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その音が止まるまで  作者: 神永瞬子
二章 亀は見上げる
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9.虎が告げるあき

 てめぇの為だけに食器を洗うの、二人分の食器を洗うの、そして、三人分の食器を洗うの、どれが一番面倒だろう。

 貴虎はぼんやりと記憶を思い出しながら比較する。

 純粋な量だけで言ったら当然三人分。けれど、腰の重さでいったら、やはり自分の為だけに食器を洗うのが一番面倒だと貴虎は考える。

 なぜなら、そこには余白がない。自分の為にやって、ハイ、おしまい。……つまらない。作業が多いことによって生まれるその余白が、存外、あらゆる家事における動機の一つになっている。

 してやったり感。それは、ちょっとした優越。別に口に出したりはしないけど。自分がやったんだぞ。これを! という感じ。

 工夫。ちょっと効率よく。オレ様流のやりかたを開拓する。実際早いかなんてのはどうでもいい。自分が満足出来ればそれでオーケー。

 集中の興奮。やってるとだんだんギアが上がってくる。自分でやっていることなのに、どんどん自分から離れていくこの感覚。なんだかんだコレが一番大きい、かも。

 綺麗に整えられた洗い場を見て、貴虎は一息ついた。


「手慣れてますね。意外というべきか、流石というべきか」


「オレ、皿洗いの才能あるかも」


 仕事の終わりに話しかけて来た龍樹に、そう軽口を返す。会話をするよりも先に、微かに聞こえるギターの音が、二人の間に響いた。


「すっかり夢中になって弾いてますね。楽譜を読めて、そして演奏できることが相当嬉しいのでしょう。さすがです」


「……別に。そんな大したことは教えてねーよ」


 それは謙遜ではなく、割と本心に近い言葉であった。むしろ貴虎からしてみれば、当然。ゼロから教えるよりもだいぶ楽だろう。といった感覚だった。

 リンが持っていた先生の楽譜。その譜読みのレッスンが遂に終わった。といっても、今その音を実際に演奏できるのは、ギターパートのみなのだが。


「オレ、アイツの先生の事結構鬼畜だと思ったけど、割とそうでもないみたいだ」


「そうなんですか?」


 不思議そうに首を傾げる龍樹に、頷いて答える。


「少なくともギターについては、言語化も体系化も、なにもかもされちゃいないが、最低限演奏に必要な技術は全部モノにしてた。触ってた時間も長いなアイツ」


「そうでしょう、そうでしょう」


「どーしてお前が一番うれしそーなの?」


 変なヤツ。と、そうため息をつく。

 思えば、リンよりも龍樹の方が変だよな。と内心考える。

 都市伝説やオカルトの方面はさっぱりだが、一般的な都市圏に住む人間として、ここまで過ごして警察やら何やらが自分の元に来ないのはだいぶおかしい。リンの事はさっぱりだが、少なくとも自分については、家に帰らないことを訝しむ人間が少なくとも居て、騒ぎそうなものなのだが……。


「あ、そうだ。貴虎さん。私、一つ貴虎さんに聞きたいことがあるんでした」


 と、そう龍樹に話しかけられて、思考が中断される。

 ん、なんだよ、と言い終わるよりも早く、キロリとこちらを見据えて龍樹は質問を投げかけた。


「貴虎さんの先生はどんな人なんですか? ……それと、どんな楽器を?」


 思わず答えに窮した。まさか、突然自分の事を聞かれるとは貴虎は予想だにしていなかったからだ。

 別に、誤魔化す必要もないか。そう内心で結論付けて、でも、言い辛くて目を逸らしながら答える。


「クソババア。……オレがリンの奴にしてきたような教え方で音楽を叩きこんできた、化け物ババアだよ。そんで、」


 と、やっぱり重苦しい。もう一度ため息をついて、答える。


「オレがやってたのはピアノだよ。ピアノ。……これで満足か?」


「はい。貴虎さんのこと、やっと分った気がします」


 と、にっこり笑った龍樹は、洗い場から離れようと少し歩いて、そして、振り返って言った。


「あなたにはまだ縁がありますね。やり残したこととも言えるかも。まるで逃げてここにやって来たみたい」


「……神隠しは、神様が人を誘拐するってもんじゃねーの?」


「少なくとも、まねかれてはいますね。それを、どのような態度で受け取るか。道を迷わせる誘惑か、逃亡への渡り船かは、その人次第」



 さて、どうしたものか。

 朝食後のレッスンの時間、縁側に座り、朝日を浴びながら演奏をするリンを見ながら、貴虎は頭を悩ませる。

 少なくとも楽譜は読めるようになった。ここまでは良いのだが、さて、作曲に必要な音楽知識と、環境をどうしたものか。

 貴虎ははっきり言って弾くのが専門で、作曲についてはさっぱりだった。一応それっぽい知識はあるものの、教えるにはやはり楽器があった方が手っ取り早い。しかし、この場にあるのはリンのギターと最近発掘された壊れたベースのみ。

 一応、それを分かって介に掛け合ったりしているが、今は成り行きで自分がサッカーを教わっている。


(冷静に考えて意味わからなすぎだろ……)


 自分の行動がきっかけとは言え、自身を取り巻く現状の奇怪さにうんざりしていると、


「な、なぁ、貴虎」


 リンに声を掛けられた。


「ん、なんだよ」


 そう聞くと、リンはおずおずと例の楽譜を渡してきた。なんだ教えたのに忘れた所でもあるのかと、そう聞こうとして、貴虎の動きが止まった。

 明らかに筆跡の違う音符があった。途切れた音楽の続きがそこにあった。それも、ギターだけではなく、全てのパートの続きが。

 リンが書いたのは明らかであるはずなのに、思わず貴虎はリンに尋ねていた。


「コレ……、お前が書いたの……?」


 貴虎の反応が予想外だったのか、リンは少し困ったように言い返した。


「なっ、なんだよ。……ギター以外の音は、ちゃんとは聞いたことねぇからアレかもしんねーけど……、そんな変な所は……、ない、はず……」


 自信を失って尻すぼみになる。あまりの貴虎の食いつきぶりに、リンは面食らった。なにかとんでもない事をしたのかと、針の筵みたいな気分で楽譜を食い入るように読む貴虎を待った。

 しばらくして、呼吸を忘れていたと言わんばかりに、貴虎は深く、深く息を吸って吐いた。その一つ一つの動作に、リンはプレッシャーを感じずにはいられなかった。


「…………」


 長い、長い沈黙の後飛んできたのは、思いもしない質問だった。


「お前と、お前にギターを教えたって言う先生は、親戚か何かなのか? 長い事一緒に住んでたとか」


 は? と聞き返しそうになったのを何とか抑えながら、リンは首を横に振った。


「違う……。別に、家族とかじゃない」


「何か聞いてたのか? コツとか、色々」


「そーゆーのはお前の方が分かってるだろ。あの人がはっきりと言葉にして俺に楽器を教えてくれたことはない。俺がやってるのはマネごとみたいなもんだ」


「真似事……。真似事、ね」


 意味深に言葉を繰り返す貴虎に、しびれを切らしてリンは問い詰める。


「なんだよ。なんか変だぞ。変だったら言えよ。文句があんなら――」


「お前はこれでいいの?」


 突如、そう投げかけられた問いに、リンは思わず固まった。貴虎は呆れ気味に、そしてどこか悲しむように言葉を続ける。


「お前の書いたあの続き……、あれじゃ完全に例の先生の後追い、在りえたかもしれない展開そのものだ。滅茶苦茶だったらさすがにキレるけど……、お前もう少し、自分を出してもいいんじゃねーのか?」


 自分を出す。一瞬、リンはその言葉の意味がさっぱり理解できなかった。無言で貴虎に差し出された楽譜を手に取って、そこに視線を落とした。

 この空白に、自分がいる姿。あの人の音の隣に、自分の音がある。

 必死に想像しようとして、何度も何度も試して、それが、その姿が、全く想像できないことに気付いた。


「……俺って、居ていいのかな?」


 その問いは、ともすれば楽譜や音楽とは一切関係のない問いのように響いた。貴虎は別にそのことを指摘しなかった。しかし、答えはひどく冷たいものだった。


「……知るか。オレはお前じゃねーし、お前だってオレに何言われたってどうせしっくりこねーだろ。自分で考えろ。

 ただ、曲の出来くらいは見てやれる。クソだったらちゃんとクソって言ってやるから、書いてみろ」


 貴虎は内心で嘆息した。自分のその答えが、真にリンが求めているものでないことも、そして答えにすらなっていないことも知っていた。


(先生気取りが、情けねぇ)


 自分で自分の事を、そう罵倒した。



「つー事があってだな?」


「……しらねぇ。どうでもいい」


 と、介に冷たくあしらわれる。

 人のいない広々としたサッカー場で、ボールに座って休憩をしながら貴虎は介に事の顛末と自分の内情を吐き出した。

 サッカーを教えてもらうという建前ではあるが、貴虎の体力が体力なだけに、ただただ遊んでいるようなってしまっているのが現状。なんだったら今はお悩み相談室のようにすらなっている。


「いやぁ。困ったね。アレは技術的な問題じゃなくて、本人の心理的な問題だよ。技術は詰め込めばなんとかなるかも知んねーけどさぁ」


「どうでもいいっつってんだろ……」


「なんか出してくれよー! せっかくここまでお前に話してやってんだからさぁー!!」


「ガキか……」


 貴虎はそこで、会話が立ち消えになると思った。自分がテキトーに話して、それを介が無視するのはいつもの事だと思っていたからだ。

 しかし、今日はそうではなかった。しばらく、二人の間に沈黙が流れた後、ふと、介が口を開いた。


「……昔は、ただボールを追っかけてただけで楽しかった。出来るようになるのは嬉しかったはずなんだ。俺は、サッカーが好きなはずだ。楽しいから始めて、楽しいから続いたはずなんだ。

 それなのに一体いつから、何をしようとも、プレーをしている時でさえ、コートの外にいるような感覚を覚えるようになったんだ? あらゆるものが先へ行って、俺だけが置いて行かれているような気分になるんだ……?」


 介の吐露に、ふと、貴虎が口を開いた。


「お前、飽きたんだよ」


 軽々しく投げられたそれは、しかし、重く二人の空気に圧し掛かった。


「……は?」


 反発とか、怒りとか、そう言ったものを全て通り抜けて、介は貴虎の言っていることが理解できなかった。自分が飽きているのかも、なんて考えた事、一度たりとも考えたこと無かった。


「最初、めいっぱい楽しんで、居場所作って。そんで、飽きたから居場所から離れる……。別に、変でもなんでもねぇだろ」


 声が震えた。今、この瞬間なにかを言わなければ、何かが倒れてしまいそうで、内側から必死に、何かを探した。立てずに、しかし必死に身を乗り出して言った。


「……お前、何言ってんだよ? 飽きた? 飽きたなんてそんなモン、俺に、有るはずねぇだろ……?

 まだ何も成してない。なんの価値にもなってない。なんの役にも立ってない。ここでやめたら……なんの意味があったんだ?」


「……そんな下らねぇもののためにお前頑張ってたの?」


 その冷たい言葉に、むしろ介は逆上した。


「……全部無駄だって言いてぇのか!! 俺がここに居た時間は! 走ってた時間は! 苦しんでた時間は! 全部!

 飽きた!? ハイそうですかって、終われるわけねぇだろ! 何か意味が!! 何か価値がなかったら……!」


 顔を上げて、介は、いつの間にか立ち上がっていた貴虎と目が合って、そして、持っていた全ての言葉を取り落とした。それは、憐れみとか、悲しみとか、怒りとかが全部混ざって、通り越して、据わるしかなかった目をしていた。


「意味? 価値? んなもん、何の役に立つってんだよ」


 帰る。そう吐き捨てるように言って、貴虎は去っていった。


 しばらくの間、介は動けずにいた。

 辺りはすっかり暗くなっていた。明かりは、広場に備え付けられた申し訳程度の電灯しかない。けれど、介にとってはむしろその暗闇の方が慣れていた。

 動かせない、動くはずのない膝と、ぼんやりと緑を取り込んでいる暗闇を見た。しかし、その時間の重さに耐えきれなかった。

 傍に立てかけていた松葉杖を拾い上げて、ゆっくりとその場から離れていく。その移動の煩わしさに、何をするにしても出来ないという、見えない壁に全身を挟まれているような感覚を覚えた。

 歩きなれた家への道を、ツカ……、ツカ……、とのろのろ進む。

 十年間サッカーに全てを捧げて来た。

 子供が何を言ってんだと、自分でも思う。でも、本気だった。

 だが現実は、俺が本気かどうかとか、長くやって来たとか、そんなのまったく気にしない。ただただ、うまいかどうか。その冷酷で、確かな壁を俺は越えれなかった。ただ、それだけ。

 なら、この怪我はなんなのだろう。一軍でも、二軍でも、控えでもベンチでもなく、自分よりも後に始めたヤツにすら追い抜かれた人間が、怪我ってなんだ。

 もう走れないほど、壊れるほどやって、何もない。何も得ていない。何も成していない。この結果。

 この怪我が、この事実が、何よりも正確に自分の無能を証明している。


 生まれてからずっと歩いてきた道だ。迷うことなく、家についた。

 ゴミ屋だ。貴虎は内心独り言つ。ガラクタをいじって何が楽しいのか、何の価値を生んでいるのか。だが、そう辛辣に思う割に、いつそう思うようになったのは、覚えていない。父親と話さなくなったのも、そのあたりだったような気がするのだが。

 店の裏手から入って、自分の部屋を目指す。父親がいたかもしれないが、どうでもいい。

 自分の部屋の扉を開ける。あの日からずっとそのままの部屋だ。机と、布団と、本の山。そこでふと、机の上に置いてあった本たちに目が行った。

 体づくりから、セットプレーの解説、メンタル維持、最新の選手の動向……、大量に付箋のついたそれらが、必死になっていた昔の自分を思い起こさせて、鳥肌が立った。

 一秒でもそれを見て居たくなくて、思わずそれらを投げて部屋の隅へやった。そして、着替えも何もせず、そのまま布団に倒れこんだ。


〈続く〉

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