名前を知っている
名簿から抜かれた人間の名前を、司令部の使いが正確に言い当てて帰った。
その意味を、俺たちは全員、その場で理解した。理解した上で、誰も口に出さなかったのは、口に出すと動かなければならなくなるからだ。
ゲルダが最初に動いた。彼女は馬房に戻って、キリアンの寝床の藁を全部払って、彼を毛布ごと担架に移し始めた。フェリクスがそれを手伝いながら、どこに運ぶつもりかと聞いて、彼女は答えなかった。答えられる場所がないからだ。野戦病院は名簿がある。倉庫は人が来る。うちの馬房は司令部が知っている。
「フォス先生」
俺は言った。
「墓地はどうですか」
彼女が振り向いた。
「新しく掘った穴が、東の斜面に六つ空いてます。埋め戻す前に、板を渡して雨よけをかけてあります」
「……穴に人を寝かせるの」
「不明の穴です。誰も検めに来ません」
ゲルダは俺を見て、それから、目を逸らした。
「あなた、そういうことをすぐ思いつくのね」
「はい」
「褒めてないわよ」
彼女は担架の柄を握り直した。「でも、他に思いつかないから、そこにするわ」
オズが、いつのまにか外に立っていた。
あの掘り手はいつもそうで、必要な場所に、必要な時刻に、頼まれる前からいる。彼は自分の背より高い鋤を肩に載せて、東の斜面のほうを顎で示して、それから先に歩き出した。誰も彼に事情を説明していない。
東の斜面まで運ぶあいだ、キリアンは目を覚まさなかった。熱が高くて、時々うわごとを言った。舟がない、というのを何度か言った。あれは一体目の若い兵が最後に考えていたのと同じ言葉だ。同じ夜に、同じ場所で、同じことを考えた人間が二人いた。片方はそれを最期の一文にして、片方はそれを今も言い続けている。
穴の底に板を敷いて、毛布を重ねて、彼を寝かせた。上に渡した板の隙間から、細い月が見えた。
ゲルダが穴の縁にしゃがんで、しばらく彼の呼吸を数えていた。俺は少し離れたところで、オズが土を戻さないように積んである山を眺めていた。
「アーレンス伍長」
彼女が呼んだ。
「はい」
「あなた、この人を守りたいの? それとも、この人に喋らせたいの?」
俺は答えるのに、少し時間がかかった。
嘘をつくつもりはなかったが、正直に答えるとどうなるかは分かっていた。それでも彼女には、いずれ気づかれる。気づかれてから知られるより、先に言ったほうがいい。俺はそう計算して、そして、その計算をしている自分に気づいて、少し嫌になった。
「両方です」
「順番は」
「喋らせたいが先です」
ゲルダは何も言わなかった。
穴の底で、キリアンが寝返りを打とうとして、傷に触れたらしく呻いた。彼女は身を乗り出して毛布を直してやり、それから穴の縁に座り直して、月を見上げた。
「私はね」
彼女は言った。
「順番が逆の人間を、たくさん見てきたわ。守りたいが先で、喋らせたいが後の人。そういう人はね、大体、途中でやめるの。守れているうちに満足しちゃうから」
「そうですか」
「だから、あなたの順番のほうが、この人は生き延びると思う」
彼女は膝を抱えた。
「腹立たしいけどね」
その晩、俺は馬房に戻ってから、手帳に書いた。
薬莢のこと。刻印を削った傷のこと。使われていない見張り所のこと。名前を持たない弾のこと。そして、司令部の使いがキリアンの名前を知っていたこと。
書いているあいだ、頭の中で四百四十一人が順番に通り過ぎていくのはいつもどおりで、その中に、舟が、ない、という声が混ざる。
俺は手を止めて、その行を見た。
あの若い兵は、舟が無いことを知っていた。行きは舟で渡ると、キリアンは言った。だとすれば、帰りに舟が無いのは当たり前で、それを最期に考えるのは変だ。泳ぐつもりで河に入った人間は、舟のことを考えない。
考えるとすれば、あるはずの舟が無かったときだ。
葦の中に隠してあった舟が、帰ってきたら消えていた。
俺は、その行の下に線を引いた。
線を引いたのは、二度目だった。




