誰が行くか
王都行きの手配は、ヴィッテがやった。
記録局の増員募集に応じる形で、必要な書類は五枚だった。彼女はそれを一晩で揃えて、翌朝、俺の前に置いた。
「署名だけしてください」
「早いですね」
「三日前から書いていました」
彼女は淡々と言った。
俺は署名した。
署名しながら、これで俺の名前がまた記録に載るなと思った。訂正記録に一度、報告書に三箇所、処分書に一度、そして今度は異動願に。ヴィーラント大尉が言ったとおりになっている。名前は積み上がっていく。
「一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「あなたと大尉は、話し合ってましたか」
ヴィッテは羽根ペンを拭いていた。手を止めなかった。
「一度も話していません」
「じゃあ、なぜ同じことを言うんですか」
「同じ棚を見ているからです」
彼女は言った。
「あの人はこの方面の紙を十四年見ています。私は四年です。同じ棚を長く見ていると、同じ場所に穴が空いているのが分かるようになります。それだけです」
「穴は、どこにありますか」
「王都です」
彼女は羽根ペンを置いた。
「ここで何を集めても、上に出せば消えます。消える場所に届く前に、消えない場所に置かないといけない。消えない場所は、王都の記録局の中にしかありません」
俺はうなずいて、書類を渡した。
彼女はそれを受け取って、束にして、そして、少し手を止めた。
「アーレンス伍長」
「はい」
「一人で行きますか」
俺は答えなかった。
その問いは、前の晩からずっと、俺の中にあった。
石の小屋に戻ると、全員が待っていた。
誰も何も言わずに待っていて、俺が入っていくと、ハンナが顎で床を示した。座れ、という意味だ。俺は座った。
「決めたぞ」
彼女は言った。
「勝手に決めた。文句は聞かねえ」
「はい」
「ミアが行く」
俺は顔を上げた。
ミアも顔を上げた。この子が、いちばん驚いた顔をしていた。
「軍曹」
「聞け」
ハンナは言った。
「お前の力は王都じゃ使えねえ。死体が無えからだ。だがミアの力は、王都のほうがよく効く。あそこは物だらけだ。書類も判も箱も棚も、全部、誰かが触ってる」
彼女は指を折った。
「ミアが行けば、お前は目を持っていける」
「危険です」
「危険だよ」
彼女は言った。
「だからお前が守れ。守れねえなら連れてくな。守れるなら連れてけ」
ミアは自分の手を見ていた。
両手を膝の上で握って、開いて、また握った。彼女はいつも、大事なことを言う前にそうする。
「行く」
彼女は言った。
「行くよ、わたし」
「ミア」
「ユール、あのね」
彼女は俺を見た。
「わたし、母さんが死んだとき、名前しか残らなかったの。洗濯物の札に書いてある名前。あれ、母さんの字なんだ。母さんが自分で書いたやつ」
彼女は指を組んだ。
「あれが無かったら、母さんがいたって、誰も分からなかった」
誰も何も言わなかった。
「だから、行く」
ゲルダは、来ないことになった。
彼女は無授で、王都に入るには保証人が要る。前線にいるあいだは軍が保証しているが、離れると切れる。フェリクスが自分が保証すると言い出して、教会籍がまだ生きているかどうかで揉めて、結局その場では結論が出なかった。
その夜、俺は樽のところに行った。彼女はいつもそこにいる。
「先生」
「言わなくていいわ」
彼女は器具を布に並べていた。一本ずつ、順番を決めて置いていく、いつもの手つきで。
「腹が立たないんですか」
「立つわよ」
ゲルダは言った。
「十九年立ってる。十九年立ち続けると、立っているのが普通になるの。あなたが謝ると、私はそれを珍しいことみたいに扱わないといけなくなる。面倒だからやめて」
「分かりました」
「それでいい」
彼女は器具を巻いて、腰に戻した。
「一つだけ頼みがあるわ」
「なんですか」
「王都の下町で、記録されずに死んでる人がどれくらいいるか、調べてきて」
彼女は言った。
「数だけでいいの。何人いるか。誰も数えたことがないはずだから」
ダグは残る。彼はここに来て一言だけ言った。
「墓が要る」
それだけだった。ハンナが「そうだな」と言って、話は終わった。誰かが残って埋め続けなければ、この前線の死体は数えられなくなる。
フェリクスは、王都に行くと言った。破門されるかどうかの返事が、まだ来ていないからだ。来ていない返事を待つより、直接聞きに行ったほうが早いと彼は言った。それは嘘だと全員が思ったが、誰も指摘しなかった。
ハンナも残る。
彼女は当然のようにそう言って、誰も驚かなかった。分隊長がいなくなれば分隊が消える。分隊が消えれば、この前線で死体を数える人間がいなくなる。
「アーレンス」
出発の前の晩、彼女は俺に火口箱を投げて寄越した。真鍮の、へこんだ古い箱だ。彼女が十一年使ってきたものだ。
「軍曹、これは」
「持ってけ」
「吸いませんけど」
「知ってるよ」
彼女は言った。
「王都で誰かが火を借りに来たら、貸してやれ。それだけの話だ」
出発は、六日後になった。
その前夜、俺は東の斜面に登った。
埋めた穴が並んでいる。掘り返して、また埋めた穴だ。木札が並んでいて、そのうちの六本には「不明」と書いてある。一本だけ、上から線を引いて「ヨーゼフ」と書き足してある。
オズが、そこにいた。
鋤を杖のようにして立っていて、俺が登ってきたのを見ても、動かなかった。
「オズ」
彼は俺を見た。
「あの包み、まだ持ってるか」
彼はうなずいた。
「王都に持っていったほうがいいと思うか」
オズはしばらく動かなかった。
それから、首を横に振った。
俺は少し驚いた。この男が意思表示をするのを、俺は数えるほどしか見ていない。
「ここに置いておけってことか」
うなずいた。
「なぜだ」
彼は答えなかった。答えられないからだ。
その代わり、鋤の先で、地面に何かを描いた。
二本の線を引いて、その間に丸を一つ描いた。しばらく見ていて、俺はそれが河だと気づいた。二本の線が両岸で、丸が舟だ。
それから、彼は片方の線の外側に、丸をもう一つ描いた。
俺は、その意味が分かるまでに、少しかかった。
「……写しを、もう一つ作れってことか」
オズはうなずいた。
それから、鋤を持ち上げて、描いた絵を土ごと削り取って、平らにならした。




