帳簿
油紙の中身は、帳簿だった。
厚い紙の束を糸で綴じたもので、表紙は無い。開くと、縦に線が引かれていて、日付と、品名と、数量と、名前が並んでいた。
ネルヴァ商業同盟の書式だった。
ゲルダが商会の支払い記録を見せてくれたときと、同じ形をしている。商人の帳面は、どこの国のものでも、たいてい同じ形をしている。金を数えるという行為には、あまり文化の違いがないらしい。
フェリクスが読み上げた。
小麦。大麦。塩。硝石。鉄。麻布。
どれも、うちからキルシュへ流れている。
硝石のところで、ハンナが「待て」と言った。
「硝石は火薬だぞ」
「そうだね」
「うちの硝石を向こうに売って、それで作った火薬でうちが撃たれてんのか」
「そう読めるね」
フェリクスは淡々と読み続けた。彼が淡々としているときは、たいてい、動揺している。
そして、キルシュからうちへ流れているものが、その下に並んでいた。
馬。石炭。羊毛。そして、鉛。
「弾だ」
ダグが言った。
彼は帳簿を覗き込んでいなかった。少し離れた壁際に座って、指の無い左手を膝に置いて、聞いていただけだ。
「鉛は弾になる。うちの前線で使ってる弾は、南から来てる。南から来てるってことは、ネルヴァが売ってる」
「キルシュの鉛を、ネルヴァが買って、うちに売ってるのか」
ハンナが言った。
「そういうことになりますね」
俺は帳簿をめくった。
「つまり、うちの兵はキルシュの鉛で撃たれて、キルシュの兵はうちの小麦を食ってます。両方の代金を、ネルヴァが受け取ってる」
小屋の中が静かになった。
薪が音を立てた。ミアが両手で膝を抱えて、その音を聞いていた。
しばらくして、彼女が小さい声で言った。
「じゃあ、あの薬莢も」
俺は顔を上げた。
「削ってあったやつ。あれ、王都で作ったんでしょ。王都で作ったのに、鉛は向こうのなんだよね。向こうのなんだよね」
「たぶんな」
「じゃあ、あの六人の人たちは」
彼女はそこで止まった。
止まって、それ以上言わなかった。言わなくても、全員が同じことを考えていた。あの六人は、自分たちが運んだ金で買われた鉛で撃たれたのかもしれない。
帳簿の最後の数枚に、清算の記録があった。
双方の差額を、誰が、いつ、どこで受け取るか。受取人の欄には名前が並んでいて、キルシュ側の名前は俺には読めない。読めないが、こちら側の名前は読める。
欄は二列に分かれていた。左が受け取る側、右が渡す側。渡す側は全部、ネルヴァの商会名だ。同じ商会が三つ、順番に出てくる。
受け取る側に、王国の名前が四つあった。
三つは知らない名前だった。文官の肩書きがついている。
四つ目を見たところで、俺は手を止めた。
「軍曹」
「なんだ」
「レンドルフです」
ハンナが顔を上げた。
補給局次長レンドルフ伯爵。ケーニヒが毎月、抜いた金の四割を送っていた男。俺が匿名の書簡を送って、清廉な高官として評判を上げさせた男だ。
「あいつか」
「あいつです」
「お前が、上げてやったやつだな」
「はい」
俺は自分の声が平坦なのを聞いていた。
あのとき、俺はうまくやったと思っていた。ケーニヒを吊るすのに、上役の保身を使った。金貨二枚半のために伯爵位を賭けるやつはいない、と俺は言った。計算は合っていた。
合っていたが、俺は伯爵を、より大きい取引の側から見ていなかった。
あの男にとって、ケーニヒの月々の上納は端金だったのだ。端金だから、切り捨てるのに躊躇がなかった。俺はそれを「保身」だと思ったが、あれは保身ですらない。掃除だ。
俺が匿名の書簡で頼んだ掃除を、あの男は喜んでやった。
「アーレンス」
「はい」
「顔色が悪いぞ」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃねえ顔だよ、それは」
俺は帳簿を閉じた。閉じてから、また開いた。
日付を確かめたかった。
いちばん古い記録は、この帳簿の最初のページにある。だが、これは今月の分だ。毎月、新しい帳簿が渡される。この一冊には一月ぶんしか入っていない。
それでも、一つだけ分かることがあった。
小麦の数量が、月ごとに書かれた累計欄に載っている。累計は、この一月で始まったものではない。
俺はその数字を見て、しばらく動けなかった。
「フェリクス」
「なんだい」
「この累計を、月あたりの数量で割ってくれ」
彼は少し考えて、指を折って、それから顔を上げた。
「割り切れないが、おおよそだ。……百三十を超える」
「月だな」
「月だ」
俺は帳簿を置いた。
百三十月。十一年だ。
この取引は、この戦争と同じだけ続いている。
いや、と俺は思い直した。同じだけではない。累計欄が始まっているということは、その前から続いていた可能性もある。この帳簿には、始まりが書いていない。
「軍曹」
「言うな」
ハンナが言った。声が低かった。
「言うなよ」
「言います」
俺は言った。
「この河が十一年渡れないのは、渡れないんじゃなくて、渡らせないからです。線が動いたら、この取引が崩れる」
彼女は立ち上がって、壁を蹴った。
石の壁なので、蹴っても音がしただけだった。彼女はもう一度蹴って、それから、壁に額をつけて、そのままでいた。
「十一年だぞ」
彼女は言った。
「十一年、俺は死体を数えてきた。二千は超えてる。あいつら全員、動かねえ線を動かそうとして死んだんだ」
誰も何も言わなかった。
フェリクスが帳簿を閉じて、両手を膝に置いた。彼はしばらく何か言おうとして、やめた。この男が言葉を探して見つけられないのを、俺は初めて見た。
ゲルダが立って、ハンナの背中に手を置いた。ハンナはそれを払わなかった。
俺は火を見ていた。
前世で、俺は同じ形のものを見たことがある。事故が繰り返される現場には、たいてい、事故が起きたほうが都合のいい人間がいた。修理よりも補償のほうが安い、という計算をした人間が。あのときは金額の話だった。今は、十一年と二千人の話をしている。
規模が違うだけで、形は同じだ。
形が同じなら、崩し方も同じはずだった。
しばらくしてから、ハンナは振り返って、俺を見た。
目が赤かった。
「アーレンス」
「はい」
「王都に行け」
彼女は言った。
「反対してたのは撤回する。行け。今すぐ行け」




