葦の舟
舟を探すのに、四日かかった。
河岸の葦原は思っていたより広くて、しかも毎日形が変わる。水位が上がれば葦が倒れ、下がれば泥が出る。俺たちは回収の仕事をしながら、少しずつ範囲を潰していった。
葦原に入ると、まず自分の背丈より高い茎に囲まれて、方角が分からなくなる。上を見ても空しか見えない。前に進んでいるつもりで、二十歩で自分の足跡に戻っていたことが二度あった。
ハンナは葦の束を折って目印にすることを思いついたが、翌日行くと風で倒れていて、どれが目印か分からなくなった。三日目からは、ミアが自分の靴下をほどいた糸を茎に結んで回った。あの子の靴下だから、糸に彼女の名前が残る。触れば分かるから、他人が結んだ目印と混ざらない。
その手があるかと全員が言って、ミアは得意そうにしていた。それから、靴下がなくなったと気づいて、少ししょんぼりしていた。
泥は膝まである場所と、腰まである場所がある。腰まで入ると、抜くときに長靴が持っていかれる。ダグは裸足で入っていた。彼は泥の中に鉄の破片が沈んでいることを知っていて、それでも裸足のほうが速いと言った。実際、速かった。
三日目の夕方、俺たちは何も見つけないまま上がって、全員泥だらけで、誰も口をきかなかった。ゲルダが小屋の外に湯を沸かしておいてくれていて、それを見た瞬間にミアが泣きそうな顔をした。
見つけたのは、四日目のダグだった。
彼は葦を掻き分けて進んでいて、ある場所で足を止めて、しゃがんで、泥に手を突っ込んだ。しばらくして、手を抜いて、言った。
「重い」
「何がですか」
「泥の下。動かない」
掘り返すのに、四人がかりで一刻かかった。
泥は掻いても掻いても水と一緒に戻ってくる。ハンナが上流側に葦の束で堰を作れと言って、それでようやく減った。この人は十一年ここにいるだけあって、泥と水の扱いだけは誰より知っている。
出てきたのは、小さい舟だった。
二人乗れるかどうかの平底で、上に葦を編んだ覆いがかけてあり、その上から泥をかぶせてある。丁寧な隠し方だった。数日で作った隠し場所ではない。何度も同じ場所に戻して、そのたびに同じように隠している手つきだ。覆いの葦は乾いた古いもので、編み目が緩んだところを新しい葦で継いである。継ぎの数が、繰り返した回数を示している。
覆いを外すと、中に水が溜まっていた。
底板に、櫂が一本だけ横たわっていた。
その下に、もう一つあった。
小さな麻の袋で、口を紐で縛って、さらに油を染ませた布で包んである。ハンナが引き上げて、紐を解いた。
中身は、石だった。
こぶし大の川石が七つ。それだけ。
「なんだこりゃ」
「錘です」
俺は言った。「舟を沈めるための」
沈めれば隠す手間がいらない。だが誰かは、沈めずに毎回掘り出して、毎回埋め直している。
なぜかは、すぐには分からなかった。分かったのはもっとあとだ。沈めた舟は、水の上にないから、所在確認の欄に書けない。
「一本?」
ミアが覗き込んだ。「舟って、二本いるんじゃないの? 二本いるよね」
「流れを下るなら一本でいい」
ハンナが言った。「上るなら二本要る。この河は流れが速いから、上るのは無理だ。行きは上流から流して、斜めに渡る。帰りは——」
彼女は言葉を切った。
帰りは、渡った先から下流に流されるから、同じ場所には戻ってこられない。だから帰りは泳ぐ。キリアンがそう言っていた。
つまり、この舟は行きにしか使わない。
そして、行きに使ったあと、この舟は誰かがここへ戻して、泥をかぶせている。
渡った本人ではない。本人は向こう岸にいる。
「こっち側に、必ず一人いる」
俺は言った。「舟を送り出して、流された舟を回収して、また隠す人間が」
ミアが櫂に触った。
彼女は両手で柄を握って、目を閉じて、そのままずいぶん長いこと動かなかった。それから、目を開けて、困った顔をした。
「たくさんある」
「名前が?」
「たくさん。何十も。重なってて、読めない」
「いちばん古いのは」
「分からない。古いのが、こう、下のほうに沈んじゃってて」
彼女は言葉を探した。
「削れてるんじゃなくて、上に塗り重ねてある感じ。何回も何回も、いろんな人が握ってるから」
この櫂は、何十人もの手を通っている。
月に一度、何年も。ケーニヒがおがくずを詰め始めるずっと前から。この戦争が始まってから、ずっとかもしれない。
「いちばん新しいのは、読めるか」
「読める」
ミアは言った。それから、少し変な顔をした。
「けど、この名前、知らない。えっと。……ヴィッテ」
俺は動かなかった。
動かなかったが、たぶん顔には出た。ハンナが横から俺を見たのが分かった。
「アーレンス」
「はい」
「その名前、聞いたな」
「聞きました」
「誰だ」
「司令部の書記官です」
俺は言った。
「俺たちの書類を、三つの棚に分けて入れた人です」
葦が風で鳴った。河の水は濁っていて、対岸の土手は今日も靄でぼやけている。
ハンナは干し草巻きを出そうとして、やめた。
「書記官が、舟を隠しに来るのか」
「隠しに来るとは限りません」
「じゃあ何しに来る」
俺は櫂を見た。
何十人分もの名前が塗り重なった、木の棒を。
「書記官の仕事は、書くことです」
俺は言った。
「この舟がここにあると、書きに来てるんだと思います」
「……何のためにだ」
「舟がここにあると書いてあれば」
俺はゆっくり言った。
「その晩、誰も河を渡っていないことになります」
ハンナがしばらく黙って、それから、聞いたことのない声を出した。
笑っていた。低くて、乾いた、怒っている笑い方だった。
「十一年だぞ」
彼女は言った。
「十一年、この河は渡れねえって言われて、渡ろうとした馬鹿が毎年何百人も死んで、それが全部、紙の上では『渡ってない』ってことになってたのか」
「渡った連中の話です」
「同じだよ」
彼女は舟を蹴った。泥が飛んだ。
「同じだ。渡れねえって言われて死んだやつと、渡ってねえことにされて死んだやつは、同じ紙に載ってねえんだから同じだ」
俺は舟を元通りに埋め戻すよう言った。
葦の覆いをかけ直して、泥を戻して、上から水をかけて色を合わせた。ダグが重さを確かめて、埋める前と同じになるまで泥を足した。
それから、俺たちは葦原を出た。
月は、あと五日で細くなる。




