六年
ニナに頼むのに、三日かかった。
三日かかったのは、頼み方を考えていたからだ。
この人が六年間覚えてきたものを吐き出させるというのは、簡単なことではない。ヨナス・キールにやったやり方は使えない。あれは相手の穴に付け込む方法で、この人にそれをやったら、俺は自分を許せなくなる。
結局、俺は普通に言った。
「ニナさん。覚えてることを、全部聞かせてもらえませんか」
彼女は灰を掻き出す手を止めた。
「全部?」
「全部です」
「六年ぶんよ」
「はい」
「何日かかると思ってるの」
「分かりません」
俺は言った。「毎晩でも来ます」
彼女は炉の縁に火掻き棒を立てかけた。
「何に使うの」
「書きます」
「書いて?」
「棚に入れます」
ニナは、しばらく俺を見ていた。片方の耳をこちらに向けたまま。
「入れられるの?」
「入れます」
「入れられないでしょう。あんた下士でしょ」
「入れます」
俺は言った。「方法は、まだ分かりません」
彼女は少し笑った。
「分からないのに、先に言うのね」
「先に言わないと、始まらないので」
「そうね」
彼女は言った。
「そう。じゃあ、いいわ」
その晩から、俺たちは毎夜、炉小屋に残った。
仕事が終わって、人が帰って、局の建物が暗くなってから、俺は裏手に回る。ニナが炉の残り火の前に座っていて、俺は台の上に紙を広げる。
紙は、支給されたものを使った。前線で藁の下に隠していたあの綴りではなく、記録局が事務用に配る質のいいやつだ。皮肉なことに、この局は紙だけは潤沢にある。
「いちばん古いのからでいい?」
「お願いします」
「六年前の冬」
彼女は目を閉じずに喋った。この人は思い出すときに目を閉じない。炉を見ている。
「二冊。第七方面軍の、装備の受払。受領先が空白。数量は覚えてない。品目は、鉄と、麻布」
俺は書いた。
「その次。半年後。同じ第七方面軍の、人員異動。異動先が空白。人数は、たぶん二十いくつ」
「名前は」
「覚えてない。名前は多すぎて無理」
彼女は言った。「番号は覚えてる」
俺は顔を上げた。
「番号を?」
「番号は短いから」
彼女は言った。「名前より覚えやすいの。だから、番号だけは全部覚えてる」
俺は羽根ペンを止めた。
番号があれば、廃棄目録と照合できる。廃棄目録は永年保存だ。彼女の記憶と、目録の行が、番号で繋がる。
繋がれば、それは「彼女が覚えている」という話ではなくなる。目録に載っている実在の行に、中身の証言が付く。
「ニナさん」
「なに」
「それ、すごいことです」
「そう?」
彼女は炉を見たまま言った。
「六年、誰にも言ってなかったから、すごいかどうか分からなかった」
十四夜かかった。
毎晩、二刻から三刻。彼女が思い出して、俺が書く。途中で何度か、順番が前後した。前後するたびに彼女が「違う、あれの前だった」と言って、俺は行を書き直した。
四夜目に、彼女は思い出せなくなった。
三年前の春の分で、二冊焼いたことは覚えているのに、品目が出てこない。半刻粘って、出てこなかった。彼女は火掻き棒を握って、炉の底を何度も叩いた。
「駄目だ」
「いいです。飛ばしましょう」
「駄目なの。私、覚えるためにやってるのに」
「ニナさん」
「六年やって、これよ」
彼女は言った。声が高くなっていた。
「六年、毎日、燃やす前に読んで、覚えて、それで、忘れてるの」
俺は羽根ペンを置いた。
「忘れて当たり前です」
「当たり前じゃない」
「当たり前です」
俺は言った。
「人の頭は、そういうふうに出来てません。俺は死んだ人の最後の一文を四百四十二人ぶん覚えてますが、あれは能力です。俺の頭が優秀なんじゃない」
彼女は火掻き棒を下ろした。
「あなたが六年で十九件覚えているのは、能力ではありません。全部、あなたが自分でやったことです」
ニナはしばらく炉を見ていた。
「……次、いい?」
「いいです」
「三年前の夏。二冊。第四方面軍の、糧食の受払。受領先が空白」
彼女は言った。それから、少しだけ笑った。
「思い出した。さっきのは、この次だった」
書き終わったものは、三十枚を超えた。
早い廃棄が、六年で十九件。品目と方面軍名と、おおよその年代。そして全部に番号がついている。
十九件のうち、十四件が第四方面軍だった。
リーゼ河の、俺がいた戦線だ。
残りの五件は、第七方面軍と、第二方面軍。どちらも別の国境で、別の敵と向き合っている。
俺はその五件を見て、しばらく考えた。
「ニナさん」
「なに」
「第七方面軍は、どこと戦ってますか」
「北でしょう。ハランの部族と」
「第二方面軍は」
「南。ネルヴァのほう」
彼女は言った。「戦争はしてないけど、兵は置いてる」
俺は三十枚の紙を揃えた。
揃えながら、手が少し震えた。寒いからではない。
リーゼ河だけの話ではない。
同じことが、北でも、南でも起きている。
三つの国境で、同じ形の記録が、同じやり方で消されている。
「アーレンスさん」
「はい」
「顔が白いけど」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃない顔よ、それは」
ハンナと同じことを言われた。
俺は紙を油紙に包んで、上着の内側に入れた。
「ニナさん。もう一つ、お願いがあります」
「なに」
「これを、もう一部、書いてもらえませんか」
彼女は炉から目を離した。
「私が?」
「あなたの字で。俺の字だと、二部とも俺が作ったことになります」
オズが地面に描いた絵を、俺は思い出していた。河の外側に、もう一つの丸。
「別々の人間が別々に書いたものが二つあると、片方を消しても、もう片方が残ります」
ニナはしばらく黙っていた。
「私、字が下手よ」
「読めればいいです」
「六年、名前書く以外に字を書いてない」
「じゃあ、練習してください」
俺は言った。
彼女は、少し笑った。
「あんた、そういうところあるわね」




