見ている人
俺はそれから、燃やし小屋に通うようになった。
通うといっても、用があるわけではない。昼飯を早めに切り上げて、裏手に回って、少し座って、戻る。ニナは俺が来ても何も言わないし、来なくても何も言わない。
二度目に行ったとき、彼女は炉の火加減の話をした。乾いた紙と湿った紙では焼き方が違う。冬に運ばれてくる綴りは、収蔵室の壁際にあったものが多くて、湿っている。湿ったものを一度に入れると煙が出て、煙突が詰まる。だから冬は量を減らす。
「減らしたぶんは、どうなるんですか」
「翌日に回る」
「間に合わないときは」
「間に合わないことは無い」
彼女は言った。「増えたら、私が遅くまで焼くだけだから」
三度目に、彼女は椅子を一つ出してくれた。
四度目に、水を出してくれた。
五度目に、彼女は言った。
「今日、来る」
俺は顔を上げた。
「早いやつが?」
「昨日、伝票が回ってきた。番号が飛んでる」
彼女は炉の前の壁に貼った紙を指した。廃棄予定の一覧だ。
「ここ。この番号だけ、前後と桁が違う」
俺はその番号を見た。
頭の二桁が十一年前。次の一文字は、三十年保存を示すものだった。
「何時ですか」
「夕方。いつも人が減ってから」
「見ていていいですか」
「駄目」
彼女は即答した。
「見られたら私が困る」
「そうですね」
「だから、外にいて」
彼女は炉の裏手を指した。
「あそこに薪が積んである。薪の裏は、こっちからは見えないの。私が六年かけて調べた」
俺は日が傾いてから、薪の裏に入った。
石壁と薪の間は狭くて、しゃがむと膝が胸につく。目の高さに、薪の隙間があった。そこから小屋の入口が見える。
待つのは慣れている。前線で、死体が運ばれてくるのを待つ時間のほうがずっと長かった。あれに比べれば、石壁にもたれて座っているだけの待機は楽なほうだ。
ただ、寒かった。
王都の冬は前線より暖かいはずだが、石は冷える。俺は膝を抱えて、河岸で葦を掻き分けた四日間のことを考えていた。あのときはダグが裸足で泥に入っていた。今ごろ、あの男は同じ河岸で誰かを埋めている。
半刻ほどして、足音がした。
一人。抱えている。
男だった。四十くらいで、上等な外套を着ている。文官の格好だが、袖に泥がついていた。この街で袖に泥をつけている文官は珍しい。この街の泥は、馬車に乗らない人間の足につく。
彼は綴りを二冊、脇に抱えていた。
小屋に入って、ニナに何か言った。声は聞こえない。ニナが炉の蓋を開けて、彼は綴りを自分で放り込んだ。運搬係に渡さずに、自分で入れた。
それから、炉の前に立った。
立って、動かなかった。
紙が燃えるのには時間がかかる。綴じた紙は、外側が焼けても中が残る。ニナが火掻き棒で崩して、崩したところがまた燃える。それを繰り返す。
男は、その全部を見ていた。
途中で一度、手を動かした。上着の内側に入れて、何かを確かめて、また下ろした。それだけだ。
半刻近く、立っていた。
最後にニナが何か言って、彼はうなずいて、小屋を出た。出るとき、彼は一度だけ、周囲を見回した。
その顔が、薪の隙間から見えた。
知らない顔だった。
髪が薄い。頬がこけている。目つきが悪いわけではないが、眠っていない人間の目だった。ゾンマー次席と同じ種類の目だ。何かを長く抱えている人間は、みんな同じ目になる。
俺はしばらく動かずにいて、足音が完全に消えてから、外に出た。
小屋に戻ると、ニナが炉の前に座っていた。灰を掻き出しているところだった。
「見た?」
「見ました」
「誰か分かった?」
「分かりません」
「そう」
彼女は灰を桶に移した。
「私も知らない。三年で、五回来てる。名乗ったことは一度もない」
「伝票に名前は」
「代印」
俺は目を閉じた。
この国はどこまで行っても代印だ。名前を書かないための道具が、前線から王都まで同じ形で通っている。
「アーレンスさん」
「はい」
「一つ、言ってなかったことがある」
ニナは灰の桶を置いた。
「私、燃やす前に、読んでるの」
俺は顔を上げた。
「全部じゃない。読めるのは、燃やすまでの時間だけ。台車で来る何百冊は無理よ。でも、一人で持ってきて、二冊だけ、っていうのは」
彼女は自分のこめかみを指した。
「読める」
「覚えてるんですか」
「覚えてる」
彼女は言った。
「六年ぶん、全部じゃないけど、早いやつは覚えてる。だって、誰かが慌てて燃やしに来た紙でしょう。慌てるだけの中身があったってことでしょう」
彼女は俺を見た。片方の耳をこちらに向けて。
「誰にも言ってない。言う相手がいなかったから」
俺は、しばらく声が出なかった。
この人は六年間、記録局が消したものを、頭の中に置いていた。棚にも、目録にも、どこにも残らないものを。
ゲルダが言っていた。無授の死は届出義務がないから、王都では毎日、誰かが記録されずに死んでいる。
紙も同じだ。記録されずに消える紙がある。
そして、それを見た人間が一人だけいて、六年間、誰にも聞かれなかった。
「ニナさん」
「ニナでいい」
「なぜ、俺に言うんですか」
彼女は灰を掻き出す手を止めなかった。
「あんたが聞いたから」
「それだけですか」
「それだけよ」
彼女は言った。
「六年、誰も聞かなかった。ヨルクさんっていう人、知ってる? あの人、私の名前も知らないと思う。三年隣の建物で働いてるのに」
彼女は桶に灰を移した。
「聞かれたら答えるつもりだった。ずっとそう思ってた。それだけの話」
「今日の二冊、覚えてますか」
「覚えてる」
彼女は言った。
「片方は人員の異動記録。十一年前の。異動先の欄が、全部空白だった」
俺は息を止めた。
「もう片方は」
「給養の実績。同じ年の」
ニナは灰を掃きながら言った。
「たぶん、抜かれた人たちの飯の記録ね」




