誰も命じていない
六人を埋めた三日後、司令部から人が来た。
参謀本部付の中尉で、外套が汚れていなかった。それだけで、前線の人間ではないと分かる。
彼は分隊全員を並ばせて、名簿を読み上げて、それから言った。
「先日、河岸で回収された遺体について」
ハンナが一歩前に出た。
「六体です。身元不明」
「うち一体に、損壊があったと報告されている」
「腹を裂かれてました」
「それは、キルシュ側の蛮行だ」
中尉は言った。
言い切った。質問ではなかった。
ハンナは何も言わなかった。俺も言わなかった。ダグは梁のない場所でも背を丸めている。ミアだけが、口を開きかけて、フェリクスに袖を引かれて閉じた。
「敵は我が軍の戦死者を辱めている。そういう報告を上げる。異論のある者は」
沈黙があった。
「よろしい。では、記録を訂正する」
中尉は書類を出した。
「回収地点は、河岸ではなく、第四防塁の前面とする」
俺は顔を上げた。
第四防塁は、河から半リーグ以上内側にある。渡河していないと言いたいわけだ。
「あの、中尉殿」
「なんだ、伍長」
「回収地点は河岸です」
「訂正すると言った」
「間違いを訂正するのは分かります。あれは間違いじゃありません」
中尉は俺を見た。
彼は怒らなかった。怒るほど俺を人間だと思っていない目だった。
「君は、私が嘘を書いていると言うのかね」
「はい」
ハンナが小さく息を吸った。
中尉は書類を畳んだ。
「では聞くが。誰が君に、河岸へ行けと命じた」
俺は答えようとして、止まった。
あの朝の地図。誰が渡したのか。誰の署名もなかった。代印だけがあった。
「……命令書は、代印です」
「代印は、命令ではない」
中尉は言った。
「君たちは、誰にも命じられていない場所に行き、誰も命じていない遺体を拾った。そうだな」
「回収命令は出ています」
「どこに」
俺は答えられなかった。
あの紙は、朝に渡されて、夕方に回収される。手元に残らない。俺は写しを取っていない。取る発想がなかった。
二年間、地図はただの地図だったからだ。
「君たちは道に迷ったのだ」
中尉は静かに言った。
「衛生分隊が持ち場を離れ、河岸まで迷い込み、そこで敵の蛮行の跡を見つけた。それが起きたことだ。処罰は求めない。むしろ功績と扱ってもいい」
彼は書類を差し出した。
「署名を」
ハンナが受け取った。
彼女は署名しなかった。しばらく紙を見ていた。
「軍曹」
「……はい」
「君はこの分隊の長だ。君の署名でよい」
ハンナは俺を見なかった。ミアも見なかった。
彼女は紙を膝の上に置いて、貸された鉛筆を握った。
手が止まっている。
俺は前に出た。
「軍曹。俺が書きます」
「お前は伍長だ」
「代印でいいなら、俺でもいいはずです」
中尉が眉を上げた。
「君が?」
「はい」
「では書きたまえ」
俺は紙を受け取った。
署名欄に、自分の名前を書いた。ユール・アーレンス。読める文字で、丁寧に書いた。
中尉は受け取って、確認して、外套を翻して去っていった。汚れていない外套が、土の上を引きずらないように持ち上げられていた。
姿が見えなくなってから、ハンナが俺の腕を掴んだ。
「なんで書いた」
「軍曹が書くと、軍曹が責任を負います」
「お前が負ったんだよ、今」
「はい」
「馬鹿かお前は」
彼女は俺を突き飛ばした。本気で押した。俺は尻から落ちた。
「あの紙にお前の名前が載ったんだぞ。河岸に行かなかったって、お前が言ったことになる。あとから本当のことを言おうとしたら、お前が嘘つきになる」
「知ってます」
「知っててやったのか」
「はい」
俺は立ち上がって、土を払った。
「軍曹。あの紙、どこに行くと思いますか」
「知るか」
「軍務省の記録局です」
俺は言った。
「訂正された記録は、全部そこに集まります。訂正した人間の名前も、一緒に」
ハンナが動きを止めた。
「俺の名前が、これから何度も上がります」
俺は手袋を嵌め直した。
「同じ場所に、同じ名前で、何度も。そのうち誰かが気づきます」
「気づいてどうなる」
「呼ばれます」
俺は言った。
「呼ばれたら、行けます」
ハンナは俺の顔を見ていた。
それから、干し草巻きを出して、火をつけて、深く吸って、煙を全部吐き出した。
「アーレンス」
「はい」
「お前、いつからそれ考えてた」
「中尉が書類を出したときからです」
「その場でか」
「はい」
「……お前、怖いよ」
彼女は言った。褒めていなかった。
その夜、俺は手帳に一行だけ書いた。
『訂正記録 署名・ユール・アーレンス 一件目』
一件目、と書いたのは、これから何件も作るつもりだったからだ。
嘘の書類に自分の名前を積んでいけば、いつか記録局は俺を見る。
俺はそこに行きたい。
行って、引き出しを開けたい。




