保存年限
最初の十日で、俺は何も見つけなかった。
やったのは、綴りを読んで、番号を確かめて、棚に戻すこと。それだけだ。朝から夕方まで、それだけをやる。慣れると、一冊あたりにかける時間が短くなって、短くなったぶん量が増える。増えたぶん、疲れる。
三日目に、指を切った。紙の縁で。血が出るほどではないが、そこから先、綴りをめくるたびに沁みた。ヨルクが「そのうち指の皮が厚くなります」と言った。実際、七日目には切れなくなった。
六日目に、俺は自分が棚の位置を体で覚え始めていることに気づいた。番号を見て、考える前に足が動く。二列目の右、下から三段目。それが十日で身についた。
八日目に、俺は同じ綴りを二度戻した。一度目に戻した場所を忘れて、また持ってきて、また戻した。誰も気づかなかった。俺も、翌日になるまで気づかなかった。
十一日目に、俺は自分が中身を読まなくなっていることに気づいた。
番号だけを見ている。表紙の右上にある番号と、棚の札の番号を合わせる。中身は関係ない。関係ないほうが速い。
ゾンマー次席が「四年目に、自分が何を書いたか覚えていないことに気づいた」と言っていた。あれが何なのか、俺は十一日で分かった。
四年ではない。十一日だ。
それが分かった日の夕方、俺は初めて、綴りを一冊、最後まで読んだ。
選んだ理由は特にない。手に取ったのがそれだったからだ。ある地方の徴税記録で、六年前のものだった。内容はどうでもよかった。
最後のページに、赤い印が押してあった。
『保存年限 十年』
俺は手を止めた。
翌日から、俺は赤い印を探し始めた。
全部の綴りに押してある。年限は書類の種類ごとに決まっていて、三年、五年、十年、三十年、永年の五種類がある。年限が過ぎた綴りは廃棄される。
廃棄というのは、燃やすということだ。
俺は棚の番号の意味を、そこでようやく理解した。
番号の頭の二桁は年で、次の一文字が年限を表している。棚は年限ごとに分かれていて、年限の短い棚は入口に近い。近いのは、出しやすいからだ。毎年、期限の来た棚から順に、綴りが運び出されていく。
三日かけて、俺は棚の配置を見て回った。
入口に近いほうから、三年、五年、十年。奥へ行くほど年限が長くなる。いちばん奥の壁が永年保存で、そこだけ埃の積もり方が違った。誰も出し入れしないからだ。
そして、入口のいちばん近くの棚は、いつも半分空いている。
空いているのは、そこから運び出されたばかりだからだ。空いた棚には、来年また新しい綴りが入る。入って、三年経てば出ていく。
この建物は、保管しているのではない。
順番に捨てるために、順番に並べている。
俺はそれに気づいた日、棚と棚の間に立って、しばらく動けなかった。
あの巨大な収蔵室は、記録を守る場所ではない。記録を、決められた順番で確実に消していくための装置だ。何十万冊が整然と並んでいるのは、どれをいつ燃やすかを間違えないためだ。
誰も悪意でやっていない。全部が正しく回っている。正しく回っているから、十年経てば消える。
その週の終わりに、俺はヴィッテ書記官に手紙を書いた。前線から王都へは、軍の定期便で十日ほどかかる。返事が来るまで二十日以上ある。それでも書いた。
書いたのは一行だけだ。
『廃棄目録は、どこにありますか』
返事を待つあいだに、俺は自分で探した。
答えは、案内してくれたあの書記官が知っていた。名前をヨルクといって、この局に四年いる。昼飯を一緒に食うようになっていた。
「廃棄目録ですか」
彼は麦のスープに口をつけながら言った。
「第一収蔵の、いちばん奥です。あれは永年保存なので」
「永年」
「燃やしたという記録は残さないといけませんから」
彼は当たり前のことを言うように言った。
「何を燃やしたかが分からないと、無いものを探して人が何日も無駄にします。あれは効率のための帳面ですよ」
俺はスープを飲んだ。味がしなかった。
ヴィーラント大尉が言ったことが、そのまま形になっていた。あそこの引き出しは、燃やしても消えない。燃えたという記録が残るからだ。
「ヨルクさん」
「はい」
「廃棄目録は、閲覧できますか」
「できますよ。許可が要りますが」
彼は言った。
「誰も見ませんけどね。あれ、ただの一覧です。番号と、年限と、廃棄年月日と、立会人の署名。中身は書いてありません」
「中身は書いてないんですか」
「書いてあったら、廃棄する意味がないでしょう」
彼は笑って、スープの残りを飲んだ。
「ヨルクさん。燃やすのは、誰がやるんですか」
「炉番がいます。西の裏手の小屋で」
「会ったことは」
「無いですね」
彼は考えるように上を見た。
「六年くらい前に、炉が破裂して人が死んだって話は聞きました。それ以来、みんなあっちには近づかないですね。縁起が悪いって」
俺は自分のスープの器を置いた。
「縁起、ですか」
「まあ、そういうものですよ」
ヨルクは肩をすくめた。悪気は無い。この男は本当に悪気が無い。それがいちばん厄介だ。
その晩、俺は宿に戻って、手帳を開いた。
誰にも読めない文字で、俺は自分の考えを整理した。
廃棄目録には、番号と日付と署名しか無い。中身は無い。だから、燃えたものが何だったかは分からない。
分からないが、番号は分かる。
番号の頭二桁は年、次の一文字は年限。つまり、番号を見れば、その綴りが「いつ作られて、何年保存される種類のものだったか」が分かる。
ということは。
俺は手を止めた。
保存年限が来る前に燃やされたものがあれば、それは番号と廃棄年月日を突き合わせるだけで、見つかる。
三十年保存の番号が、六年で燃やされていれば、そこに何かがある。
俺は手帳に書いた。
『廃棄目録を、番号と日付で照合する。合わない行を探す』
書いてから、自分の手が少し震えているのに気づいた。
寒いからだ、と最初は思った。宿の部屋には火が無い。
だが違った。
これは、前世で報告書の最後の一行を書く直前に、いつも起きたやつだ。




