↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死体の声しか聞こえないハズレスキル【遺言】で、俺は戦場の掃除係に落とされた 〜死んだ兵士は嘘をつかない。  作者: 音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/60

埋葬簿

フェリクスが宿に来たのは、その翌々日だった。

 三日に一度は顔を出す男が、その週は来ていなかった。来たとき、彼は左の頬に痣を作っていた。

「転んだ」

「聞いてない」

「聞かれる前に言ったほうがいいと思ってね」

 彼は椅子に座って、袖口を直した。相変わらず爪は手入れしてある。

「フェリクス」

「なんだい」

「どこに泊まってる」

「知人のところだ」

「その知人に殴られたのか」

「知人はそんなことをしない」

 彼は言った。「知人の上役がした」

 俺は待った。

 この男は、待てば喋る。喋らないでいるのが下手な人間だ。

「埋葬簿を見ようとしている」

 フェリクスは言った。

「本院の地下に、大陸中の埋葬簿が集まっている。各地の教区から毎年送られてくる。私はそこで六年、写しを取る仕事をしていた。だから場所も、並びも、知っている」

「入れないのか」

「入れない。籍が凍結されている」

 彼は指を組んだ。

「破門の可否は、まだ決まっていない。決まっていないので、私は教会の人間でもないし、教会の人間でなくもない。中途半端な状態の人間には、鍵が渡らない」

「二年、決まってないんですか」

「決めないのが処分なんだよ」

 フェリクスは言った。

「破門にすれば、私は自由になる。教会の外の人間になって、好きなことを言える。籍を戻せば、私は内側の人間になって、規則に縛られる。どちらでもない状態にしておけば、私は何もできないまま、待ち続ける」

 彼は袖を直した。

「上手いやり方だ。感心する」

「知人というのは」

「同期だ」

 彼は言った。「六年、同じ机で写しを取った男でね。彼が寝床を貸してくれている」

「その上役が、殴った」

「私が地下に降りようとしたからだ」

 フェリクスは、そこで少し笑った。ひどい笑い方だった。

「殴られたのは、実はどうでもいい。前線で二年、私は毎日、死体を運ぶ手伝いをしていた。頬を打たれるくらい、なんでもない」

「じゃあ何が問題ですか」

「そのあと言われたことだ」

「なんて」

「戻ってきていい、と言われた」

 彼は言った。

「破門は取り下げる。籍も戻す。前線での二年も、記録から消してやる。ただし、埋葬のことは二度と口にするな、と」

「消してやる、というのは」

「そのままの意味だ」

 フェリクスは言った。

「私が前線にいた二年間を、無かったことにする。療養扱いにするそうだ。書類の上で、私はこの二年、王都の南の療養院にいたことになる」

 彼は自分の手を見た。爪は手入れしてあるが、指の甲に細かい傷が残っている。前線で二年、死体を運んだ手だ。

「悪い話ではないんだよ」

 彼は言った。

「本当に、悪い話ではない。籍が戻れば、私は【聖句】を使える場所に戻る。二等の治癒を、必要な人間に使える。前線では、腐りかけた傷に三度使って、それでも助からなかった」

「キリアンさんですね」

「あれは私のせいではない。土で殺されたんだからな」

 彼は言った。「それでも、王都の病院にいれば、あの三度で三人助けられた」

 俺は何も言わなかった。

 言うことは無かった。この男が何を選ぶかは、この男が決めることだ。

「君は何も言わないんだね」

「言うことがないので」

「止めないのか」

「止めても意味がないです」

 俺は言った。

「あなたが戻るなら戻るし、戻らないなら戻らない。俺が何か言ったら、あなたはそれを理由にする。理由にすると、あとで俺のせいにできる」

 フェリクスは、しばらく俺を見ていた。

 それから、大きく息を吐いた。

「君は本当に、人を材料としてしか見ないな」

「はい」

「そこがいい」

 彼は立ち上がった。

「同期の名はヴェルナーという。彼は明日から三日、本院を留守にする。地方の教区に写しを届けに行くんだ。鍵は彼が持っていく」

「じゃあ入れないでしょう」

「彼は、鍵を置いていくと言った」

 俺は顔を上げた。

「彼は何も知らない。私が何を探しているかも聞いていない。ただ、私が二年前に何をして前線に送られたかは知っている」

 フェリクスは扉のところで止まった。

「八つの子だ、と言ったろう。洗濯婦の子で、神授を受ける前に死んだ」

「はい」

「あの子を私のところへ連れてきたのは、ヴェルナーだ」

 彼は言った。

「彼が連れてきて、私が葬った。私は前線に行って、彼は残った。彼はそれからずっと、同じ机で写しを取っている」

 扉が閉まった。

 俺はしばらく座っていた。

 この街に来てから、俺は同じ形のものを何度も見ている。ヴィッテが四年間棚を間違えていること。ゾンマーが六年間控えを取っていたこと。ニナが六年間、燃やす前に読んでいること。ヴェルナーが二年間、鍵を持ったまま同じ机にいること。

 誰も、止めていない。

 誰も、諦めてもいない。

 全員が、自分にできるいちばん小さいことを、誰にも言わずにやっている。そしてそれは、一つずつでは何の役にも立っていない。

 役に立たないまま、何年も続いている。

 前世で、俺は同じものを見ていた。

 事故が起きた工場には、必ず、前から危ないと言っていた人間がいた。日誌の隅に書いていた人間、口頭で上に言った人間、図面に赤を入れた人間。全員が別々に、誰にも聞かれずにやっていた。事故のあとで調べると、必ず出てくる。

 出てくるが、遅い。

 あれを繋げるのが俺の仕事のはずだった。繋げて、一本にして、報告書にする。俺は一度もそれを間に合わせられなかった。間に合わなかったから、書いても握り潰された。

 握り潰されたのは、遅かったからだ。

 俺は手帳を開いて、四つ並べて書いた。

 ヴィッテ。ゾンマー。ニナ。ヴェルナー。

 書いてから、五つ目に自分の名前を書いた。

 六つ目の欄を空けた。

 埋葬の穴の、数字が読めなくなった杭のことを考えていた。あの杭を立てたのは誰かで、その誰かも、たぶん、自分にできるいちばん小さいことをしたつもりだったのだと思う。名前は書けないが、杭は立てた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。