代の後半で、髪をきれいに撫でつけて、外套の裾が汚れていない。
俺は壁際に寄って、道を空けた。この建物では、下士は道を空ける。
通り過ぎるとき、彼は俺を見た。
見て、足を止めた。
「君」
俺は姿勢を正した。
「第一収蔵付、アーレンス下士であります」
「アーレンス」
彼はその名前を、口の中で一度繰り返した。
俺は動かなかった。
この男は、俺の名前を知らないはずだった。ケーニヒの件で俺が送った書簡は匿名で、俺の名はどこにも出ていない。出ているのは、訂正記録と、報告書と、処分書と、異動願と、廃棄目録の四行だけだ。
どれも、伯爵が読む理由の無い紙だ。
「第四方面から来たな」
「はい」
俺は、そこで初めて、この男の顔をまともに見た。
血色がいい。歯が揃っている。爪が短く切り揃えてある。この国で四十代後半の男がこの状態でいるのは、それだけで何かを表している。
河のこちら側で腹を裂かれて金を運んでいた男たちと、この人は同じ王国にいる。
「兵站監が吊るされたところだ」
「そう聞いております」
「あれは、私が摘発した」
彼は言った。
「知っているかね」
「存じております」
「あの男は、小麦におがくずを混ぜていた」
彼は言った。少し顔をしかめた。
「兵が四人死んだ。四人だ。信じられるかね」
俺は答えなかった。
答えられなかった。この男は本気で言っている。四人が死んだことに、本気で顔をしかめている。
彼の名は、河を渡ってきた帳簿の受取欄に載っている。硝石と鉄が向こうへ行き、鉛が戻ってきた清算の記録に。
あれで死んだ人間の数を、この人はたぶん一度も数えていない。
数えていないから、四人に驚ける。
「ふむ」
彼はうなずいた。
満足そうな顔だった。本当に満足していた。この男は、自分が清廉な高官として評判を上げたことを、心から誇っている。
俺は、そこで一つ、理解した。
この男は、俺の名を知って足を止めたのではない。第四方面から来た人間を見て、自分の手柄の話をしたかっただけだ。
それだけの人間だ。
「精勤したまえ」
「はい」
彼は歩き去った。
随行の若い文官が二人、あとに続いた。そのうちの一人が、通り過ぎざまに俺を見た。
見ただけだ。何も言わなかった。
だが、その顔に見覚えがあった。
どこで見たかは、その場では分からなかった。分かったのは、その晩、宿で手帳を開いているときだ。
前線の司令部だ。
俺が謹慎処分を言い渡された部屋で、壁際に立っていた、外套の汚れていない中尉。
あの男が、今は伯爵の随行にいる。
俺は手帳に書いた。
『中尉。第四方面軍副参謀付。現・レンドルフ随行』
書いてから、その下に線を引いた。
三度目だ。
俺が謹慎を食らったのは、代印を引き出しから出させるためだった。あの部屋で判を押したのは少佐で、判に残っていた一番古い名前はヴィーラント大尉だった。
あの中尉は、その全部を見ている。
そして今、王都にいる。
翌日、俺はハイムを探した。
第三課の部屋にいて、机の前で書類を書いていた。俺が入っていくと、彼は顔も上げずに「立会人は今日は無い」と言った。
「別の用です」
「なんだ」
「レンドルフ伯爵は、この局に来ますか」
彼の羽根ペンが止まった。
「補給局は別の建物だ」
「では、なぜ渡り廊下にいたんですか」
ハイムは書類を伏せた。
「局長に会いに来た」
「頻度は」
「月に一度か、二度」
彼は言った。
「何年ですか」
「私が知る限り、十年以上」
俺は目を閉じた。
「ハイムさん。あなたが燃やした十九件のうち、レンドルフ伯爵の名が出てきたものはありますか」
彼は長いこと答えなかった。
「無い」
彼は言った。
「一度も無い。それが、私がいちばん気になっていることだ」
「気になる?」
「十二年、あの人はここに来ている」
ハイムは言った。
「来ているのに、燃やした紙に一度も名が無い。あれだけの数を燃やして、一度もだ。おかしいと思わないか」
「思います」
「私は三年目に、それが偶然ではないと思った」
彼は羽根ペンを置いた。
「燃やされているのは、あの人の名が載っている紙ではない。あの人の名が載っている紙を、探せなくするための紙だ」
俺は椅子に座った。座れとは言われていないが、座った。
「もう少し詳しく」
「異動先の空欄。受領先の空欄」
ハイムは指を二本立てた。
「あれは、消してあるのではない。最初から書いていない。つまり、あの紙は元々、何も証明しない紙だ」
「では、なぜ燃やすんですか」
「数えられるからだ」
彼は言った。
「中身が無くても、何人抜かれたかは数えられる。何斤運ばれたかは数えられる。数えて、月ごとに並べて、他の記録と突き合わせれば、そこに何かがあることは分かる」
「分かっても、誰がやったかは分からない」
「分からん」
彼は言った。
「だが、誰がやったかを調べる人間が出てくる。あの紙は、調べ始める理由になる」
俺は自分の手を見た。
俺がやったのは、まさにそれだ。空欄の異動記録から始めて、給養の実績と突き合わせて、河岸の六人に繋げて、舟を見つけた。
中身の無い紙が、俺を歩かせた。
「ハイムさん」
「なんだ」
「あなたは十二年、それを燃やしてきました」
「そうだ」
「燃やしても、また作られますよね。人は毎月抜かれてるんだから、記録は毎月できる」
「できる」
彼は言った。
「だから十二年、燃やし続けている。終わらん」
彼は書類を伏せたまま、机の木目を見ていた。
「終わらんのだ、アーレンス下士。私は十二年、蛇口を閉めずに、床を拭いている」




