立会人
呼ばれたのは、十日後だった。
「アーレンスさん、ちょっといいですか」
ラウルが台車を押しながら言った。台車の上に、綴りが二冊だけ載っていた。
台車を使う量ではない。抱えれば運べる。それでも台車に載せてあるのは、そのほうが「いつもの仕事」に見えるからだと思う。誰がそう考えたのかは分からない。ラウルは何も考えていない。
「これ、今から焼くので、署名だけお願いします」
「二冊ですか」
「二冊です」
彼は伝票を差し出した。
俺は受け取って、番号を見た。
頭の二桁が九年前。次の一文字は、三十年保存を示すものだった。
「ラウルさん」
「はい」
「これ、年限が来てませんよね」
彼は伝票を覗き込んで、少し考えて、それから言った。
「あー、そういうのもあるんですよ」
「そういうの?」
「上から来るやつ。まとめて焼くのと別で、単発で。理由は書いてないですけど、まあ、あるんでしょうね」
彼は台車を押した。
「僕も最初は気にしてたんですけど、聞いても誰も知らないんで」
「ブルクさんは知ってますか」
「二十年いる人ですよ。知ってても言わないでしょ」
ラウルは笑った。
俺は伝票を持って、ついていった。
炉の前で、ニナが待っていた。彼女は俺を見て、それから台車を見て、何も言わなかった。
ラウルが綴りを持ち上げた。
「待ってください」
俺は言った。
「はい?」
「規則では、立会人は廃棄の事実を確認します」
「そうですね」
「事実を確認するには、何が廃棄されるかを見ないといけません」
ラウルは困った顔をした。
「見る規則は無いですよ」
「見るなという規則もありませんよね」
「……無いですね」
彼は綴りを台車に戻した。
「じゃあ、どうぞ」
俺は一冊目を開いた。
九年前の、第四方面軍の人員異動記録だった。
異動先の欄が、空白だった。
三十七人ぶん。名前と、所属と、異動年月日。異動先だけが白い。
俺は二冊目を開いた。
同じ年の給養実績。抜かれた三十七人ぶんの糧食が、抜かれたあとも支給済みとして計上されている。
俺は、その二冊を、しばらく見ていた。
名前を読んだ。三十七人ぶん。上から順に、全部。
半分ほど読んだところで、同じ姓が二つ並んでいるのに気づいた。年齢は書いていないが、所属が同じで、異動年月日も同じ日だ。兄弟か、父子か。
その次のページに、また同じ姓があった。今度は別の姓で、これも二人。
同じ日に、同じ部隊から、二人ずつ抜かれている組がいくつかある。
なぜかは分からなかった。分からないまま、俺は先を読んだ。
読むのに、四半刻ほどかかった。ラウルが途中で二度、咳払いをした。
名前は覚えられない。三十七人は多すぎる。俺の頭にはもう四百四十二人が住んでいて、そこに三十七を足す余裕は無い。
だから俺は、覚えるのをやめた。
代わりに、最初の一人と、最後の一人の名前だけを覚えた。それと、番号を。それと、同じ姓が並んでいたことを。
「終わりました」
俺は言った。
「じゃあ、焼きますね」
ニナが炉の蓋を開けた。
ラウルが二冊を放り込んだ。彼は炉の前に立たなかった。放り込んで、すぐ台車のほうへ戻った。
俺は立った。
紙がめくれて、赤くなって、崩れた。名前の並んだページが、一枚ずつ、白くなって落ちた。
燃えるのに、思っていたより時間がかかった。
途中で、一枚だけ、めくれた縁が平らになった瞬間があった。
字が見えた。読めなかった。読める距離ではないし、読めても意味は無い。
それでも俺は、そこを見ていた。
最後の一枚が崩れてから、俺は伝票に署名した。
ユール・アーレンス、と読める文字で書いた。
署名しながら、俺は自分がやったことを整理していた。
俺は今、三十七人が消されるのを見て、それを認めた。認めたと書類に残した。俺が署名しなければ、ラウルは廊下で別の誰かを捕まえて、その誰かが署名して、同じことが起きた。違うのは、その誰かは中身を見ないという点だけだ。
つまり、俺がやったのは、結果を何も変えずに、自分を汚しただけだ。
それは分かっている。
分かったうえで、俺は次も引き受けるつもりだった。
その晩、俺は廃棄目録の書き込みを自分でやった。
番号、年限、廃棄年月日、立会人の署名。
立会人の欄に、自分の名前を書いた。
そして、翌週も、その次も、俺は同じ仕事を引き受けた。
ラウルは喜んだ。彼は署名をもらいに廊下を歩き回るのが面倒だったし、俺がやると言えば断る理由が無い。老人は何も言わなかった。運搬係は俺の名前を覚えていない。
三月のうちに、俺は四回、早い廃棄の立会人になった。
四回とも、俺は開いて、読んで、最初と最後の名前を覚えて、番号を控えて、それから署名した。
三回目のとき、ラウルが「アーレンスさん、毎回読みますね」と言った。俺が「規則なので」と答えると、彼は「まあ、真面目な人はいますよね」と言って、それきり何も言わなかった。
四回目のとき、ブルク老人が俺を見た。
二十年ここにいる男が、はじめて俺の顔を見た。見て、何も言わずに、また番号を読み上げる作業に戻った。
あの目が何だったのかは、分からない。
廃棄目録に、俺の名前が四つ並んだ。
年限の合わない四行に、同じ署名が入った。
これは、証拠にはならない。俺は何も止めていない。四十件近い記録が、俺の目の前で、俺の署名つきで燃えた。
だが、いつか誰かが廃棄目録を照合したとき、合わない行に一つの名前が並んでいるのを見る。
ヴィッテが俺の署名を三つの棚に入れたのと、同じことだ。
俺は自分の名前を、消えないところに積んでいる。
積みながら、時々、あの少佐の判の押し癖を思い出す。手首が左に落ちる癖を。
癖は残る。意図して残したものより、癖のほうがよく残る。
だから俺は、毎回、同じ位置に、同じ大きさで署名した。




