↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死体の声しか聞こえないハズレスキル【遺言】で、俺は戦場の掃除係に落とされた 〜死んだ兵士は嘘をつかない。  作者: 音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/60

葦の舟

舟を探すのに、四日かかった。

 河岸の葦原は思っていたより広くて、しかも毎日形が変わる。水位が上がれば葦が倒れ、下がれば泥が出る。俺たちは回収の仕事をしながら、少しずつ範囲を潰していった。

 葦原に入ると、まず自分の背丈より高い茎に囲まれて、方角が分からなくなる。上を見ても空しか見えない。前に進んでいるつもりで、二十歩で自分の足跡に戻っていたことが二度あった。

 ハンナは葦の束を折って目印にすることを思いついたが、翌日行くと風で倒れていて、どれが目印か分からなくなった。三日目からは、ミアが自分の靴下をほどいた糸を茎に結んで回った。あの子の靴下だから、糸に彼女の名前が残る。触れば分かるから、他人が結んだ目印と混ざらない。

 その手があるかと全員が言って、ミアは得意そうにしていた。それから、靴下がなくなったと気づいて、少ししょんぼりしていた。

 泥は膝まである場所と、腰まである場所がある。腰まで入ると、抜くときに長靴が持っていかれる。ダグは裸足で入っていた。彼は泥の中に鉄の破片が沈んでいることを知っていて、それでも裸足のほうが速いと言った。実際、速かった。

 三日目の夕方、俺たちは何も見つけないまま上がって、全員泥だらけで、誰も口をきかなかった。ゲルダが小屋の外に湯を沸かしておいてくれていて、それを見た瞬間にミアが泣きそうな顔をした。

 見つけたのは、四日目のダグだった。

 彼は葦を掻き分けて進んでいて、ある場所で足を止めて、しゃがんで、泥に手を突っ込んだ。しばらくして、手を抜いて、言った。

「重い」

「何がですか」

「泥の下。動かない」

 掘り返すのに、四人がかりで一刻かかった。

 泥は掻いても掻いても水と一緒に戻ってくる。ハンナが上流側に葦の束で堰を作れと言って、それでようやく減った。この人は十一年ここにいるだけあって、泥と水の扱いだけは誰より知っている。

 出てきたのは、小さい舟だった。

 二人乗れるかどうかの平底で、上に葦を編んだ覆いがかけてあり、その上から泥をかぶせてある。丁寧な隠し方だった。数日で作った隠し場所ではない。何度も同じ場所に戻して、そのたびに同じように隠している手つきだ。覆いの葦は乾いた古いもので、編み目が緩んだところを新しい葦で継いである。継ぎの数が、繰り返した回数を示している。

 覆いを外すと、中に水が溜まっていた。

 底板に、櫂が一本だけ横たわっていた。

 その下に、もう一つあった。

 小さな麻の袋で、口を紐で縛って、さらに油を染ませた布で包んである。ハンナが引き上げて、紐を解いた。

 中身は、石だった。

 こぶし大の川石が七つ。それだけ。

「なんだこりゃ」

「錘です」

 俺は言った。「舟を沈めるための」

 沈めれば隠す手間がいらない。だが誰かは、沈めずに毎回掘り出して、毎回埋め直している。

 なぜかは、すぐには分からなかった。分かったのはもっとあとだ。沈めた舟は、水の上にないから、所在確認の欄に書けない。

「一本?」

 ミアが覗き込んだ。「舟って、二本いるんじゃないの? 二本いるよね」

「流れを下るなら一本でいい」

 ハンナが言った。「上るなら二本要る。この河は流れが速いから、上るのは無理だ。行きは上流から流して、斜めに渡る。帰りは——」

 彼女は言葉を切った。

 帰りは、渡った先から下流に流されるから、同じ場所には戻ってこられない。だから帰りは泳ぐ。キリアンがそう言っていた。

 つまり、この舟は行きにしか使わない。

 そして、行きに使ったあと、この舟は誰かがここへ戻して、泥をかぶせている。

 渡った本人ではない。本人は向こう岸にいる。

「こっち側に、必ず一人いる」

 俺は言った。「舟を送り出して、流された舟を回収して、また隠す人間が」

 ミアが櫂に触った。

 彼女は両手で柄を握って、目を閉じて、そのままずいぶん長いこと動かなかった。それから、目を開けて、困った顔をした。

「たくさんある」

「名前が?」

「たくさん。何十も。重なってて、読めない」

「いちばん古いのは」

「分からない。古いのが、こう、下のほうに沈んじゃってて」

 彼女は言葉を探した。

「削れてるんじゃなくて、上に塗り重ねてある感じ。何回も何回も、いろんな人が握ってるから」

 この櫂は、何十人もの手を通っている。

 月に一度、何年も。ケーニヒがおがくずを詰め始めるずっと前から。この戦争が始まってから、ずっとかもしれない。

「いちばん新しいのは、読めるか」

「読める」

 ミアは言った。それから、少し変な顔をした。

「けど、この名前、知らない。えっと。……ヴィッテ」

 俺は動かなかった。

 動かなかったが、たぶん顔には出た。ハンナが横から俺を見たのが分かった。

「アーレンス」

「はい」

「その名前、聞いたな」

「聞きました」

「誰だ」

「司令部の書記官です」

 俺は言った。

「俺たちの書類を、三つの棚に分けて入れた人です」

 葦が風で鳴った。河の水は濁っていて、対岸の土手は今日も靄でぼやけている。

 ハンナは干し草巻きを出そうとして、やめた。

「書記官が、舟を隠しに来るのか」

「隠しに来るとは限りません」

「じゃあ何しに来る」

 俺は櫂を見た。

 何十人分もの名前が塗り重なった、木の棒を。

「書記官の仕事は、書くことです」

 俺は言った。

「この舟がここにあると、書きに来てるんだと思います」

「……何のためにだ」

「舟がここにあると書いてあれば」

 俺はゆっくり言った。

「その晩、誰も河を渡っていないことになります」

 ハンナがしばらく黙って、それから、聞いたことのない声を出した。

 笑っていた。低くて、乾いた、怒っている笑い方だった。

「十一年だぞ」

 彼女は言った。

「十一年、この河は渡れねえって言われて、渡ろうとした馬鹿が毎年何百人も死んで、それが全部、紙の上では『渡ってない』ってことになってたのか」

「渡った連中の話です」

「同じだよ」

 彼女は舟を蹴った。泥が飛んだ。

「同じだ。渡れねえって言われて死んだやつと、渡ってねえことにされて死んだやつは、同じ紙に載ってねえんだから同じだ」

 俺は舟を元通りに埋め戻すよう言った。

 葦の覆いをかけ直して、泥を戻して、上から水をかけて色を合わせた。ダグが重さを確かめて、埋める前と同じになるまで泥を足した。

 それから、俺たちは葦原を出た。

 月は、あと五日で細くなる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。