氷魔剣士の凄みと絶品まかない飯。労働の後のご飯は、神様でも逆らえない
氷魔剣士の凄みと絶品まかない飯。労働の後のご飯は、神様でも逆らえない
泥沼源蔵さんの畑での過酷な(主にスマホの通信制限による精神的な)午前中の労働を終え、私たちはポポロ亭へとやってきた。
「あー……死ぬ。神なのに過労死する。爪の間に泥が入ったぁ……」
紫色の芋ジャージを泥だらけにしたルチアナ様が、ゾンビのような足取りで店になだれ込む。
お昼時のポポロ亭は、村人たちや商人たちで賑わっていた。厨房からは、お肉を焼く香ばしい匂いと、食欲を刺激するスパイスの香りが漂い、私の胃袋はすでに臨戦態勢に入っている。
「いらっしゃい。……お疲れだな、カレン。それにしても、後ろの泥まみれの不審者はどうした?」
カウンターの中でフライパンを振っていたジークさんが、ルチアナ様を見て眉をひそめた。
「ふふ、午前中のシフトが終わったので、お昼ご飯に連れてきたんです。もちろん、ルチアナ様の分のお代は彼女の借金ツケに上乗せでお願いしますね」
「なるほどな。また面倒なもんを背負い込んだな、お前も」
ジークさんが呆れたように息を吐いた、その時だった。
匂いに釣られて少しだけ元気を取り戻したのか、ルチアナ様がカウンターにバンッと両手をつき、偉そうな態度で胸を反らせた。
「ちょっとそこのコック! 私、神様なのに午前中めっちゃ働いて疲れてるのよ! とびきり美味しいお肉を出しなさい! 最上級の、そうね、最高級ランクの分厚いステーキを要求するわ!」
……あ。
私は思わず、サッとルチアナ様から一歩距離を取った。
「あん? 最高級のステーキだぁ?」
ピキッ……。
店内の賑やかな喧騒が、一瞬にして静まり返った。
ジークさんがフライパンをコンロに置き、ゆっくりとルチアナ様に向き直る。
その瞬間、ポポロ亭のカウンター周辺の温度が、急激に十度以上も下がった。ルチアナ様が手をついていた木製のカウンターの表面に、薄っすらと白い霜が広がっていく。
「ひぃっ!?」
ルチアナ様が悲鳴を上げて手を引っ込めた。
ジークさんのアイスブルーの瞳には、一切の感情が宿っていない。かつて戦場で絶対的な死をもたらしてきた『氷魔剣士』としての、心臓を鷲掴みにするような本気の殺気だ。
「おい、居候の駄女神。誰に向かって口を利いてるか、分かってんのか」
ジークさんは低い、地を這うような声で告げた。
「てめぇが作った借金のせいで、俺の相棒が休む暇もなくお前の世話を焼いてんだ。これ以上カレンに迷惑をかけるってんなら……神様だろうが何だろうが、俺が責任を持って永久凍土のオブジェにしてやるぞ」
「ひぃぃぃぃっ! ご、ごめんなさいぃぃっ!」
ルチアナ様は涙目になりながら、カウンターの前で綺麗なジャンピング土下座を決めた。
絶対零度の威圧に、神のプライドなど一瞬で粉砕されたらしい。
「ふん。分かればいい。……お前みたいな図々しい借金持ちに出すフルコースなんてねぇよ。おとなしく『まかない』でも食ってろ」
ジークさんは冷たく言い放つと、一瞬で冷気を霧散させ、再び厨房へと戻っていった。
そして数分後。
私の前には、いつものように美しく盛り付けられた『シープピッグの特製ハンバーグランチ』が置かれた。肉汁が溢れ出すハンバーグに、特製のデミグラスソースがたっぷりとかかっている。
「うわぁぁっ! 美味しそう! いただきます!」
「おう、カレンはゆっくり食え。おかわりもあるからな」
ジークさんは私にはひどく甘い声でそう言うと、次に、土下座から起き上がったルチアナ様の前に、どんぶり鉢をドンッと乱暴に置いた。
「ほら、借金女。てめぇの分だ」
「な、なによこれ……」
どんぶりの中に入っていたのは、いわゆる『端材(残り物)』で作られた野菜炒め丼だった。
シープピッグの切れ端肉、形が悪くて商品にならない太陽芋の切れ端、少ししおれかけた葉物野菜。それらを強火で炒め、ご飯の上に乗せただけの、見た目はひどく庶民的な『まかない飯』。
「神様に向かって、こんな残飯みたいなものを出すなんて……!」
「食わねぇなら捨てるぞ。午後の労働は飯抜きだ」
「くっ……食べるわよ! 食べればいいんでしょ!」
ルチアナ様は恨めしそうにジークさんを睨みつけると、木のスプーンを手に取り、ヤケクソのようにまかない丼を大きくすくって口に放り込んだ。
「どうせこんな安い食材……」
咀嚼した瞬間。
ルチアナ様の動きが、ピタリと止まった。
「――っ!?」
彼女の大きな瞳が、これ以上ないほどに見開かれる。
そして、信じられないものを見るように、どんぶりとジークさんを交互に見つめた。
「な、なにこれ……っ!?」
ルチアナ様の口から、震える声が漏れる。
「お肉は切れ端なのに、噛めば噛むほど濃厚な旨味が溢れ出してくる……! 野菜もシャキシャキで、太陽芋の甘みが焦がし醤油とニンニクのタレに完璧に絡み合って……! なにより、このガツンとくるスパイスの香りが、午前中の労働で疲れ切った体に染み渡るぅぅっ!」
そう。ジークさんの真骨頂は、高級食材を美味しく調理することだけではない。
どんなに安い端材であっても、素材の旨味を極限まで引き出し、食べる者の『今のコンディション』に合わせた完璧な味付けを施すこと。
肉体労働で汗を流し、塩分とカロリーを欲しているルチアナ様にとって、このニンニク醤油の効いたまかない丼は、まさに神界のフルコースすら凌駕する『究極の御馳走』なのだ。
「美味しいっ……! 美味しいわぁぁっ!」
ルチアナ様は、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、一心不乱にどんぶりをかき込み始めた。
神の威厳も、ジャージの汚れも忘れ、ただひたすらにスプーンを動かす。
あっという間にどんぶりを空にすると、彼女は机に突っ伏して号泣し始めた。
「うぅぅっ……私、天界で食べてた霞みたいなオシャレな神饌より、この切れ端のお肉の方が何百倍も美味しい……っ! 生きててよかったぁぁっ!」
「……たくっ。うるせぇ神様だ」
ジークさんは呆れたように肩をすくめながらも、空になったルチアナ様のどんぶりの横に、そっと冷たい陽薬草茶の入ったグラスを置いてあげていた。
口や態度は冷たいけれど、根は誰よりも料理人として優しいのだ。
「ジークさん、ごちそうさまでした! やっぱりジークさんのハンバーグ、世界一美味しいです!」
「そうか。そりゃ良かった」
私が満面の笑みで空のお皿を返すと、ジークさんは顔を少しだけほころばせ、私の頭をポンと優しく撫でた。
「お前も、あの馬鹿の監督で疲れただろ。午後も無理すんなよ」
「はいっ! ありがとうございます!」
ジークさんの大きな手の温もりに、私の胸の奥がキュンと温かくなる。
私にはこんなに優しくしてくれるのに、他の人(特に私の平和を乱す人)には絶対に容赦しない。その激しいギャップと過保護っぷりが、どうしようもなく嬉しかった。
「さて、ルチアナ様。お腹もいっぱいになったことですし、そろそろ午後のシフトに行きますよ」
「うぅっ……分かってるわよぉ。でも、このご飯がまた食べられるなら、私、武器庫の掃除でもなんでもやるわ……!」
完全に『ポポロ亭のまかない飯』に胃袋を掌握された駄女神は、もはや抵抗する気力すらなく、素直に立ち上がった。
「あ、ちなみに今のまかない丼と陽薬草茶のセット、借金ツケに『銅貨三枚』追加しておきますからね」
「きっちりしてるわねぇぇっ! 分かったわよ、働けばいいんでしょ働けば!」
涙目で叫びながら、ルチアナ様はフラフラと役場の方角へと歩き出した。
私はジークさんに手を振り、彼女の背中を追う。
神様すらも屈服させる、氷魔剣士の凄みと絶品ご飯。
私の異世界スローライフは、ジークさんという最強の防壁(と料理人)がいる限り、誰にも脅かされることはないのだと、改めて確信したお昼休みだった。
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