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その音が止まるまで  作者: 神永瞬子
二章 亀は見上げる
6/17

6./帰る場所のないひと/読めない楽譜/

 膝から、ひしゃげるような嫌な音がしたかと思うと、痺れるような鋭い痛みが襲い掛かった。その痛みのまま、右足から力が抜けて、重心が崩れて思いきり転んでしまった。なんとか仰向けにはなれたが、それ以上はもう動けなかった。

 何もかもを吸い込むような、遠い、遠い空が見えた。上がった息を整えるために何度も呼吸をして、その度に鮮烈な冷たい空気が肺を満たした。

 あぁ、終わった。

 怪我の容体も、これからの事も、まだ何もわかっちゃいないのに、なぜだかそう直感した。

 静かに、けれど確かに、そして早く、温まっていた体が冷えてくのを感じた。



「キョウコンサイ? なんだよ、それ」


「あぁ、そこから説明しないといけませんか。うーんと……」


 ある夕飯時のこと。龍樹から飛び出してきた聞きなれない単語に、リンはふと首を傾げた。

 最近はすっかり、二人で食事を囲むのにも慣れてきた。梅雨の入り口。本来緑が目に付くようになる時候ではあるが、混沌とした様相を見せる龍樹の家の周辺では、それを感じるのは難しい。

 挟むようにして座って囲んでいたちゃぶ台に箸と食器を置いて、改めた感じで龍樹が話すので、つられてリンも食器を置く。


「簡単に言ってしまえば、夏にやる地元のお祭りです。僕は遠巻きから見るだけでしたが……、学園祭に吸収されてからは、学生と地元の人たちとが混ざって盛り上がるものになっているそうで」


「あぁ、お祭り……。それで、なんで突然その話?」


「忘れているかもしれませんが、リンさんはまねかれさま、言ってしまえば余所者ですよね」


「うん。そうだな」


「響魂祭が期限です」


 あまりにも短く、バッサリと言うので、言葉と言葉がくっつかず、リンは思わず聞き直した。


「キゲン? ナンノ?」


 すると、なんだか困ったように龍樹は首をかしげて斜めを見た後、絞り出すように答えた。


「うーんと、あえて何のと言えば、まねかれさまの滞在期間?」


 リンはしばらく呆けていたが、やがて短く、呆れるほど間抜けな声で龍樹に尋ねた。


「なんで勝手に誘拐されて勝手に帰らされるの?」


「ちょうどいいからじゃないですか? 春のあわいにやってきて、夏のあわいに帰るのは」


「神様って身勝手だな……」


「そうかもしれませんね。まぁでも、少なくとも来るのはある程度の合意がないと無理です」


 そういうもんか……? と首をかしげながら、しかし、龍樹の話にやいのやい言えるほどの知識もなく、リンは静かに納得しようとして、ふと、またある疑問が浮かんだ。


「なんで俺にわざわざ期限の話をしたんだ? 別に俺を放り出すのも、まぁ、確かに前もって言ってくれるのは嬉しいけど、俺に伝える義務はないよな?」


 すると、義務はなくとも義理はあります。と、前置きしたあと、さらりと龍樹は言ってのけたのだ。


「そうやってぼんやり過ごしてたら、一生帰れなくなっちゃいますよ?」



 いつの間にか緑色になった桜の木が風に吹かれてゆらゆらと揺れている。

 行きつけになった、バスケットコートのある公園のベンチに腰掛けて、リンはギターを弾くまでもなく、ただただ空を眺めて呆けていた。

 龍樹は言った。帰れなくなる。そんな龍樹の発言に、リンは言葉にならずとも、思わず心の中で龍樹に言い返していた。

 帰るって、どこに?

 帰る。という言葉は、リンにとってまるで重みのない空虚な言葉だった。実感がない。実感がないので、分からないとしか言いようがない。

 「帰りたくない」といって駄々をこねる子どもを見たことがる。その度にリンはなんだか不思議なものを見たような感覚になった。帰りたくないという言葉は、裏を返せば帰れるような場所があることだ。じゃあ、自分はどうなのだろう。

 結局、どれほど思考を繰り返しても、虚ろな言葉はそのままだった。


「……奇遇、というか、ここまで来たら案外行動範囲が被っているのかもな」


 ふと、聞きなじみのある声が聞こえたので、そちらを向くと、そこには相変わらずの制服に、右肩に買い物袋をぶら下げた八鶴が立っていた。


「や、八鶴、さん!?」


「ん。呼び捨てでいいぞ。敬語もいらない」


 そう言いながら、リンの隣に腰かけると、ふぅと一息ついて、それから尋ねた。


「で、どうしたんだ。困るとかなんとか言ってたけど」


「あぁ、それが……」


 と、リンは正直に、先日の龍樹の警告の件を八鶴に白状した。

 八鶴は最後まで丁寧にリンの話を聞くと、少し考えつつも興味深そうに答えた。


「なるほど。そうか、意識していなかったが、まねかれさまが去るタイミングは明確にあるみたいだな。面白い。その龍樹の話をもっと聞くことができたら、三鶴も父さんも喜びそうだな……」


「俺の話そっちのけで盛り上がらないでもらえます……?」


 と、そこで「あ」と、八鶴が何かを閃いたように声を上げたので、リンもつられて顔を上げた。


「響魂祭でギターの演奏を披露してみるか?」


「……………………バカ?」


 しかし、リンの暴言を気にせず、八鶴は説明を始めた。


「あぁ、いや。これは単なる思い付きなんだが……。リンも、父さんから話は聞いてるだろ? ほら、ここで蒐集された歌の伝説の話」


「歌の……、あぁ。帰れたって、いう……」


 いや。そんなまさかな。というのがリンが最初に浮かべた言葉だった。ここに来て、神隠しだの、まねかれさまだの、変な空間だの、奇妙な体験はそこそこ積んできたが、まだまだ普段の考えは抜けきらない。


「だから、演奏してみよう。祭りがあるのもおあつらえ向きだ。少なくとも、何もしないよりはマシなはずだろう?」


 故に、帰るために、伝説になぞらえてギターを演奏するというその謎過ぎるロジックが、割と頼りにしてきた八鶴の口から出てきたことに、ある程度のショックがあったことは、仕方のない事だろう。


「そういえばそーゆーのにどっぷりつかっている人の家族だったなこの人……」


「あはは。ありがとう。……やっぱり人前で演奏するのは嫌か?」


 がっくりと肩を落としたリンに対して、伺うように八鶴はそう尋ねた。

 嫌か、そう尋ねられて、ふと反射的に出て来た言葉は、


「…………わかんね」


 という一言だった。


「少なくとも、これまで人前で演奏したことはないし、したいって欲も……、どうだろう。ギター弾くのは好きだけど……」


 そこで初めて、リンは自分が楽器を演奏する理由が極めて個人的なモノに留まっていることに気付いた。演奏して、そして、どうなるのだろう?


「……そっか」


 八鶴は、そんなリンの煮え切らない態度を見て、怒るどころか、なんだか朗らかな嬉しそうな笑みをこぼしながら言った。


「まぁ、繰り返すようだけど、何もしないよりかはマシだろうし、祭りの手続き的な所も……、まぁ、多分大丈夫だろう。考えてみてくれ」


 そう伝えきると、よっこいしょ、と言葉を漏らしながら八鶴は立ち上がった。休憩はもう終わりらしい。


「あ、行くんですね」


「あぁ、そろそろな……、あ、そうだ」


 ふと、伝え忘れたことに気付いたのか、そう零した後、八鶴はリンに言った。


「おれは、音楽的なことはさっぱりだが……、でも、リンの音楽を聞きたいと思うよ」


「そう……、ですか……」


「じゃあまた」


 素直に、自分の演奏をそう褒められたことに関して、悪い気はしなかった。なんだか照れくさくて、返事をすることは忘れてしまっていた。



 月が欠け始めている。縁側から夜空を見上げてふと、リンはそんなことを思った。

 このままでよいのか? 龍樹の発言からずっと、そんな事ばかりを考えて、それから逃げるようにしてギターに触れた。

 時間は、己の停滞している様を残酷に削り出し、そして見せつけてくる。

 ギターは、自分の弾いた通りにしか音を出してくれなかった。

 何が足りない。何が必要だ。分からない、分からない。ただただ、弦をはじいて繰り返す。


「導が必要みたいですね?」


「うわっ……、な、なんだよ……」


 ぬっと、顔のすれすれまで近づいて、囁くようにして龍樹に声を掛けられた。びっくりして手を止めてそちらを見ると、そんなリンの様をみて、楽しんでいるようにすら見える表情でそれはいた。


「ギター、うるさかったか?」


「いえいえ。私の家の周りには誰もいませんから、お気になさらず。相変わらず、の様で」


「…………」


 こうやって振り回されるのは、以前八鶴と出会った時くらいだろうか。はぁ、とため息をつきながら龍樹に視線をやると、ふと、彼が持っているものに目が行った。


「なに、その……本?」


 それは、リンが尋ねた通り本に見えた。大きさは手のひらに収まるほど。非常に古いものなのだろうか、紙は茶色にまで変色し、表紙とその題は特になにも読み取れないほど劣化している。


「はい、本ですよ。私の趣味です」


「古本なのか? 随分とその……、使い込まれているように見えるけど」


 すると、そのリンの言い方の何がおかしかったのか、少し顔を緩ませながら龍樹はその発言を否定した。


「いえいえ。まったく。その逆ですよ。使われなかったんです」


「?」


「以前、リンさんが家の周りへ出た時、海岸に行き当たったこと、覚えていますか?」


 突然、そう逆に聞き返されて、リンは戸惑いつつ首肯した。

 あの、がらくたや骨が流れ着いたような、あるはずのない栃木の海岸。本来はあるはずの、潮の匂いもない、ただ波が何かをさらっては送り出す音だけが聞こえる、不思議な光景の一つ。

 龍樹は愛おしそうに、本を撫でながら続けた。


「そこには、色々なものが流れ着くんです。本だけじゃなくて、絵も、詩集も、彫刻も、機械も、探せばないものはないんじゃないかとすら思えるほど、色々なものが」


「……人も、か?」


 少し勇気を出して踏み込んだことを聞いては見たが、にこりと笑ってあっさりそのリンの質問は流されてしまう。


「さぁ? ……ただ、私は好きなんですよ。その流れ着いたものたちを蒐集して、観賞するのが」


「はぁ……。なんで、そんな話を突然?」


 龍樹の言いたいことが分からず、直球にそうリンは尋ねるも、またしてもその問いは無視されてしまう。ただ、龍樹は笑みを崩さず、リンに尋ねた。


()()を食べた動物は好きですか?」


 リンは質問の意図がさっぱりわからず、


「えぇ、まぁ、うん……?」


 と、煮え切らない返事をしたのだった。



 ふと、リンはギターの音で目を覚ました。ギターの音で。……ギターの音で!?

 リンは飛び起きた。なぜ、自分のギターの音が鳴っている!?

 着の身着のまま、リンは家中走り回った。音を頼りに探し回って、そして、その音に近づいてよく聞こえるようになればなるほど、自分のギターの音だと確信を深めていく。

 なんだ!? 誰が、どうして自分のギターを弾いている!? 龍樹じゃない。龍樹はこんな真似をしない。……ならば、誰が?

 その不明な誰かを想像すると、走って探し回るのとは別に、心臓がはやるのがわかった。そして、不思議なくらい家中を走って、たどり着いた。

 そこは、いつぞやリンが初めてここで目を覚まして、そして昨日ぎりぎりまでギターを弾いていた縁側の部屋。朝の日の光に包まれながらギターを弾いていたそいつは、リンの気配に気づくと、いたずらっぽく笑いながら振り向いた。


「おっ、借りてまーす」


「なっ、かっ、返せよ!」


「いや、盗ってねぇから。言われなくてもちゃんと返すよ」


 リンが凄んでも、彼はへらへらと笑っていい返しながら、ギターをそっと壁に立てかけて置いた。

 眼鏡の奥の鋭い瞳が、笑みですっと細くなる。身長はリンよりも一回り高く、八鶴よりは低い。年齢もリンと八鶴の間ほど、中肉中背の姿は健康そうに見えたが、しかし、日に焼けていない真っ白な肌や、全体的に裾や袖を余らせた格好、そして猫背気味な立ち姿と細い指先が、どこか儚げに感じられた。


「そんなに怒るなよ。勝手に触ったのは謝るからさ」


「…………」


 そんな風に言われても、リンはそうやすやすと警戒を解くことが出来なかった。それは、そもそもの人見知りという性質もあるにはあるが、それよりも、自分が大切にしていたギターを勝手に触られてたという、まさしく、侵犯された、ような居心地の悪さがあったからだ。


「ごめんって。オレも音楽やってたから、つい、な?」


「……なら、自分のものを勝手に触られるのがイヤだって、わかんだろ」


 そうリンに尋ねられて、しばし彼は考えてみせたが、やがてさっぱりと言わんばかりに、罪悪感のかけらも感じさせない雰囲気で、


「うーん、わかんない!」


 と、言ってのけた。なんだコイツ……、と、なんだか真剣に相手するのもバカみたいに感じて、思わずため息を漏らした。


「失礼だなぁ、あんた。見た感じ、ここの家の住民? 勝手に世話になっちゃってワルいね」


「……それって」


 と、リンが彼に口を開きかけたその時だった。


「おはようございます、リンさん。貴虎(たかとら)さん」


 おそらくこの事態に最も詳しいであろう人物である龍樹が、リンの背後で現れたのだった。



 ぱくぱくと朝食を口に運びながら貴虎と呼ばれた彼は、自分の時も聞いた、龍樹の神隠しの説明を聞いていた。


(俺、ここでの初めての食事は結構遠慮したってのに……)


「……という訳なんですけれど、貴虎さん。どうですか?」


 そう尋ねられた貴虎は、んー、と、もぐもぐと物を口にしながら、首を若干傾げて考えた後に、


「まぁ、仕方ないしな。世話になるよ。ウソだろうと本当だろうと、どっちでも面白そうだし」


 同じく食事をしながら聞いていたリンは、神隠しを信じない、という共通点はあるものの、その反応の冷静さに驚いた。思わず、ビクビクしていた自分が小心者だったのか? とリンが自問自答しかけたくらいだった。


「理解が早くて助かります……。ちなみに、お隣のリンさんは「信じない」と言って無理に帰ろうとして夜まで遭難してました」


「マジでか! 頑張るねぇ!」


「なっ、んで俺の話を急にすんだよ! あと笑うな!」


「お話に混ぜてもらいたそうだったので」


 余計なお世話だ! と一蹴したかったが、貴虎に対してある種の好奇心、というか、謎が蓄積しているのは事実で、思わずうぐ、とリンは黙ってしまった。

 龍樹はきっと、自分に気を回してくれたのだろう。そう考えなおして、貴虎になぜそんなにも冷静なのかを尋ねようとして口を開いた。しかし、それと同時に、


「あー、そう! オレ、お前に言いたいことあったんだった!」


 思い出したかのようにそう貴虎は叫ぶと、手に持った箸でリンを指していった。


「あの作りかけの楽譜なに? オリジナル?」


 最初、リンは貴虎の言っていることが分からなかった。そして貴虎も、何を言っているのか分からないといった風なリンを不思議に思って、おずおずと言葉を続けた。


「え……、いや、あるだろ? ほら、ギターと一緒に入ってた楽譜だよ」


「え、あれは……」


 と、言い終わる前に、何か明確な考えが浮かぶよりも前に、リンは思わず駆け出して楽譜をギターケースごと引っ張り出した。

 今までよく分からなかったソレを、リンは広げて、そして貴虎に尋ねた。


「こっ、これが分かるのか!?」


 そのリンの質問に、今度は貴虎が意味が分からないかのような表情をして答えた。


「え……、そりゃ、オレも音楽やってたわけだし……、あ」


 と、そこまで行って貴虎は何か答えにたどり着いた。そして、いや、まさかなと零しつつ、楽譜に書かれた音符を指さしてリンに聞いた。


「コレ、なーんだ?」


 しかし、リンにはその答えが分からなかった。ただ、その目の前にいる男の雰囲気から、だいぶまずいことが分かっていないのは察していた。……が、分からないものは分からない。


「……しっ、知らない」


「あーーね。なるほどね、分かったわ」


 悔しさのにじむリンのそんな答えに、貴虎はむしろ納得したかのように、そして、何かあざ笑うような、同時に憐れむような視線をリンに浴びせながら言った。


「楽譜、読めないんだ。ギタリストにはあるって聞くわー。……カワイソー」


「かわいそってなんだよ! わっかんねぇもんはわかんねーんだよ!」


 反発するリンをケラケラと嘲笑をにじませながら貴虎はあしらった。


「いやぁ、楽器やってて楽譜読めないって……、ねぇ? 文字を読めないのに書道をやるもんだよそれ。いやー、カワイソカワイソ」


 ひらひらと楽譜を煽りながら愉快そうに振舞う貴虎に、ふと、龍樹が不思議そうにリンに尋ねた。


「あれ? でもリンさん、ギターは弾けるんですよね? 楽譜が分からないのに、どうして?」


「tab譜は読めるって口だろ。ギタリストには多いらしいし」


「……いや。教わったフレーズとか、聞いたことある音とかを当てはめてただけなんだよ。音の出し方とかはまでは習ったけど、譜読みとかは……」


「あー、なるほどね。読めない楽譜を持ってるってのも、大方、その先生が作ったのを貰ったって口だろ。納得納得」


 納得したように頷きながら、しげしげと楽譜を貴虎は眺めた。そして、そんな貴虎の様子を見て、リンは体中がむずがゆくなるような感覚に襲われた。思わず、彼に、いや、その楽譜に飛びついてしまいそうになるその衝動は、嫉妬や、好奇心をないまぜにしたようなもので、大きな期待とも言えた。


「あっ、あの……」


 リンは思わず、声を出していた。楽譜に広がるその世界を、あの人の痕跡を知りたい、見たいと願って、まだよく知らない相手に頼み込んだ。


「お、教えてくれないか……、いや、ください。その、楽譜の読み方を……!」


「えっ? いやぁ、オレは……」


 と、楽譜から顔を上げた貴虎は、そう懇願するリンと目が合った。


「…………」


「…………」


 不思議な沈黙だった。そして、不思議な視線の交錯だった。

 リンは、貴虎と目を合わせているはずなのに、どこか貴虎が別の所を見ているのではという感覚に襲われた。自分を通して、もっと別の何かに、思いを馳せていると直感した。


「……オレは、ギターの勝手なんか知らねぇ。もしかしたら後々、本当にお前の望むようなコトは教えらんねーかもしれない」


「いいんだ……! 俺は、あの人の楽譜を読みたい! 読めたなら、もしかしたら……!」


 あの人のことが、分かるかもしれない。夕暮れの光に佇んで、何もなかった自分にギターを聞かせてくれたあの人のことが。リンには、その人に聞きたいことが沢山あった。けれど、聞けずじまいで、ここに流れた。

 興奮に身を任せて詰め寄るリンに、貴虎はふと、問いかける。


「……完成させなくていいのか?」


「え……」


「どんな事情かは知らねーけど、作りかけの楽譜を渡すってことは、続きを作って演奏しろって課題じゃねーの? 作曲のレッスンも視野に入れてたとか」


 リンは思わず言葉に詰まった。

 このギターも、そして楽譜も、はっきりとした約束の元にリンに渡されたものではなかったからだ。


「……それは、分からない。あの人がどんなことを考えて俺にギターを教えて、そして渡してくれたのか」


 貴虎は若干呆れたような顔をして、リンと楽譜の譜面を交互に眺めた。


「ま、作るの含めて、それはおいおい……。まずは楽譜くらいは読めるようになってもらうか。……お前、ギター以外の楽器の心得は?」


 リンは首を横に振る。そんな様子を見て、貴虎の呆れたような顔はますます歪んで、思わずため息が漏れだした。


「ひっでぇ先生だな。大した事はなんも教えず、ギターと一緒によこした曲はバンドかよ。そんで神隠しにも会うって、祟られてんの? 祠でも壊した?」


 と、貴虎は試すように毒舌交じりに言ってみたが、当のリンの関心はたった一つの方向に向かっていた。


「バンド……」


 欠片でも分かった、楽譜の正体に、ひどく心が躍った。

 そんなリンの様子を見て、そんな調子じゃ今後、読めるようになったら爆発するんじゃねーの、と、困惑しながら貴虎は続けた。


「はぁ……。そ。お前ひとりじゃ絶対に演奏できない。少なくともあと四人はいる。お前の音楽の知識はご察しだし、ここにあるのは……、ギターだけか」


 うーんと、しばらく貴虎は考えて、そしてリンに見据えて言った。


「譜読みの勉強をしながら、助けてくれそうな経験者探すか。機材とか貸してくれたら超ラッキー。ま、幸か不幸か、どーせ俺たち、神隠しにあって暇なんだし」


 貴虎がまねかれて、突然事態が好転したその不思議さに、その楽譜への高揚のせいで、リンはさっぱり気づかなかった。

 ただただ、顔を輝かせるリンと、困ったような貴虎を、龍樹は笑顔で眺めていた。


〈続く〉

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